不器用なほど純粋に。『過去の日記から』

自分を取り戻す為に試行錯誤していた、過去の日記から。

 




昨日、2週間ぶりに武術の練習行ったらふくらはぎが激痛。

最中も膝がガクガクした。

 

でも、はじめて

型をやっている最中の「きもちよさ」を感じた。

 

 

これまでは、間違えることが怖すぎて、間違えると恥かしさが自分を覆い尽くした。

 

でも、それをおかしいと感じた自分もいた。

間違えるのが怖いなら、間違えなくなるまで練習すればいいのに

なぜか、練習しなかったのだ。

 

今思えば、自分で自分を妨害していたのだと思う。

 

 

でも、今回は楽しかった。

みんなで動くのも楽しいし

実践的で、自分を見つめ直すことができる。

時間内に自主的に練習する癖がつく。

とにかく自分でなんとかしなきゃという意識が目覚める。

 

もう、いついつまでに〇〇を覚えようとか思わないことにした。

ずっと、自分に無理難題を突きつけてきたんだ。

なんでこんなことも出来ないんだーって。

それをやめるよ。

ゆっくりでいいんだ。

 

 

心が震えるようなこと

魂が奮い立つようなこと

言葉を失うような感動

 

それらが、私の求めていた真実。

 

ただ表面上の楽しみとか

小出しにできるような発散とか

そういうの、もういい。

 

私はすべてのコントロールを手放して

誰にも責任転嫁せずに

自分で自分の感情の責任を取りたい。

 

 

理論とかテクニックとか

そういうの、もういいんだ。

 

私はそんなに器用じゃない。

一時的にできたとしても、すぐに限界が来る。

 

器用にやるしかない過去があっただけ。

 

 

 

 

こうしてはじめて聴くアーティストの曲は

 

不器用なほど純粋に

馬鹿馬鹿しいほど無謀に

 

うまくやろうとか、

かっこつけようとか

これっぽちも感じないような

 

魂の叫びを感じるものだけに心が震える。

 

 

これまでずっと、何者でもない私が、何者かになろうとした。

 

でも結局私は何者でもないし、

何者かにならなくてもいい。

 

日々、自分にできることを

自分なりに精一杯やるんだ。

 




 

剣れいや

 

 

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