アートに生きるということ

先日、久々に、アート(舞踏〜Butoh〜)関係の集まりに参加してきた。

本当に久々な気がした。

コロナの影響で何年も集まりにくくなっていたんだと改めて感じた。

 

その集まりは撮影が禁止だったため、ここに残しておけないのが悔やまれる。

でもそれよりも、得たことが大きかった。

 

私は幼い頃にトラウマから自分自身の表現を封印し、

大人になるまで美術やデザインを学ぶも

「世の中に認められる表現」というものを、無意識に行おうとしてしまっていた。

 

そのせいで、徐々に表現が苦痛になり

そのフラストレーションは出口を模索し、ドラムとの出会い・バンド活動へと変化していった。

歌ったりもした。

 

ただ、ひとつだけ行ってこなかったことがある。

カラダと向き合うことだ。

 

身体と向き合うことで

私はもしかすると、何かとても大切な

 

「自分」という記憶。

核のようなところにたどり着いてしまうのかもしれない。

 

その恐怖がある気がしている。

 

そこにたどり着いたら、私は一体どうなるのだろうか、と。

 

 

でも、今回の集まりに参加し

舞踏〜Butoh〜を志す仲間たちと、はじめて同じ場所で舞踏した。

 

身体の意思にまかせて

集中して

「なにも無い」になった。

 

「なにも無い」になったんだけど

そのために、その瞬間瞬間に、過去に自分が行ってきた人生の表現すべてが出てきた。

 

絵を描いた記憶、武術の記憶、労働の記憶。

身体の記憶だ。

 

それらが統合されて、

自分という存在に集約され

「すべてがある」=「なにも無い」になった。

 

 

舞踏は、これまで私が頑なに手放さなかったものを、

「気づいたら、どこかに置いてきていた」という状態にまで、著しく変容させてくれたような気がした。

 

舞踏〜Butoh〜というのは、すさまじい。

そして、舞踏〜Butoh〜を志す仲間と共にある空間は、すさまじい。

 

おだやかで、パワフルで

かつ、自分自身の表現だけを見つめる、という一点からブレることがない。

 

みんながそれぞれ

互いの表現に干渉することなく

自分の表現に没頭しつつも

これまでの自分の殻を壊す何かを模索し続けている。

 

 

気づいた。

これまで私にとっての「表現」は、自分という存在の中の一ジャンルに過ぎなかった。

 

私の中には、表現と、表現ではないものがあって、それらを使い分けるイメージをしていたんだと。

 

しかし、違った。

 

私から出るものはすべて表現であり

その表現の方向性や、打ち出し方が違うのであり

 

自分の表現に対し、矛盾をかかえ葛藤していることもあれば

何も考える必要がないくらい、呼吸するように、表せていることもある。

 

ただそれだけのことなのだと。

 

私は、アート活動と自分を切り離していたんだ。

 

タイムリーに、過去のクライアントさんからメールが来ていて

私の方向性に対するご指摘だったのだけれど

それも私の葛藤から来たモノだった。

 

 

機能不全家庭で育った人からのたくさんの相談、

女性性と男性性のバランスに対する期待

パートナーが倒れたり

 

さまざまな経験から私は

「アートではどうにもならない領域がある。セッションやヒーリングが必要なのだ」と、過去の自分の決断を打ち壊して進んできた。

でも、そのプロセスでの私の内面の葛藤を一切、表現しなくなってしまっていた。

 

 

伝えたいという思いはあったが

「私の個人的な葛藤なんて、見てくれる人には関係ないのだから、提供するものだけを出さなければ」と必死だった。

 

それがプロだ、みたいな謎の義務感まで背負ってた。

 

だがそれは一体なんのプロなんだ?

 

私は「自分自身として生きる」を取り戻す、ただそれだけに生きようと思っていた。

それが、世の中にあふれるようなサービス提供者と同じような伝え方をしていたら、伝わるものも伝わらない。

 

人はみな、矛盾や葛藤を抱え、それでも自らの夢や信念に従って生きようと模索する。

それをただ表現するんだ。

 

ここ数日で、たくさんの気づきがあった。

私のこれからの「表現」という生き方が、自分自身に対して純粋であることを祈る。

 

 

剣れいや

 

 

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