つながらなくても、バトンは渡せる

 

自分の内側から強く湧き出してくるもの。

インスピレーションは「無形」の状態。

 

非言語領域の「これ」は、

生まれる前の、形になる前の、「なにか」なんだ。

 

 

本当にコレだけは言いたいんだ、とか

自分はこう思っているんだ、とか

こういうことをやっていきたいんだ、とか

 

 

必死で言葉にしても、まだ具体性に乏しかったりする。

 

時に、周りの人に分かってもらえない苦しみを味わうこともある。

 

でも、非言語領域の「これ」が、

分かる人には、分かる。

 

非言語領域の「これ」をわかってくれる人は

同じように、言語化に苦戦していることがある。

 

それゆえ、

「これ」を言語化してくれた人を見つけた瞬間、

「これだーー!!」と反応してくれる。

 

だから、分かってもらえないこと前提でもいいから、表にだすことが大切なんだ。

 

このネットの海に、表現したものを投げる。

 

それはやがて

大切なメモが入った小瓶のように、どこかに流れ着いて

何かのひょうしに、誰かの目に触れるかもしれない。

 

 

たとえ「それ」に具体的なフィードバックが返ってこなかったとしても、

 

誰かが、「ハッ」とするかもしれない。

誰かが、それについて考え始めるかもしれない。

誰かが、それについて調べ始めるかもしれない。

誰かが、感化されて動き出すかもしれない。

もしかすると

誰かが勢いづいて、他の誰かにシェアするかもしれない。

 

もし誰かが必要としている情報だったら

もし誰かの琴線に触れる情報だったら

 

なにも返ってこなかったとしても、その波紋は拡がっていく。

 

たとえ、すぐに「手応え」がなかったとしても、

自分の信念からの行動は、絶対しておいたほうがいいと思う。

 

どんなに深く考えていても

どんなに強い思いを持っていたとしても

 

何も行動しなかったら、

結局、何もない事になってしまう。

 

 

何かを「得る」ためではなくて

どうしても伝えたい「何か」があるのならば、

伝える努力は、辞めてはいけない。

 

 

なんの手応えもなくて

なにも伝わっていないように感じても

 

実は、知らないところで、

もしくは、忘れた頃に

 

誰かが、ひっそりと感銘を受けているかもしれない。

 

 

その可能性にかけて、伝え続ける限り

十分意義のあることなんだ。

 

 

剣れいや

 

 

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