子供たちの創造性をつぶす教育?「みる」という行為にかくれた女性性と男性性のバランス

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

今日は、私たちが何気なく行なっているひとつひとつの行為も

女性性と男性性のエネルギーに分けられる、ということを解説してみようと思います。

 

 

女性性と男性性とは、エネルギーの性質の違いのことなのですが

性別やジェンダーと混同しやすい場合があると思うので

 

今回は、具体的な例をもとに、さらに細分化し違った視点でとらえてみましょう。

 

見る、観る、視る、診る。
「みる」って、なんだ?

私たちは日常的に「みて」います。

このブログを読んでるあなたも、画面を「みて」いると思うんですが

 

「みる」とひとくちに言っても

いろんな「みる」がありますよね。

 

たとえば、映画館や美術館での賞、スポーツ戦、察、

水族館やエンターテインメントの覧は「観る」ですね。

 

あとは、監察とか、霊とか透・・・とかの「視る」もあるし

 

病院では察、療、断されますが、それは「る」です。

 

さらに、学、物、謁など、ただただ「見る」というのもあります。

 

 

こうやって改めてみてみると

ただ単に「みる」と一口にいっても、様々な「みる」が存在しています。

 

女性性と男性性の「みる」?

ここで、女性性と男性性のお話を少々。

女性性のエネルギー
受動的、ありのままを受け入れる、育てる(維持するという性質を持っています。

対して

男性性のエネルギーは、
能動的、スタートし、判断ながら突き進む(目的へ向かう)という性質を持っています。

 

さきほどの「みる」を分類するならば

女性性のエネルギーの「みる」は、受動的な「みる」です。

ありのままを受け入れ、また見守るための「みる」なのです。

 

そして、

男性性のエネルギーの「みる」は、能動的な「みる」です。

目的意識を持ち、適切な判断をするための「みる」なのです。

 

女性性と、男性性。

どちらもバランスよく使うことで、幸せで豊かな人生に、そして安全で快適な社会にしていくことができます。

ただし、女性性と男性性のエネルギーというのは、良いとか悪いとかではなく、単なるエネルギーですので、使い方を間違えると幸せな人生からほどとおくなってしまいます。

 

たとえば、私たちの身近には

「火」というものがありますよね。

 

火は、適切な使い方をすれば

 

美味しい煮込み料理を作ったり

こんがり焼いたバーベキューを楽しんだり

キャンドルの炎で癒されたり

キャンプファイアーで活気を感じたり

火力発電で電力をつくりだしたり・・・・

 

と、様々なことができます。

 

ただ、火も使い方を間違えると、

火事になって大切なモノや人の命を失いかねないし

 

使う人の意図によっては

放火などの犯罪や、爆撃などの戦争の道具にもすることができるものです。

 

でも、火は

ただのエネルギーなのです。

 

つまり道具(ツール)です。

 

 

 

火は、ある特定の性質をもったエネルギーであり

それ以上でも、それ以下でもありません。

 

 

だから

放火や爆撃ができるからといって、

 

「危険だから全世界で火を使うのを禁止しよう」

という運動は起こらないわけです。

 

 

ツール(道具)は、

どんな意図をもって使うかが大切なのであって

そのツール自体に善悪があるわけではない

ということです。

 

 

それと同じで、

女性性と男性性のエネルギーも、

それ単体に善悪があるわけではないのです。

良いとか悪いとかではなく、バランスが大事です。

 

 

ここでいうバランスとは何か?

 

使う方向性と、

のことです。

 

 

 

方向性とは、

どんな意図で、どの方向に向けて使うのか。

 

とは、

どのくらいの力加減で使うのか、ということです。

 

 

方向性が間違っていると、適切ではないところで発動してしまいますし

 

量が間違っていると、過剰になってバランスを崩したり、少なすぎてバランスを崩したりします。

 

 

 

現代社会がバランスを崩しているのは

この、使う方向性と量を完全に間違えているからなのです。

 

 

 

たとえば、さっきの

「みる」に関して言えば

 

見守り育むための「女性性」が必要な場面で

徹底的なジャッジをする「男性性」を使ってしまう。

 

そこまでしなくていいくらい、完膚なきまでに徹底的なジャッジが行われることがあります。

 

 

もしくは

しっかり見極めて判断する「男性性」が必要なところで

見ているけど何もしないという「女性性」を使ってしまう。

 

ただ傍観しているだけ、見ているけど何もしない、改善のための行動を起こさない、ということになります。

これは心理学で言うところの「受動的攻撃」ですね。

 

つまり、ものごとは

 

女性性と男性性のエネルギーを

 

使うべきところで使わず

 

使わなくて良いところで使ってしまう

 

 

という現象が起きるたときに

 

バランスを崩してしまうのです。

 

 

創造性がつぶされる教育の現場

創造性を育むために必要な場面では、見守り育てる女性性が必要です。

 

そこでむやみに男性性をつかうと

創造の芽をつんでしまいます。

 

私は、幼い頃から、

教師とよばれる人たちや親が、徹底的に子供たちの創造の芽をつむ瞬間をたくさん見てきました。

 

友達のお母さんは、子供の頃に図工の時間に絵を描いていた時、先生に「きたない色だね」と言われ、絵を描くことに抵抗がうまれたと言っていました。

私自身も、美術やデザインを学ぶ過程で、先生からとんでもない侮辱の言葉を投げかけられたこともあります。

 

そういう方の発言内容は、不思議なことに

取り組み方や技術的なことに関するアドバイスではなく、相手の感性(人間性)の否定なのです。

 

 

そして、相手を完膚なきまでに打ちのめすその張本人こそ、過去に自分自身が創造性を徹底的に否定され、ジャッジされてしまった人です。

 

私は大人になってからあまりにも苦しさを感じ、創造性を回復するためにいくつかの種類のアートセラピーを学びましたが、やはりその中にいたのは、表現のトラウマを持っている人たちでした。

 

幼い頃に先生から絵の出来をなじられて、怖くて描けなくなった人。

幼い頃、お母さんのために作った作品をゴミのように投げ捨てられた心の傷を抱えている人。

 

 

私は、さまざまな表現のトラウマを抱えて苦しんでいる人たちを見てきて、なぜこんなにまで創造性自体が迫害されているんだろうと、この社会の風潮自体に疑問が湧いてきました。

 

結局、あらゆることを学んで分かったのは

「世の中で女性性と男性性が間違った使い方をされているため」だということ。

 

それは、教育の現場に限ったことではなく

社会情勢もそうでした。

 

 

男性性が過剰になれば、戦争が起きます。

女性性が過剰になれば、政治腐敗が起きます。

 

 

そしてそれを起こすのは、女性性と男性性のエネルギーが、ネガティブスパイラルによって逆回転をする社会システム。なのです。

 

女性性と男性性のバランスで幸せな社会をとりもどすために

 

私は過去にいろんな業界に体当たりでもぐりこみ

ときには参与観察のような形で、人間関係のエネルギー循環を調査してきたような節がありますが

 

 

社会全体が、女性性と男性性のバランスを崩していることを痛感してきました。

 

 

そして、私にできることは何かないかと模索しつつ、これまでいろいろなことを試してきました。

 

女性性で、あらゆるものを受け入れ、現状維持になってしまって苦しい方

男性性で、何かを成し遂げなければとひた走り、疲弊してしまっている方

 

いろいろな方がいますが

 

結局、

女性性のバランスが崩れれば

男性性のバランスが崩れ

最終的に全体のバランスが崩れます。

 

 

そんな崩れてしまった内面のバランスを取り戻し、自分の中心に還っていくことができれば

心の安らぎと同時に力強さや安定感も生まれ

自分本来の知性、つまり適切な判断力も取り戻すことができます。

 

 

私は、「自分自身であることを100パーセント楽しんで謳歌すること」以外、この人生でやることはないと思っています。

その結果として、自分が生きることそのものが、社会貢献につながっていくと思っています。

 

 

自分自身の中心とつながって、

自分の中から湧き出すものを信じ、チャレンジしながら

 

一度きりの人生を、最高に楽しんで生きる。

 

そんなことが可能になる、女性性と男性性のエネルギーを多くの方に知っていただきたいと思っています。

 

 

 

剣れいや

 

 

「子供たちの創造性をつぶす教育?「みる」という行為にかくれた女性性と男性性のバランス」への 1 件のコメント

  1. いつも更新楽しみにしています。去年の11月に体調を崩して、自分には赤いエネルギーが足りないんだと思って検索していた時れいやさんのブログに出会いました。そこで自分の中の女性性が過多になっていたこと、その仕組み、過去の出来事など、とても合点がいき、何かしようとする時いつもそれ打ち消していた自分の声に気づきました。大学は美術の方面に行きましたが、周りとの差を感じ、人に絵を見せるのが本当に恥ずかしくて、好きで行った大学もとても苦しい日々でした。今まで自分の想いを表現すること、絵を見せることが出来ませんでしたが、最近ツイッターを始めたりと新たな事に挑戦し始め少しずつ自分が変わってきたのを感じます。れいやさんのブログに出会えて本当に感謝しています。感謝の気持ちを伝えたくてコメントさせて頂きました!

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