こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
先日、2週間にわたる自分内探検から帰ってきました、という記事を書きました。
あの後、いろんな方から「お帰りなさい」と言っていただき、それが意外だったのでなんだか面白かったです。
自分内探検、過酷だったけど得るものがたくさんありました。
そして、今回の旅のひとつのテーマとして「罪悪感」というキーワードが浮き上がってきました。
ココロをたどる過去の旅
先日の記事では、2週間に渡る自分内探検とお伝えしていました。
正確には、2018年の9月末くらいから徐々に自分の深いところに降りていって、何回かにわけてさらに深いところにダイブしていたのでした。
2週間とお伝えしたのは、探検の中で深い水に潜るような感覚が2週間あったためです。
(その間、ブログ更新はしてませんでしたが、個人セッションのご提供や自身の活動は続けていました)
自分の中に潜っていく旅というのは、あくまでも精神状態をイメージ化したお話です。
なので、私がお伝えしている自分内探検というのは
「あえて言語化するなら、こんな感じです」という例え話です。
もちろんカラダ自体は普段通り日常生活を送っているし、ちゃんと仕事もしているのですが、不思議と現実の中でも出会う人が変わりました。
私にコンタクトを取ってこられるクライアントさんも、共通するテーマを抱えている方ばかりで「シンクロしてるなあ・・・」と感じていました。
そして、その水のような深い感覚にダイブしたあたりで、ある偶然が起き
ずっと忘れていたけれど、幼い頃に夢中になっていたことをたくさん思い出したのです。
幼い頃のわたしが教えてくれたこと
私は幼いころ、家の中にも、学校にも、安心できる場所を見出せずにいました。
誰からも相手にされず、ほとんどひとりでいました。
そのせいでしょうか。
自分で自分を癒すために、いろんなことを頑張っていたようです。
たとえば、小学生の時は
自分のためにお菓子作りをしたり、物語を作ったり、曲を作ったり
卵の殻で型をとってキャンドルを作ったり、
葉っぱや花を摘んできて鍋で煮出して草木染めをしていました。
中学になると、ハーブを育ててみたり、アロマオイルを買ってきたり、自分のために紅茶を淹れるのに必死になったり・・・、していました。
振り返ってみて思うのですが、
私はどこにも居場所がなくて苦しくて
どうしようもなかった自分のために、
自分で自分を癒すためのセラピーをしていたんですね。
いろいろやっていた割に「楽しかった記憶がない」のです。
だから、幼い頃に夢中になっていたことではなく
「必死でやっていたこと」のほうが表現として合っているかもしれません。
今より少しでも
深く息ができるように
今より少しでも
明日を生きる希望が持てるように。
鬱ギリギリの精神状態でも、かろうじて私に残されていた
創造性、クリエイティビティというものが、私のせめてもの救いだったのでした。
創造性が、外側に得られなかった居場所を私の内側に作ってくれていたのです。
逆に言えば、私に創造性が残されていなかったら、私はもうとっくに死んでいたんじゃないか。とも思います。
ただ、それでも
ある時から、創造性をほとんど封印してしまっていました。
封印してしまった原因は、罪悪感でした。
私が才能を発揮したら、大切な人を傷つけるんだ。
私が創造性を発揮したら、大切な人から嫌われるんだ。
幼い頃、そう思い込んでしまった経験がありました。
その思い込みが原因となり、その後も自分の創造性はことあるごとに封印してきました。
でも、逆だった。
私が創造性を封印していたら、
クライアントさんの創造性の封印を解くことができない。
自分が自分にできないことは、他人にもできないのだ。
自分で自分を愛せなければ、他人を愛することができないように
自分が自分に許可できないことは、他人にも許可できない。
よって、相手の封印を解くこともできない。
解き方がわからない(わかりたくない)といったほうがいい。
でも、もうこのままでいることはできない。
誰のためにもならない。
私が本気で、自分と他者を想うのであれば
私がもっともっと解放され、
才能を発揮していくこと。
他人にどう思われるとかではない。
自分のあり方の問題だ。
私が自分を解放して、はじめて
私と同じような経験をしてきた人の希望になることができるのだ。
罪悪感を手放すのは、勇気がいる。
できない自分を演じているほうがよっぽどマシだと思えるくらい、辛い。
罪悪感の裏には、抑圧した怒りが存在しており
その怒りの底には、封印された悲しみが横たわっている。
でもまず、私がやるんだ。
一歩踏み出すんだ。
私が幼い頃の罪悪感を手放すことが
私が癒されることが
回り回って
誰かの癒しになっていくんだ。
私は、子供の頃に自分を癒すために作っていたキャンドル創りを、またはじめました。
幼い頃は、一人で耐えるように創っていたけど
これからは、関わってくださる方と、癒しや情熱を分かち合うように。
そんなふうに自分の創造性を活かし、楽しんでいきたい。
2019年。元号も変わり、本格的に新しい時代がやってくる。
古い自分を手放し、もっともっと解放していこう。
明日が来るのが楽しくなるような、癒しやときめき、情熱・・・そういったものをお届けできたらいいなと思っています。
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剣れいや
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