子供の頃にガマンした人ほど遊ばねばならぬのだー!!

こんにちは。剣れいや(つるぎれいや)です。

 

2018年になった今、振り返って2017年を例えるならば

腐敗したドブの沼に潜って一番大切だった落し物を拾ってこなければならない。

というような表現がぴったりな、すさまじくワンダフルな年でした。

 

 

イメージ的に例えてみましょうか。

 

まず、

「常識的にはこう生きなければならない だろう。これっぽっちも好きじゃないけど。」

 

っていうこびりついていた信念みたいなのが、脳内現実でドブ沼と化して目の前に広がってました。

 

そして、どうしてもその中に入らなければいけない気がしたんです。

 

そして、潜っていくと・・・・

 

沼化した「我慢しなければ」の信念たちが、一千倍くらいにクローズアップされたかのように語りかけてくるんですよ。

 

 

「お前それ本気で思ってんの?

本気ならこのまま一生つづくよ。

それでいいなら、そのままでいいけど」

 

 

って、何度も何度も何度も何度も・・・

 

 

 

そして、

「はいごめんなさい、嘘でした。もう無理です。やりたくもなかったです」

って認めざるをえなくなった。

 

とっくにわかりきっていたことだったけど、それでも「頑張ればできるんだぜ」って思いたかった。

 

 

でも、思い知らされました。

 

やりたくないことで頑張るって、何のために生まれて来たのか分からない。

 

 

1年間かけて、拾い上げた宝物

 

それは、「物」ではなかった。

 

 

私が呼吸困難になりながらドブ沼の底から救い出したのは

 

「自分のホンネ」だったのだ。

 

子供の頃から大人として生きてきた自分

私は、子供の頃から手のかからない子だといわれていました。

 

つねに大人しくして、決して甘えずに、わがまま言わずに、年下の面倒はよく見るし、親が大変そうだったらなんとか我慢して家庭が円満になる方法を模索して、頑張っていました。

それでも小学生くらいで疑問や生きづらさを感じてはいました。

 

何かおかしいな・・

 

それで、教育テレビの「子育て」の番組を見たりして、自分が親になったらどうやって子育てすればいいのかを学んだりしてました。小学生がだよ。

(改めて書いてみると、あまりの異常さに鳥肌たちます)

 

カラスさん
ゾッとするわー

そして11歳の時、とうとう身動きが取れなくなり、布団から起き上がれなくなりました。

 

怒り狂う両親。

彼らは限界に達していた私を小児科につれていきました。

 

小児科の先生に言われた一言を今でも覚えています。

「え?小学5年生?高校生かと思った」

 

私は、子供ながらに

なんとか、家族が幸せに暮らせたらいいと思っていた。

 

でも、あまりにも不安な現実に絶望し

「自分が大人にならなくちゃ」と

 

ずっと気をつかって生きていました。

 

 

たったひとつのささやかな願いのために。

それは

 

「家族みんなで笑顔になりたい」

 

大人たちはみんな、自分のことでいっぱいいっぱいでした。

 

イライラしていたし、こちらに不満や不安をぶつけてきました。

でも、私が受け止めさえすれば、みんな幸せになるんだと

 

頑張って頑張って

その後も

30年以上

 

頑張りました。

 

そして、生きるのが苦しくなって

心理学を学んで、自分を回復させるためのヒーリングやセラピーを受けて

 

あるとき悟ったんです

 

 

アホか!!!!!と!

 

なんで頑張ってんだ?

なんで自分の幸せのために生きられないのだ?

なんで家族と取引先と友人のイライラの受け皿になってんだ?

なんでいつも泣き寝入りなんだ?

なんで自分だけが我慢すればいいんだ?

 

ふざけんなですよ

自分に嫌気がさしましたよ

 

頑張ったよ

もう十分だ。

 

つぎ、いこう。

 

それからも苦しかったです。

3年くらいかけて、ようやくリハビリ終わりかける感じです。

焦らずすこしずつ、回復してきました。

 

遊ぶってなんだろう?

 

私は幼い頃、よく分からない言葉がありました。

 

遊ぶってなんだ?」

楽しいってどういうことだ?」

優しいってどういう人のことだ?」

 

きっと私は、

親が心配しないように遊んでるフリをしていただけで、

心から楽しんで遊んだことはなかったんです。

 

「優しい」と言われるたびに

ほんとうの優しさってこういうのじゃないはずだ・・・」って心のどこかで感じていました。

 

下校途中に蚊に血を吸われたときにも

「このまま血を吸わせてあげるのが優しさなんだろうか・・」

と考えたりしました。

 

 

楽しむことも、遊ぶことも知らない子供時代。

 

 

楽しんだり、遊んだりって

余裕がなければできないことです。

子供の頃から大人のように義務感を感じて必死だった私は常にギリギリで

遊ぶことも楽しむこともできなかったのでしょう。

 

 

失った時は戻らないけれど、子供の頃に自分を殺してがんばりつづけた私のためにも、残りの人生を楽しみたい。

いつ死んでも悔いが残らない人生にしたい!

そんな欲求が湧いてくるようになりました。

結果よりもプロセスに没頭できることが遊びの醍醐味!

この記事の写真、実は動画で撮ったものをスクショしたやつなんですけど

動画のなかで、自分がほんっとうにアホみたいに楽しそうで

無邪気か!

と思わずつっこみました。

見たことないくらい楽しそうだったんです。自分の知らない一面を見た気さえしました。自分のことは、意外と自分がいちばん分かってない。

 

「おお、そっか、こういうの好きなんだね」って

自分にひとつづつ確認していく。

 

子供時代を取り戻そうってわけじゃなくて

ただ、これからをもっと幸せに、充実したものにするために。ひとつひとつ確かめていきたい。

 

遊び。

言語で「良い」って認識するんじゃなくて、

ワクワクして体が勝手に動くような感じ。

 

的確に言語化できないけど

夢中になって、集中して、エネルギーが軽くなる。

 

体があるのに、ないような。

時間が経つのも忘れるような感覚。

 

それが遊びなんだと、ようやく分かってきました。

 

その感覚になる対象は人によって違えど

結果よりもプロセスに集中できることが遊びの醍醐味だと思うんです。

むしろ集中というより、没頭

 

結果が理想的ならそれに越したことはないけど、そうじゃなくても楽しいからOK!

そう思えるものが、人生にあるといい。

それが人生の彩りになっていく。

 

死ぬ間際に、

「あーー、そういえばアレ、めっちゃ楽しかったなぁ・・!」

って思たら・・いいね。

 

そんな事をたくさんやりたい。

 

アップルのスティーブ・ジョブズさんも、亡くなる前に言ってた。

「私はずっと結果ばかり求めて来たけど、後悔してる。もっと人生を楽しめばよかった。」

って。

人は自分自身に禁じていることをしてる人が許せない生き物

 

子供の頃に、抑圧してきたことは

たいてい大人になっても、無意識に継続してます。

そして、それが当たり前すぎて、疑うこともない。

 

だから、遊んでる人を見るとザワザワして

「なんだアイツは!遊んでばかりいるじゃないか!もっと周りのために貢献しろ!!」

と怒りがこみ上げてくるんですね。

 

でもそれって、子供の頃の自分の叫びが

大人の自分の脳内言語に変換されたものなんです。

 

だから翻訳すると

「なにそれ、いいな!!!!俺もあそびたい!!!!!!」

って叫んでるんですよ。

皮肉なことに。

 

だから、大人になった自分が、こう言ってあげられるんです。

 

「子供の頃、そんなに頑張ったなら、もういいじゃん。そろそろ遊ぼうよ!」

ってね。

 

自分が遊ぶことをOKすれば、世界はもっと楽しくなる。

 

剣れいや

 

 

 

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