罪悪感を手放す。過去の作品を燃やした日

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

今回は、

過去の私が

作品と自分を同一視しすぎて

苦しくなっていたとき

 

作品への執着を捨て、

自分を取り戻したときの出来事を

お話しようかなと思います。

 

もしかしたら、長くなってしまうかもしれませんね・・

 

なので、

まあ、お茶でも飲みながら、のんびり聴いていただければと思います。

 


私はずっと、

自分自身に価値は無いと思っていました。

 

なので、

誰かに評価されることをしなければいけないんだ

 

と、思って生きてきました。

 

 

私は、幼いころから創作が好きだったのですが

 

結局のところは

周りから評価される作品を作らなければ、

そもそも「創作すること自体」には価値がないのだと

固く信じてきました。

 

幼いころから

とにかく、何かを創るのが好きで

友達とも遊ばずに、何かを創っていました。

 

自分の中の、想像の世界で

遊んでいたんです。

 

私の作品は、なんというか

ぶっ飛んでいるものが多く

ほとんど動物が主人公でした。

 

6歳のとき、

一番最初に作った絵本のことを、いまだに覚えています。

 

タイトルは

「にわとり山のお菓子屋さん」でした。

 

ざっと

あらすじを、ご紹介してもいいですか?

 

あ、ブログだからお返事を聴けないですね。

では、簡単に紹介させていただきます。

 

にわとり山に住む

にわとりのケーキ屋さんがいました。

 

そのケーキ屋さんは、

店舗の表はきれいにしているのに

裏庭はゴミだらけ。

 

魚の骨やら、生ゴミが散乱していました。

 

お客さんは、そこそこ入っていましたが、

にわとり山のケーキ屋さんは

別段、仕事が面白いわけでもなく、

ただふつうに淡々と仕事をしていました。

 

ある日、これまで来ていたお客さんが

ぱったりと来なくなってしまいました。

 

にわとり山のケーキ屋さんは困りはてました。

 

「どうしてお客さんが来なくなってしまったんだろう?」

そして、考えに考えて、

いろいろと思い悩みましたが

理由が思いつきません。

 

ある日、ふと思い立って

山から降りて

街にいってみることにしました。

 

するとどうでしょう!

 

「新しくできたケーキ屋さん」に

長蛇の列ができています。

 

ショックを受けた

にわとり山のケーキ屋さんは、

 

あまりの悔しさに、

産業スパイ(?)として潜入し、

 

人気の秘密をリサーチすることにしました。

 

そのお店は、とってもきれいで

内装もカラフルでピカピカ。

 

楽しい雰囲気のショーケースの中をのぞくと

素敵なケーキが並んでいます。

 

お客さんは、

みんなうれしそうにケーキを買って

にこにこ笑顔でお店を後にしていました。

 

にわとり山のケーキ屋さんは

あまりにショックだったので

適当にケーキを買って

逃げるようにお店を後にしました。

 

それから、にわとり山のケーキ屋さんは

必死になりました。

 

なんであの店が流行っていて

うちはダメなんだ!

 

でも、イライラしても答えは見えてきません。

とうとう、

にわとり山のお菓子屋さんは

考えるのをやめ、

一大決心をしました。

 

最高のレシピを考えよう!

自分にとっての最高のケーキをつくろう。

 

来る日も来る日も

新しいメニューを考えては、試食をつづけたため、

ブクブク太ってしまいました。

 

それでも、にわとり山のケーキ屋さんは、

あきらめませんでした。

 

くやしくて、くやしくて

涙が出てきましたが

 

それでも

絶対に、最高のケーキを作りたかったのです。

 

どんな店にも負けない、最高のケーキを。

 

どのくらい月日がたったでしょう。

 

にわとり山のケーキ屋さんは

どうなったのでしょうか?

 

にわとり山の頂上に店を構える

にわとり山のケーキ屋さん。

 

そのお店には、長蛇の列ができていました。

 

 

ゴミだらけだった裏庭も

ゴミひとつ落ちていません。

 

ピカピカの店内には

自分にとって最高のケーキを、

胸を張って売っている

にわとり山のケーキ屋さん。

 

にわとり山のケーキ屋さんは

これまでのお客さんを超える

たくさんのファンに囲まれて

幸せに仕事ができるようになりましたとさ。

 

 

おしまい


・・・・

こんな感じです。

 

今思い出しても

ビジネス書みたいな絵本だなあ、と感じます。

 

この絵本は、もう存在していないのですが

幼い頃の私が遺してくれたこの絵本のことを

なぜか強烈に覚えています。

 

なぜ「遺してくれた」という表現をしたのかというと

 

私は、11歳の頃

一旦死んだのかもしれない、と

たまに思うことがあるからです。

 

 

11歳の頃

私は、精神を病んで

学校に行けなくなり

両親が怒り狂っていました。

 

当時、私は学校で

運営委員会に所属していたのですが

私が不登校になったことが知れ渡り

PTAから親に対して、嫌がらせの手紙が届いていました。

 

「運営委員の子が登校拒否だなんて、世間体が悪すぎる。一体、親はどういう教育をしているんだ」

という内容だったと思います

 

そのとき私は

自分はなんて親不孝なんだ

私なんて、生きているだけで恥晒しなんだ

 

もう死んだほうがいいんだ

と思いました。

 

それから、ほぼ目の前が真っ暗になり

記憶が飛び飛びなのです。

 

覚えているのは

夕食の前に毎日のように

上座に座りこんだ父親が

私に暴言を吐いていたこと

 

私は、離れた場所のソファーで

その場から逃げることもできず

凍りついたように

何もできず

ただその言葉の暴力に耐えながら

本を読んでいるふりをして

顔をかくして泣いていました。

 

なぜか、家族の前で涙を見せることはタブーでした。

 

自分の部屋が無かったので

いつも、泣きたい時は

トイレにこもって泣いていました。

 

もうひとつ、覚えている情景は

とうとうリビングに居場所をなくした私が

真っ暗な玄関に、膝を抱えて座っている姿です。

 

ガス中毒のように、あたまが朦朧としていました。

 

振り返ると、私はあのとき

死んでいたんじゃないかと思うのです。

 

よくわからないのですが、そう思うのです。

 

とにかく、紆余曲折を経ながら

私はなんとか回復していったのですが

 

明らかに、もう

ほんとうの私は、いませんでした、

 

そこにいたのは

「いい子」になろうと決めた私でした

 

優等生の仮面をかぶり

評価を得ることに奔走していました。

 

勉強を頑張っていい成績をとらなければ。

 

絵画コンクールでは賞を取らなければ。

 

これまでの親不孝を塗り替えるくらい

社会的に素晴らしいことをしなければ

 

と思っていました。

 

今、振り返ってみて

思うのです。

 

私が走り続けていた動機は

「罪悪感」だったんだと、

 

 

大人になり、

社会での立ち位置をみつけ

 

当時の業界内では、

あるていど感謝される仕事につきました。

 

最終的には

自営業になり

指名で仕事を頼まれるレベルの職人になったのです。

 

その業界で

総計10年のキャリアを積んだあたりで

 

ふと、死にたくなりました

 

 

これ以上、このままの生活が続くなら

生きてる意味はないな、と

直感的に感じました。

 

表現したいのに表現できない苦しみ

私はその後、

ヒーリングやセラピーなどを受け

自分が表現したがっていることに気づきました

 

でも、どうしても表現する勇気が持てませんでした。

 

 

何か描きたいと思っても

真っ白な紙や

キャンバスを前にすると

恐怖感が襲ってきて

頭の中が真っ白になり

なにも描けないのです。

 

苦しくて、苦しくて

でも、どうすればいいのかわかりませんでした。

 

 

そんな中

「表現アートセラピー」というものを知り

半年間のワークショップに参加しました。

 

2015年のことです。

 

 

そして、表現のトラウマを抱えている人が

私以外にも

たくさん居るんだ、ということを知りました。

 

別にそれが救いになったとは言いません。

自分の中の傷や、抱えている問題は、

あくまでも自分のものだから。

 

 

ただ、

共に戦っている仲間がいるという事実は、心強かったです。

 

そして、ある日私は

突発的に

過去の作品を捨てたくなったのです。

 

実は、

ずっと昔から

私の部屋のクローゼットの奥には

 

幼い頃から

高校生、大人になるまでに作ってきた

絵本や、漫画や詩をまとめたファイルが

ぎっしりつまった箱がありました。

 

ところが、急に

ずっと大切にしてきたはずのその箱に

強烈な違和感を感じ始めたのです

 

なんど引越しを繰り返しても

ずっと手放さなかった、その作品たち。

 

 

その箱から、

苦しみのエネルギーが、にじみ出ている感じがしました。

 

もっとストレートに例えると

過去の私の苦しみが

成仏できずに封印されている感じがしたのです。

 

複雑な気持ちでいっぱいになりましたが

なんとなく

「その時が来た」と感じていました。

 

私は、その日の夜に

関東某所の河原に向かって

ひとり車を走らせました。

 

 

車の助手席に

その箱を乗せて。

 

 

そして、

ほぼ、勘のようなものを頼りに

ネイティブアメリカンの

ビジョンクエストという儀式に使う方法で

安全な場所をつくる準備をしました。

 

 

「たいせつだ

たいせつなものだ!」

と思っていた割には

 

実際に、どんな作品だったかを

見返したことはありませんでした。

 

そして、勇気を持って

幼い頃の作品を

読んでみました。

 

「にわとり山のお菓子屋さん」は

もっと昔に処分されてしまったので

すでに無かったのですが

 

その後に作った絵本がたくさんあり

それを読んでみました。

 

「ワクワクするような楽しい作品」なのだ

と思い込んでいたのですが

 

私の記憶に反して

作品からは、怒りや苦しみを感じました。

 

登場人物の発言も、

びっくりするくらい攻撃的でした。

 

そして、

過去の私が

どれだけの思いを封印しながら

想像の世界の中で、必死で耐えていたのかを知ったのです。

 

そっか・・・

私は、辛かったんだね。

苦しかったんだね

もう大丈夫だよ。

 

その安全な場所の中で、

静かに、

過去の作品たちを

燃やし始めました。

 

何時間も

何時間も

消えていく

作品を見つめながら。

 

たまに騒々しい音を立て

スリルを楽しもうとする車が、河原を走りにやってきましたが

すぐに去っていきました。

 

 

私は、ただ黙々と

燃やし続けました。

 

3時間ほど経ったころでしょうか。

 

 

ふと

空を見上げ

星空に向かって舞い上がる火の粉を見ました。

 

 

その瞬間

「ありがとう」

という言葉が

頭の中に降りてきたのです

 

 

私は

なんだか無性に泣けてきて

 

ただ泣きながら

燃やし続けました

 

そして

気づいたのです。

 

 

私は、ずっと

「評価された過去の作品」にこそ

価値があるのだと思ってきた。

 

 

だから、

その作品が消えてしまったら

私の価値も消えるのだと信じてきた。

 

 

でも違った。

 

 

手放してみて、わかったのだ。

 

 

価値があるのは、

作品ではなく

私だったのだ。

 

 

私の「いのち」だったのだ。

 

 

私の作品に価値があったのではない。

 

作品を作り出した

私に価値があったのだ。

 

作品は、ただの結果だった。

 

作品は、産まれた時点で、

私の中から出た時点で

私から離れた。

 

私から離れた時点で

それは私ではない。

 

 

私が生み出したものかもしれないが

それは、過去の私が生み出したものにすぎない。

 

 

私はこれまで、

過去の作品に執着することで

 

 

今この瞬間と、

これからの未来にかけるエネルギーを

無駄にしてしまっていたのかもしれない。

 

 

でも、もう知ってしまった。

 

 

本当に価値があるのは

今、この瞬間に生きている私のいのち

 

 

私が、

自分のいのちを大切にする限り

 

私は、

価値ある一瞬一瞬を生きることができる。

 

 

それが、

幸せな自分の状態で

未来に向かっていくということなのだ。

 

 

人は、何度でも

同じ過ちを繰り返す。

 

あのとき、あんなにハッとしたのに

 

気づけばまた、

自分を責めつづける自分に逆戻りしてしまう。

 

 

でも、あの日の

私の経験は消せない。

 

あの経験をした私こそが

今、ここに生きている私だから。

 

 


結局その日、

私は6時間にわたって作品を燃やし続け

 

明け方に仮眠をとってから、ゆっくり帰宅しました。

 

 

私の部屋に常に

ブラックホールのような、

あらがいがたい重力をつくりだしていた

その箱は、もうありません。

 

 

もしかしたら、

その日から一歩一歩

 

今に続く

自分にとっての表現の道を

取り戻しているのかもしれません。

 

 

これから先、私がどんな表現をしていくのか

それは、私にもわかりません。

 

でも、

決して自分を裏切らず

自分に正直に、感じたままに

表現していきたいと思っています。

 

 

最後までおつきあい頂き、ありがとうございました。

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

「罪悪感を手放す。過去の作品を燃やした日」への 1 件のコメント

  1. 炎は美しい。
    心の中のお話、好きですよ。

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