表現のトラウマからたどりついた世界。舞踏〜Butoh〜

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

私は過去に、表現することが苦痛になり

30年ほどの間、自分の表現を見失っていた時期があります。

 

その後、表現のパートナーである鏡ざゆら氏を通じて

身体芸術である

舞踏〜Butoh〜という表現手法に出会いました。

 

 

私は、舞踏〜Butoh〜という世界に触れることで

 

外側の何かを模倣していくことから

自分の内側を表現することへと興味が移行し

 

変化ではなく、変容

表現ではなく、体現

 

というような、舞踏の哲学に感化されていきました。

 

私の表現手法は、もともとは絵でした。

しかし、どうしても描けなくなり

そこから音楽という表現に行き着き

しかしそれも行き詰まっていました。

 

 

そんな私が、最終的に

「身体芸術」に感化され解放さていくというのは、まったく予想もしていなかったことでした。

私は舞踏を習得しようと思ったわけでもないのに、鏡ざゆらをつうじて舞踏の精神を受け取り、

絵も、音楽も、これまでの枠をぶち壊すことができ、自分の表現を模索する道に入りました。

 

何十年も、ずっと止まっていたのに

歩き始めることができたのです。

 

奇跡のように感じました。

 

消えていく舞踏

 

鏡ざゆら氏は、舞踏に出会い

大野一雄舞踏研究所の研究生として、大野慶人さんから教えを受けていました。

 

鏡ざゆら氏から、毎回の舞踏教室の話を聞き

日本発祥の舞踏という表現が、世界からどれほど興味を持たれているのかを知りました。

大野慶人さんの生前は、毎週、舞踏教室にはるばる海外から生徒が訪れていたようです。

 

ブラジル、ドイツ、イギリス、フランス、中国、ハワイ、ポーランド、台湾・・・・

様々な国から、様々な表現者が集う場所。

 

日本国内からも、既存のダンサーとしての表現、俳優としての表現に行き詰まった人がヒントを得に訪れたり、画家やイラストレーター、デザイナーのような方も訪れていたようです。

そのほかにも、映画監督、写真家、新聞記者など、あらゆるジャンルの表現者が、舞踏という世界に感化され、研究所を訪れていました。

 

そんな矢先、大野慶人さんがご逝去されました。

 

 

これまで舞踏を学ぶために日本に集っていた人々は、また世界に散らばった。
大野慶人さん亡き後、舞踏はどうなるのか、継承者は?

 

 

 

私が思う「舞踏」のすごさ

私は、鏡ざゆら氏をつうじて舞踏に触れ

舞踏の凄さは「型がない」ことだと思いました。

 

しかし、型がないからといって

好き勝手に動いたら、舞踏ではなくなる。

 

 

では何が舞踏を支えているのか?

 

 

私は、それを

「軸」だと感じました。

 

 

型ではなく、軸。

 

 

舞踏という身体哲学によって

自分の心に、体に問いかける。

 

 

そして少しずつ

その人の表現に「軸」が生まれる。

 

 

軸に支えられることで

外側に見えるカタチがどのように変わろうとも

ブレずに、その人の表現たりうる。

 

 

 

私が、絵という表現手法に舞踏性を取り入れることができたのも、たぶんそういう原理だったからだと思うのです。

 

舞踏は、身体芸術として発展したけれども

 

その舞踏性は、私を変え

私の表現の枠を破壊した。

 

枠の中で名乗るのではなく

すべての枠を破壊してなお

自分として立ち続ける。

 

 

そこに

唯一無二である

「存在」が現れてくる。

 

それが舞踏なのだと。

 

 

舞踏は撒かれた

 

鏡ざゆら氏は、教えを乞う師匠を失い

しばらく悩んだようでした。

 

 

しかし、その後

 

鏡ざゆら氏はこう言っていました。

 

「舞踏はゆっくり消えていくと思う」

「しかし種は撒かれた。世界中でそれが芽を出していくだろう」

と。

 

 

私も、そうなのだろうと感じました。

 

舞踏という哲学

舞踏という現象

 

それが、世界中の表現者を巻き込み、大きな感化の流れをつくり

 

ひとりひとりが「舞踏性」という種を、持ち帰っていった。

 

 

だとしたら、やがて

芽吹きの時期がやってくるはずだ。

 

 

 

私は、ここ数日、毎日のように鏡ざゆら氏と議論していた。

 

鏡ざゆら氏が、自身を中核とした表現集団をつくるために動き出すからだ。

 

 

少しずつ、見えてきている。

その時が近づいている気がしている。

 

 

 

 

書籍「舞踏という何か」Something Called Butoh [Bilingual ed.]

鏡ざゆら氏が、こんな本を持ってきました。

カバーには、2017・2018年度に実施したアンケート調査で
「あなたは舞踏をどのように説明しますか?」という質問に対して国内外から寄せられた回答、全467件が掲載されています。

(このとき私もアンケートに回答してたので、たぶん入っている・・・探してませんが)

その後探しました。
私の回答、多分これ。

「哲学的なアプローチをする身体表現」

こちらの書籍「舞踏という何か」

NPO 法人ダンスアーカイヴ構想が、2017年から3 年間にわたり国内外の舞踏家に実施したアンケート調査の成果報告書。

と、謳われているので、なんだかとっつきづらそうに感じますが、カラーでわかりやすいデザインになっていて、とても読みやすかったです。

舞踏ってとっつきづらそうなイメージだけど、この本は初めての方にも入りやすいと思います。

舞踏という流れを生み出した第一世代の表現者と、自分の舞踏を見出し継承する表現者、舞踏の道を志し活動する表現者。

国内や国外のデータが表やグラフなどに盛り込まれていて「舞踏とは何か?」をあらゆる角度から徹底的に追求したんだなあと感じました。

「土方巽」「大野一雄」「大野慶人」
舞踏の第一世代と呼ばれる舞踏家が、舞踏の精神を伝えることができなくなった今。

なんとか舞踏というものの痕跡を残したいという方々の熱意が形になったものなのだと。

破壊と創造のヒントがぎっしり詰まった本です。

(バイリンガル本なので、英語でも読めます)

寄稿者:
Oguri、田中トシ、ゆみうみうまれ、吉岡由美子、マーゴ・オリボー、ケイトリン・コーカー、石井則仁、伊藤キム、大橋可也、笠井瑞丈、鈴木ユキオ、高松真樹子、向雲太郎(敬称略)

ちなみに、鏡ざゆら氏も載っています。
(後ろ姿は私、剣れいやです)

書籍はアマゾンで購入できるみたいです。
鏡ざゆら氏から聞いてびっくりしました。非売品なのかと思ってた。

Amazonのサイトで「舞踏という何か」で検索すると出てきます。気になる方はぜひ。

 

剣れいや

 

 

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