こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
当事者として何か伝えられることが何かあればと思いまして、私なりに情報をまとめてLGBTQについて書いてみます。
また、情報は日々刷新されていくので、「ココは古いよ!」というご指摘があれば、どんどんコメント欄から教えていただけるとうれしいです。
多いようで少ない?少ないようで多い!それがLGBTQ
厚生労働省の発表によれば、日本人の20人に1人はLGBTQと言われています。
仮に学校のクラスが30人だったとしたら、クラスに1〜2人は居ると言われます。
そんな状況下でも、「私の周りには、そういう人はいないなぁ」と思えるのなら、それは、当事者がみずからカミングアウトすることが少ないからです。
自分からLGBTQであることを打ち明けてくる人は少数派。
当事者の人たちは、「差別を受けたくない」と気持ちはもちろんですが、むしろそれよりも相手に対して「変に気を遣わせたくないから」という気持ちで隠していることも多いです。
自分が打ち明けることで、気まずい空気にしたくないなぁ。
扱いに困るタイプ認定されて、いろいろ気をつかわせてしまいそうだな。
相手を不快な気持ちにさせる可能性が1ミリでもあるなら、言わないでおこう。
そんなふうに思って、遠慮しています。
それは決して、相手を人間的に信用していないということではなく、
知識や理解が追いついていない人に打ち明けても、混乱を生むだけだと分かっているからです。
相手がLGBTQに関する知識や理解を持っている人どうか?がわからない。
徐々に大きな動きが生まれつつある日本ですが、まだまだ一般的には、
「LGBTQって、言葉は聞いたことあるけど、新宿二丁目にいくような人たちのこと?」
「テレビに出てるような、オネエ系の人たちのこと?」
「あんまり、自分には関係ないと思う」
ぐらいの認識だったりもします。
私はこれまで異業種交流会で知り合ったLGBTQの活動家の方にお話を伺ったり、LGBTQ当事者の弁護士の方、LGBTQ当事者の政治家の方、一般社会で働いているLGBTQの方など、いろいろな方と接してきました。
そして、私自身もLGBTQ当事者のひとりであります。
しかしはっきり言って、私が交流してきた人たちの中で、新宿二丁目に行ったり、オネエ喋りと言われるような表現をする人はごく一部の人たちでした。
テレビやメディアは、エンターテインメント性を重視して、あらゆることを誇張しますから、面白さや奇をてらったイメージが強くなってしまうのもわかります。
一般社会で普通に働いているイメージよりも、ドラァグクイーンのようなイメージを打ち出したほうが、ウケが狙えるからです。
しかし、それが本質だと思われてしまうと認識にズレが生じます。
大半のLGBTの人は、ハッキリ言って、「いろいろ」です。
LGBTQ当事者ではない人たちが「いろいろ」であるように、LGBTQ当事者の人たちも、また「いろいろ」です。
「お酒やタバコは苦手。誘われても飲みにはいかない」という人もいれば、
「毎週、二丁目に行きます」という人も、「二丁目系は苦手だけど、普通の居酒屋に飲みにいくのは好き!」という人もいる。
スポーツやアクティビティが好きな人もいれば、アートや文学、美術館や遺跡が好きな人もいます。
ボランティアをやっている人もいれば、花が好きな人、公園を散歩するのが好きな人もいる。カフェ巡りが好き。犬が好き。蕎麦が好き。ワインが好き。メジャーなアニメや、メジャーなアーティストが好きな人もいる。
質の高い暮らし、健康志向の人も、ゴージャスな生活、高級レストランが好きな人もいれば、マックのポテトや、コンビニの唐揚げが好きな人もいる。
社会でふつうに働いていて「いい出会いがないかなあ」と思いながらも、「ガツガツ出会いを探すのも疲れるなー」と、休みの日は一人で過ごしている人もいる。
友達が多い人もいれば、「たとえ少なくても、本当に理解しあえる人と友達になれればそれでいい」という人もいる。
いろいろな事情で心を病んでしまっている人もいるし、家族関係も良好で、家族にカミングアウトし、明るく元気に生きている人もいる。
LGBTQであることをきっかけに仲間になれる人もいれば、LGBTQ同士であっても「この人とは価値観が違うな」という人もいます。
これらの人たちの年齢も、10〜20代〜さらに50〜60代くらいまでと様々です。
「これこれこういうものです」と定義できないほど、多種多様なのです。
人間はひとりひとり違うので、当たり前と言えば、当たり前のことですよね。
だから、たとえLGBTQの当事者同士であっても、みんな違うひとりの人間であり、さまざまな価値観を持っているのです。
例えば、
「あなたは女性だから、〇〇なんでしょう?」
「女性なんだから〇〇で当然」
「おなじ女性同士なら、気が合うよね。女性同士なら誰とでも仲良くできるはずだよね」
とか、
「あなたは男性だから、〇〇なんでしょう?」
「男性なんだから〇〇で当然」
「おなじ男性同士なら、気が合うよね。男性同士なら誰とでも分かり合えるはずだよね」
なんて決めつけらら、
「そこは当てはまる」という部分もあるかもしれませんが、「んなわけあるかい!」「イメーシで決めつけんな!」と思う部分もあるかもしれません。
例えていうなら、そんなかんじです。
女性でも、男性でも、それ以外の性別や性自認であっても、ひとりひとりが唯一無二の個性を持った人間であり、ひとりひとりが違うのです。
でも、LGBTQというキーワードになると「よく知らない」ということが発端となり、TVやメディアで見聞きしたことをもとに、何らかのフィルターがかかってしまう人が多いのかもしれません。
身近な人がLGBTQ当事者だったら…
YouTubeで活躍するLGBTQの方や、政治家として日本を変えていこうと活躍しているLGBTQの方もいます。しかしまだまだ多くの当事者は、社会の中でひっそりと生きています。
もしあなた周りに、LGBTQ当事者の人がいるとしたら…、と想定してみましょう。
LGBTQ当事者の人の大半は、社会がそういった先入観ゴリゴリの状態であることを知りつつ、そんな先入観を持っているかもしれない相手に、自分のことを理解してもらおうとすることの大変さをわかっています。
当事者の人は、相手にゼロから説明をする時間や労力、相手への心理的負担、起こりうるあらゆる反応、その後の雰囲気まで、ぜんぶ考慮してしまうのです。
その結果、
「ここは黙っておこう」
「ここは一般的な価値観に合わせておこう」
「とてもじゃないけど、事実を話せる状況じゃないから、作り話をしておこう」
となってしまうこともあります。
黙っているのは大変です。
作り話をするのも一苦労です。
相手が発した何気ない言葉に、傷つくこともあります。
それでも、空気を悪くしたくない、場を乱したくない、という気持ちが優ってしまうのです。
そして、苦肉の策として「黙っている」「作り話をする」「傷ついていないフリをする」で乗り切るのです。
傷ついても仕方ない。和を乱すよりはマシ…
たとえば、当たり前のように「結婚」「異性」というキーワードを出されたり「子供はいるのか」という質問などされると、困ってしまいます。
そんなとき、心の中では
「やっぱりそうなるよね…」
「一般的にはそうだもんね…」
「私はそこ当てはまっていないんだけどね…」
と、感じています。
しかし、当事者の人たちは相手や周りに気をつかって、事実を打ち明けることなく、相手の価値観に合わせた言動、その場にあわせた対応をしていることが多々あるのです。
もちろん、自分からオープンに打ち明ける人もいます。
しかし、そうではない人も多いです。
空気を読む。和を乱さない。
みんなと同じであること、普通であることが望ましい。
特に日本は、個人の価値観よりも集団的価値観を重視する、そういった風潮が強いのもあるかもしれません。そんな、日本においての理解が進んでいきづらい現実があります。
表面上の受け入れ体制と現実
これは、LGBTQの当事者向けに転職支援のお仕事をされているエージェントの方から伺ったことなのですが、
「うちはLGBTQフレンドリーです!」とうたっている企業に、当事者の方と一緒に面談に行った際に、担当者の方から「そういえばLGBTQって何なんですか?」と聞かれて、びっくりしたことがあったそうです。
「私はあなたを受け入れます」という姿勢を見せていたから信用してアプローチしたのに、実は口先だけだった、とわかってしまったときのガッカリ感は、最初から拒絶される以上に強烈なものです。
これが、表面上だけ「LGBTQフレンドリー」な日本の企業の実態でもあります。
徐々に変化していくのかもしれませんが、10年前の時点ですでに「LGBTQへの理解が先進国にくらべて50年遅れている」と言われていた日本でしたから、受け入れ体制が追いついていくにも、あるていど時間が必要なのだと思います。
差別用語を知る
昭和の時代までは一般的だった「ホモ」「レズ」「オカマ」「オナベ」といった俗語は、現在ではLGBTQに対する差別用語として認識されています。
逆に、当事者たちが当事者同士のコミュニケーションの中で、差別用語とされている表現を”あえて”使うことはあるようですし、当事者が自分の存在を社会に印象づけたり、受け入れやすくするために使うることもあります。
しかし第三者視点での会話の中や公的な場で使うことは、やはり避けるべき言葉といえます。
ちなみに、LGBTQの正式名称はこちらになります。
Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)
Gay(ゲイ、男性同性愛者)
Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)
Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)
QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング ※)
※ 性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつとしても使われることがあります。
出典元_東京レインボープライド2023
ちなみに私自身はトランスジェンダーに当てはまりますが、厳密にいうとトランスジェンダーの分類の中のXジェンダーです。(表記としては FtX となります)
そうはいいましても、実際のところ性は限りなくグラデーションであり、一概に枠にはめることが適切とは言い切れない、というのがLGBTQの研究結果における最先端の考え方となります。
以下、レインボープライドの公式サイトから抜粋してご紹介します。
性はグラデーション
性のあり方は、単純に「男性/女性」だけではなく、分解して考えてみるといくつかの要素に分けて考えることができます。例えば、以下の4つの要素に分けて考えてみましょう。
法律上の性別
生まれた時に性器の形などから、お医者さん等に「女の子ですね」「男の子ですね」と言われ、役所に届け出ることで法律上「女性」か「男性」に割り当てられる性別のことです。
性自認
自分の性別をどのように認識しているか、という要素。男性だと認識している人、女性だと認識している人、中性だという人、決めたくないという人など、様々です。
性的指向
自分の恋愛や性愛の感情が、どの性別に向くか/向かないか、という要素。 異性を好きになる、同性を好きになる、どちらの性も好きになる、性別で好きになる人を決めたくない、特定の誰かを好きにならないなど、様々です。
性表現
社会的にどのように性別を表現するか、振舞うかを表す要素。 俺・僕・私といった一人称や、服装でスカートがいい、パンツスタイルが合うなど、様々です。性のあり方はLGBTQとそれ以外の人でくっきり分かれているのではなく、グラデーションになっています。
出典元_東京レインボープライド2023
LGBTQについて調べていくうちに、「私はこれまで自分のことを、普通に女性だと思っていたけど、こうしてみると厳密には違うのかも!」と新たな発見をする方もいるようです。
“心の違和感”誰にも話せず60年
67歳で男性から女性へと性別を変更された方の記事をご紹介します。
“心の違和感”誰にも話せず60年… 67歳で男から女へ性別変更「打ち明けられずに生きてきた中高年はたくさんいる」
戸籍上は男性として生まれながら、67歳にして女性として生きることを決意し、性別適合手術を受けた小百合さん。
幼少期から生きづらさを抱えながらも、男性として結婚、育児、そして離婚と、あらゆる経験をされ、最終的にLGBTQであることに気づかれたそうです。
そして、社会的に女性として生きるために、性別適合手術を受け、戸籍も変え、現在は女性として生きられているそうです。
『自分らしく生きることをあきらめない』というテーマで情報発信をしている身としては、胸の熱くなる内容でした。ご興味のある方は、ぜひ一読されてみてください。
“心の違和感”誰にも話せず60年… 67歳で男から女へ性別変更「打ち明けられずに生きてきた中高年はたくさんいる」
もっと専門的な知識を学びたい方へ。
LGBTQに関して、もっと詳しく知りたい。調べたいという方へ。
こちらのサイト【JobRainbow】でより詳しくLGBTに関する情報を学ぶことができます。
専門用語がいっぱいで、最初は頭がこんがらがると思いますが、要はそのくらい細かくしないと分類しきれないほどたくさんの「性別」のあり方が存在するんですよ、ということです。
もちろん、【JobRainbow】に書かれているような専門用語すべてを理解して専門家にならなければいけない、ということではなく、
様々な価値観の人たちにサービスや商品を提供する上で、受け手の人たちにはこれだけ多様な視点があるのだということを知っておいていただきたいのです。
【JobRainbow】
https://jobrainbow.jp/magazine/whatissexualminority
今回は以上となります。
私自身の経験と、私が関わってきた当事者の方たち、公式の見解、日本の現状などを総合して、お伝えしてみました。
ご意見、ご感想、ご質問などがありましたら、コメントなどでお聞かせいただければ幸いです。私でお答えできることなら、回答させていただきます。
それではまた!
剣れいや
「LGBTQって結局なんなのか?」へのコメント
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