守るために閉じ込めた、という言い訳をやめる

 

 

幼い頃
私の中の世界に、

 

飾り羽根をたくさんつけた
不死鳥のような
華やかな鳥が存在していた。

 

不思議な、形の羽根をくわえたその鳥の横に

「あいとしあわせをはこぶ」

そう、書き記していた。

 

 

愛の意味も、幸せの意味も分からないんじゃないか
というほどちいさな子供は、

確かに、そう書き記していた。

 

 

やがて

現実に直面し

混乱し

 

12才になる頃までには
「あいとしあわせ」なんていう言葉は

存在しないんだと知った。

 

 

そして
「あいとしあわせ」なんていう言葉は忘れた。

 

 

私は、その絵を描いていた幼い自分を

岩盤の奥深くに連れ込んで

大きな岩で蓋をした。

 

 

その子は泣き叫び

恐怖で発狂しそうになっていたが

 

私は、その子を守るために

閉じ込めた。

 

 

 

 

 

そして、わたしはその場を去った。

 

 

 

 

 

何十年の月日が流れただろうか

 

 

 

 

私は、 ほんとうは

知っていた。

 

 

 

「あの子を守るため」

それは言い訳だった。

 

 

私は、自分が生き延びるために

その子を捨てたんだ。

 

 

ザワザワするから
表現したくなるから
気持ちが動き出すから
邪魔になって…

 

 

だから、自分を守るためであって

その子を守るためじゃなかったんだ。

 

 

 

その罪悪感で

私はいつも、落ち着かなかったんだ。

 

 

 

このつらつらと書き記している
懺悔こそが、

卑怯な大人のすることだと感じている。

 

 

私は、今更

顔向けできないのを

重々承知の上で

 

 

その子のいる岩の前に立ち尽くし

謝罪の言葉も見つからない。

 

 

 

何を言っても言い訳になる。

 

 

 

 

気づかなければいけない。

私と、その子を

分離したのは私であり

 

 

その子は私自身であり

 

 

 

それによって、

私はこれまで

その子がいないまま

核のない抜け殻として生きてきたこと。

 

 

その子の苦しみは

私自身の苦しみであり

 

 

 

その子の抱く恨みは

私自身が私に向ける恨みだ。

 

 

 

 

長い旅がはじまる。

 

 

 

 

 

 

剣れいや

「守るために閉じ込めた、という言い訳をやめる」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です