『なぜ殺さなければならなかったのか』ハートを開いて戦える人が、一番強い

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

選挙の時期にさしかかり、各政党の政策があちこちで批評されています。

 

古いパラダイムで、奪い合いの基盤をつくるための戦いをしようとする政策。

新しい調和の時代を築きたいという思いで、敵対勢力にも愛を向けようとする政治家。

 

そしてそれらに対しての人々の思い。

 

様々な思惑がとびかっています。

 

どんな方向性を打ち出すにせよ

それぞれが、それぞれの信じる目的に向かって

戦っているのだと思います。

 

今日は、「ハートを開いて戦う」というテーマで

私が見た「衝撃的な夢」からのメッセージも交えてお伝えしていきます。


 

 

「戦う」という言葉を聞いたとき

どんなイメージや、キーワードが浮かびますか?

 

強さ、意思、決意、覚悟、勇気、勝利…

 

もしくは、

 

戦争、怖い、敗北、空しい、無意味、傷つけあう…

 

そんなイメージもあるかもしれません。

 

「戦うこと」

 

剣や、拳を、振り上げる事ばかりが戦うことでありません。

 

ガンジーのように、

ただそこに存在するということで意思表示を行う。

存在そのものが相手を圧倒するような戦い方もあります。

 

それは、「戦わない」という戦い。

 

存在感という、自分のパワーを全開にしながら

敵対してくる相手の「存在」をも受け入れる。

勝つ事すら、目的ではない。

 

そんな愛ある姿勢を目の前に提示し

相手の戦意すら、喪失させてしまうパワー

 

決して自分の存在をおとしめることもない。

そんな圧倒的な「女性性」のパワー。

 

それは、自分のハートを素直にオープンにして

自分の痛みも、苦しみも、受け入れた上で

相手の痛みも、苦しみも、受け入れる、

 

最強のフトコロの深さを持ったパワー。

 

そして

ハートが全開でなければ発揮することが不可能なパワー

 

そう感じたときに

私は、過去に見た夢を思い出しました。

 

 

私は幼い頃から、暗示的な夢や予知夢を見る性質がありました。

また、よく、戦争の夢を見ることがありました。

 

その中でも、衝撃的な夢があり

人に言うことすら辛い内容なので封印してきたのですが

今ようやくその夢のメッセージがしっくり来たので、

ここで、公開する決意をしました。

 

戦争の夢

 

ある夢の中で、私は住宅街を歩いていました。

 

すると、

とある家の二階のベランダから、男の子が私に叫びました

 

「あっ、お弁当屋さんだ!」

 

その言葉を聞いた私は、なぜか

「うわあああぁぁぁ!」と叫んで崩れ落ちました。

 

すると

目の前の景色が激変したのです。

 

さっき叫んでいた男の子が目の前にいます。

行列の先頭にいる、その男の子は、私にさっきの言葉を叫んでいます。

 

「あっ、お弁当屋さんだ!」

 

私の手には、銃があり

私の指は、引き金にかかり

私の肩には、(おそらく銃弾の入った)鞄がかかっていました。

 

その男の子は

死の列にならぶ人々の異様な空気を察知することもなく

 

私の肩にかかった鞄に「お弁当」が入っていると思ってか、

無邪気に叫んでいたのでした。

 

 

 

私がいたのは

戦地であり

 

私は、その場面で、まさしく

捕虜の命を奪う仕事をしていたのでした。

 

私はその「夢」の中で

仕事を遂行するため

 

男の子の一言で、一瞬ぐらっと揺れそうになった心を

瞬時に鉄の箱に押し込め

完全な鋼の心臓に変化することでしか

引き金を引く事ができませんでした。


 

 

夢から覚めて

私は、号泣しました。

 

戦争とは何なのか

なぜ殺しあうのか

 

なぜ殺さなければならなかったのか

 

わたしは任務を遂行した。

それは、仕事だから。

 

……本当に…?

 

男の子の発した、ピュアなエネルギーは

私の頬を平手打ちして目覚めさせるほどのパワーがありました。

 

あのまま我に返って

男の子を撃つことを拒否し

自分の命を絶つこともできたかもしれません

 

しかし、夢のなかの私は

ハートを閉ざすことで、任務を遂行し

社会的な立場を守ろうとしたのでした。

 

体制におもねるような、

自分の意志のない戦争の奴隷だった私をも

ジャッジすることなく

愛を与えてくれた、その男の子が

私は、怖かったのかもしれません。

 

ハートを閉ざし、奪うことで、自分を守る。

ハートを開き、攻撃しようとしてくる相手の存在をも、受け入れる。

 

本当に勇気ある行動とは、なんなのか

本当に自分の心で行動するとは、どういう事なのか

深く、考えさせられました。

 

組織や権力や体制に

自分の「生きる意思」ごと委ねるのか

 

命がけで「自分として生きる」ことを貫くのか

今この時代にも、問われている。

 

そんな気がします。

 

常々疑問だったけれど、面倒だから考えないようにしていたこと…

本当はもう、我慢の限界で耐えられないことなのに、

波風たてなくないという思いで、封じ込めていたほんとうの気持ち…

 

自分と本気で向きあい

自分自身に対して、心を開く。

 

自分が本当に納得できないことは、

「やらない」という勇気。

 

「自分」に真剣に向きあった分だけ

「他人」にも真剣に向きあうことができる。

 

そしてその先にある

本当に望む未来を築いていくために

 

真剣に、ていねいに、

自分の人生を、振り返り

時には古い自分をリセットし

新たな選択をしていく時代が、来ている。

 

そう感じています。

 

 

私がずっと見ないようにしていた夢の記憶が

自分自身を振り返るプロセスで

今の体感とつながり

メッセージとなる。

 

その一連の出来事も

「振り返る」

「感じる」

「このままいくのか」

「違う道を選ぶのか」

自分の意志を再確認せよ

 

そう強烈に訴えかけられている気がしてなりません。

 

 

剣れいや

 

 

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