こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
「感謝」って、とてもきれいで、響きのいい言葉です。
でも、世の中では、ちょっとばかり乱用されている感じもします。
感謝します。
感謝しなければ。
感謝しなさい。
なんて言葉、よく聞きますよね。
あるとき私は、「考えない練習」という、僧侶の方が書いた本を読んで衝撃を受けました。
感謝とは、「する」ものではない。
何もしなくても、勝手に心の底から沸き起こってくるのが感謝であり、
うれしくもないのに「ありがとう」と言っていると表情も心も歪んでいく。
という内容が書かれていたからです。
感謝するのがいいことだ、と思っていた当時の私にとっては、衝撃でした。
でも、今は納得しています。
大切なのは、「感謝すること」そのものではないのです。
「感謝しよう」と思ってモヤモヤしたとき、いちばん大切なのは
「感謝しなければ!」と無理に心をコントロールしようとしている自分に気づくこと。
そうなってしまった原因は、自分で自分にムチ打って、周りの評価や、何かを得るために頑張り過ぎてしまっていたことなのです。
もし気づいたら、まずは、感謝できない自分を責めないこと。
余裕が無くなるまで追い込んでしまった自分自身を、もうすこし大切にしよう・・・と心がけることが大切です。
カラダの感覚や、ココロのつぶやきをじっくり感じてあげて、本当の望みを知ること。
自分の思考とココロとカラダが内側で分裂してずっとケンカしていたら、何もしてないのに、いつもしんどい状態です。
そりゃあ、誰に何されたって感謝できないですよ。
無茶ってものです。
何より必要なのは、今より少しでもいいから、自分と仲直りすることなのです。
だから「感謝」って、バロメーターだと思うのです。
本当の意味で感謝の気持ちが沸き起こったとき、感無量としか言いようのない満たされた気持ちになります。
勝手にそうなるのです。
だから、感謝できないときは、無理に感謝しようとか思わないで
「もっと自分を大切にしてあげるには、どうすればいいか?」が大切なんですね。
剣れいや(つるぎれいや)
「感謝できないときは、感謝なんかしなくていい。ココロのバロメーター」への 1 件のコメント
私もそう思います。
最近引き寄せの法則かなんか知りませんが、何かにつけて「感謝」「感謝」。
でも、それもすぐ限界に来るのを経験したし、また、やっぱり「感謝」できないものはできないですよ。
どうやったって理不尽としか思えないことをやられてやられてしていると、そりゃパレスチナ人にユダヤ人に感謝しろ、ユダヤ人にパレスチナ人に感謝しろ、てなもんですよ。
できれば自然と感謝できるようになりたい。
確かにいつもこんな世情的にクソの結果しかもたらしませんが、自分はやっぱりよくやっているし、いいものもちゃんと作ってると思います。
やるだけのことをやって後は知らない、理解してくれない人は理解してくれなくてよろしい、そして、そういったのとうまく距離を取って生きられさえすれば、と思います。
本当に私はそれだけでよいです。何とかそんなオアシスを早く見つけたい。