こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
今回は、苦手なことを頑張って克服することが、
これからの時代に、どれだけ非効率的なのかを書いてみようと思います。
平均点で個性は出せない
日本の学校教育は、平均点が良いことを求められてきました。
なので、一教科だけ、ダントツで得意で
一教科だけ、ダントツで苦手だと
「得意なものはソコソコ頑張ればいいから、苦手科目の克服をしましょうね」
って言われるんです。
私は、そのダントツでできることと
ダントツでできないことの差が激しいタイプでした。
そして先生から「克服しましょうぜ」って言われ続け、
それに抵抗し続けました。
でも、それでよかったと思っています。
私は、苦手なことを克服するより、
得意なことをやりたかったし
社会に出てからも
「自分にしかできないことは何だろう?」と
様々な職種を渡り歩いては
「これは誰にでもできる仕事だ」と感じたらどんどん辞めました
「私じゃなくてもできること」を辞め
「自分にしかできないこと」を模索してきました。
そして、ようやくライフワークとか
自分にしかできないことの輪郭が見えてきたころ
「自分にしかできないこと」で生きている人がたくさん現れる時代になり
やっと・・・やっと「この時代」が来たんだな。
と、なんとなく感慨深いものを感じていたりします。
これからの社会は、
平均的になんでもできる人よりも
誰にもできないことができる人や、
いくつかの才能を組み合わせて
オリジナリティを表現できる人が
より個性的でかけがえのない価値を提供できて、
豊かになれる時代になっていくだろう、そして
その流れは加速するだろうと感じています。
何かひとつのことを、他の追随を許さないレベルまで極められる人もいます。
ちなみに、私は何か1つが抜きん出て出来るというよりは
できることを組み合わせて自分を出していくタイプです。
その道の、その業界のトップレベルの人には到底、かなわないけれど
まったく出来ないひとよりは、出来るし、やっていて楽しい。やりがいを感じる。自然にできる。
そういうものって、
心当たり、ありませんか?
自分の持っている特技、好きなことと
自分のあり方、個性
そういったものを
複数組み合わせることで
世界で自分しか出来ない唯一無二のものになる。
自分だけのオリジナリティを出せるのです。
機械化による兵士のリストラ
平均的に、そつなくこなすという教育は
軍事教育が原点になっていると聞いたことがあります。
つまり、兵士を教育する時には
誰かが動けなくなったときに
代わりに誰かが、同じ働きをしなければならない
という発想です。
その流れをくんだ教育を受け
会社という組織にはいれば
平均的に、なんでもできる人間は
いろいろな部署に配置換えがあったときにも
「それなりに対応できる」
それが求められたんだと思うのです。
でも、これからの時代は AI が台頭してきて
平均的な作業、単純作業、繰り返しの作業、
パターン化できる、計算で答えが出る作業は
どんどん機械化されていくと思われます。
パナソニックが、無人レジの試作品を運用し始めたという情報を聞きました。(セルフレジではないですよ)
もしかしたら、レジも無人になっていくのかもしれません。
実は、私も数年前くらいに
「無人レジって、できそうだな」と考えていました。
たとえば、
そのお店にクレジットカードを登録しているお客さんが、
お店に入る時に「ログイン」して
店内の商品を自分のバッグに入れて
お店を出る時にセンサーか何かを使って
自動的にお会計が済む。
そしたらお店から「ログアウト」する。
みたいな。
なんだかネットショッピングみたいですね。
ともかく、ストレスの多い仕事
人間じゃなくてもできるサービスから
どんどん機械化されていくのでしょう。
私は過去に IT 関係の会社を渡り歩いたこともありますが
大手ほど、人がやっていたことを機械化するスピードが早いです。
やはり大手は人件費の削減がネックになるんですね。
そこに投資できるほどの体力もあるし。
IT 業界で標準になっていることは、
今後、他の業界に普及していくと思われるので、あとは時間の問題なのでしょう。
なので、「仕事」というものに対して
これまでと同じような「労働」の感覚のままでいることが
難しい時代になっていくと思います。
人生には、苦手なことを克服しているヒマはない
「人生には、苦手なことを克服しているヒマはないんだよ」
という言葉をきいたことがあります。
わたしも、実際に
自分の人生を好きなことだけで埋め尽くした先に
あの言葉は、そのとおりだな、と感じました。
好きなこと、得意なことだけやる人生になっても、
時間は足りないと感じる。
なぜなら、もっともっと、好きなことをやっていたいから。
24時間好きなことに使えても、もっと好きなことをやりたい。
そして、やはり、それで生きていくのなら、
やることは沢山あるわけで
嬉しい悲鳴ではありますが、時間がもっとあってほしいと思うのです。
これは、自動化できればいいのですが
私の場合は主な活動が、創作活動や表現活動なので、自動化できないんですね。
なので、今後は時間をつくるためのシステム(協力関係を含む)を取り入れようと思っています。
それに対し、
苦手なことや、嫌なこと
本当はやりたくないことを
無理にやっているときは
本当に苦しくて、生きている意味も感じられず
それをやっている時間が苦痛でしかない。
私も、お金のためだけに働いていたときは
そんな気分を、いやというほど味わいました。
そのままでもいいと感じるなら、
それでいいと思います。
なによりも安定が重要!という人もいます。
でも、本気で今の状態が嫌だったら
本当にやりたいことを見極め
自分にしかできないことをやる。
それは最初は勇気がいりますが
「もう、嫌なことは、やらなくていいよ」と
自分に許可してあげることで
どんどん、可能性にかけるエネルギーが戻ってきます。
私は、ストレスが極限状態になると
体が動かなくなるタイプなので
嫌なことを無理やりやりつづけたときに
すぐに分かります。
電車に乗れなくなったときもありました。
ある朝目覚めたら、起き上がれないこともありました。
そういう意味では、私は
普通の社会になじめない不器用さによって
逆に、諦めがつきやすかったというか
「そうか、これ以上はもう無理なんだな」
というふうに、
自分でも吹っ切れたんだろうと感じます。
自分の才能、自分のやりたいこと
それがわからない、という方も多いです。
でも、実は、答えは自分の中にあるんです。
幼い頃からの教育や、社会の常識を受け入れることによって
脳が一定の思考回路をぐるぐる回るようになってしまうため
いざ考えはじめると
無意識の思考の流れが発動し
過去の思考から抜けられなくなってしまうんですね。
だから、
「わからない」
「過去にやったことがないから、できない」
そこで、思考停止してしまうのです。
好きだったこと、得意だったことのヒントは
「子供の頃にやっていたこと」の中に
あることが多いです。
それを思い出すだけで辛かったりすると
「好きなことに」たどりつく道が険しく感じるかもしれません。
でも、不可能ではない。
今の自分の思考では「難しい」と感じているだけなんです。
剣れいや(つるぎれいや)
「苦手なことは、がんばらない。」へのコメント
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