不当な扱いには怒り、不快ならば去る。女性性の強い人が男性性を使って自分を守るには?

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

【前回の記事】なぜかいつも損してる?本当はもう頑張りたくない、女性性の強いあなたへ。取り戻すべき2種類の男性性

の続きです。

 

私は昔、

 

自分自身を

「いい人」でいなければ存在価値がないと思いこみ

他人の要求を受け入れつづけ

 

気前のいい、というよりも

周囲にとって便利な人状態でした。

自分の人生」を見失い、生きる意味も見出せませんでした。

 

 

その状況は、エネルギーとしてみた時に

受け入れる性質である、女性性のエネルギーに偏った状態であり

女性性でバランスを崩した状態でした。

 

完全に、人生の主導権を手放していたのです。

 

そして、無気力や鬱で

さすがにヤバい状態になり、

5年ほどかけて、色々と学びました。

 

そして、

私が自分を見失った原因は

「怒り」

「思考

封印していたことだった、と知りました。

 

怒りは、

火のエネルギー。

 

思考は

風のエネルギー。

 

この2つは、男性性のエネルギーです。

 

私は、男性性のエネルギーを封印することで、

バランスを崩していたのでした。

 

この記事では、男性性エネルギーである

「怒り」「思考」

どう使えば、人生を変えることができるのか?

 

という点を、私の経験をもとに、書いていこうと思います。

 

都合よく利用されたら、怒っていい。不快だったら、ただ去ればいい

 

コントロールしようとしてくる相手には、

猛然と牙を剥き

自分にとって不快な環境だったら、さっさとその場から立ち去る。

 

動物にとって、当たり前とも言える

自分を守るという行為が

 

なぜか、人間には許されないと、

みんな思っている。

 

それが、このストレスまみれの現代社会です。

 

 

「怒るのはよくないことだ」

「感情を表に出すなんて幼稚な人間のすることだ」

「考えるな、感じろ」

「あなたは黙って、こちらからの情報を受け取っていればいいんだよ」

 

 

この社会では

それが当たり前になっています。

 

 

不当な扱いを受けても、仕方ない。

なぜなら、従業員は社会的に立場が弱いから。

なぜなら、お金をもらっている側だから。

どうせ何を言っても、もみ消されて終わり。

だから言うだけ無駄。

声を上げたら負け。

怒るだけエネルギーの無駄。

 

 

つまり、みんな、不満はあるのに

ホンネを抑圧して生きているんです。

 

 

「怒りは出さない」

「自分で考えない」

それさえしていれば、とりあえず人生うまく渡っていける。

 

といった感じでしょうか。

 

 

「まあ、我慢できる程度の怒りなら、我慢したほうが、世の中的には平和なんじゃないの?」

「わざわざ事を荒立てる必要ないじゃん」

「そんなに熱くならずに、波風たてず行こうよ。どうせイチ個人が何言ったって、世の中何も変わらないんだからさ」

「わざわざ敵を増やしたって、何も良い事ないよ。うかない顔してないで、パーっと呑みいこうぜ」

 

そういう意見もあるかもしれません。

 

しかし、

そのまま感情の抑圧がすすんでいくと

ある問題が発生します。

 

これまで我慢できていた感情

つまり

感じないようにしていた、

抑圧したエネルギー

キャパシティを超えはじめると

 

原因不明の体調不良が現れたり

人間関係がうまくいかなくなります。

 

 

質量保存の法則」というものがありますが、

感情もエネルギーの一種なので、

抑圧している感情は、ずっと体の中に残っているのです。

エネルギーは存在し続けるのものなので、勝手に消えることはないからです。

 

 

たとえば、

理由もなく無気力になる。

意味もなく憂鬱になる。

人生に夢も希望もなくなる。

人とのコミュニケーションがおっくうになる。

幻聴が聞こえる、または幻覚が見えはじめる。

ある日突然、鬱になり動けなくなる。

 

といった具合です。

 

病院に行ってもストレスの可能性を指摘されるだけで

精神薬を処方されて終わり。

根本的な対処法がわからない。

 

そんなとき、

内側で抑圧していたエネルギーが行き場を失っている、

 

つまり、

 

これ以上は無理!我慢の限界!

という状態になっている可能性があるのです。

 

「ちょっとした」怒りを我慢することくらいは

日常では良くあることだと思います。

 

しかし、その

ちょっと」だと認識している

その感覚自体が

 

これまでの人生で、

想像を超える量のガマンをしつづけ

麻痺した果ての感覚だとしたら・・・

 

 

体や人間関係にあらわれる

様々な不調は

「これ以上、我慢し続けるのは危険だ!」という

メッセージに他ならないのです。

 

実は2種類ある?人生を導いてくれる「怒り」の正体。

 

世の中では

「怒ってはいけない」

「立派な社会人は、感情を表に出さないもの」と思われています。

 

むしろ、この冷めた社会の中では

「怒り」に対して歪んだイメージが出来上がっていて

 

「ひとりで熱くなっててダサい」

「クールじゃないよね」

「わがまま」

「イタい人」

「空気読めない」

「憂さ晴らしするな」

 

という感じで、けむたがられ、邪魔者あつかいされています。

 

それはなぜか?

 

実はみんな、

本物の怒りを見たことがない」からです。

 

 

実は

怒りには、2種類あります。

 

 

「ディスプレイの怒り」「本物の怒り」です。

 

 

 

ディスプレイの怒りとは

無意識に

「相手に自分の威力を思い知らせたい!」という衝動から湧いてくるもの。

 

それは、封印している本物の怒りに向き合いたくない人が

衝動的な攻撃エネルギーを

表面上の怒りとして

吐き出しやすい立場の人にぶちまけている状態です。

 

私は過去に、電話対応の仕事をしていたことがありますが

 

感情を爆発させているクレーマー」のお客様ほど、

問題が解決しても、ずっと怒っていたり

問題を解決できなくても、感情を一通り出したら、すっきりしていたり・・

といった事象を見てきました。

 

お客様自身は

「お前たちの「問題」について、怒っているのだ!」と言っているのに、です

 

その矛盾を実際に見てきて、私が感じたのは

 

ディスプレイの怒りをぶちまける人にとって

問題自体は、特にどうでもいい(といったら言い過ぎかもですが)

問題自体は、吐き出すためのきっかけにすぎないんだな、ということでした。

 

 

本物の怒り

 

それに対して

本物の怒りとは、どういうものなのか。

 

それは、

 

本当の自分が感じる、

静かな怒り。

 

本物の怒りとは、

静かに腹の底から湧き上がってくるもの。

そして、本物の怒りは、とてつもなく悲しい。

 

本物の怒り

「頭に来た!」という感覚とは異なり

 

静かで

強い

腹のそこから湧いてきて

深い悲しみと

あきらめと、

絶望と

決断が

混在している

 

そういう感覚を伴うものでした。

 

そして、なにより

本物の怒りは、

 

相手にどう思われようが

関係ありません。

 

ただ、そこにある怒りなのです。

 

そして、その本物の「怒り」を感じた後に、わかったことがあります。

 

 

私が幼い頃、両親が、

ことあるごとに怒り狂って

暴力的になっていたけど

 

常識とか、世間体とかを武器に

暴力的に押し付けてきた、あの怒りは

 

本物の怒りじゃなくて、ディスプレイの怒りだった。

 

つまり、八つ当たりだったんだな

 

両親は、自分の中の本物の怒りを見たくないから

問題を私に投影して、八つ当たりしていたのか。

 

そう悟りました。

 

 

ディスプレイの怒りは、ただのツールです。

なので、

ディスプレイの怒りは、自分の立場を有利に運ぶために「使う」もの。

 

「ここはひとつ怒りをあらわにして、こっちの立場を示してやろう!

「私を怒らせないほうがいいわよってことを、知らしめてやらなくちゃ

 

ディスプレイの怒りには

そんな、無意識の魂胆があります。

 

いうなれば、暴力です。

 

 

しかし

本物の怒りは、そういった

「こう思われたい!」「思わせてやる!」という魂胆とは無縁です。

 

本物の怒り。

それは、悲しみと入り混じっており

純粋に、ただ、感じるものなのです。

 

 

本物の怒りを知ってしまった人は

ディスプレイの怒りを見抜けるようになります。

 

だから、力づくで権威を示し、

従わせようとする人間が

薄っぺらく見えます。

 

自分が自分であること

まっすぐで純粋であることの重みに比べたら

表面的な怒りや権力なんか、

怖くもなんともなくなるからです。

 

正しい思考」という武器を手に入れる

 

私は、もともと

ものごとを感覚的に、

直感的に受け取るタイプの人間なので

 

これまでは「なんとなく」「感覚で」で生きていました。

 

「なんとなく、良い人そう」

「なんとなく、良さそう」

「なんとなく、こうしたほうがいいな」

 

そのせいで

空気を読みすぎて疲れたり

他人の感情をくみすぎて、

相手の言いなりになって

振り回されたり・・・

 

そんなことが、しょっちゅうでした。

 

いいように利用される、

便利な人だったのです。

 

しかし、鬱になって

さすがにヤバいと感じた時から、

私は、本気で原因を探し始め

 

心理学やエネルギーを学び、

正しい知識を取り入れようと必死になりました。

 

そこで私は

とても重要な「考え方」を手にいれたのです。

 

「知識や知性は、それ単体では、ただのツールである」

「何のために使うのかが重要である」

 

つまり、知識は、

手に入れるだけでは、意味がないということでもあります。

 

その考えは、包丁に例えると分かりやすいかもしれません。

 

包丁というものは、ただのツールであり

手にいれても、何かが勝手に起きるわけではない。

 

そして、実際に

同じ包丁を使うとしても

 

美味しい料理を作るために使えば、相手を幸せにし

殺人のために使えば、社会を混沌に陥れる。

 

知識とは、単に

そういうものである。ということ。

 

 

そして、知識や知性というものが、

形而上学という哲学では

「風」の性質を持っていること

象徴としては「」で表されることを知りました。

 

 

つまり、

知識や知性を

持つ人のエゴや

権力によって振りかざした時には

 

冷たい嵐のように相手の生命力を奪い

自分や相手を縛り、

ドグマによって裁き

容赦なく切りつけるツールになる。

 

 

しかし、知識や知性を

愛をもって使うことができれば

 

身動きできなくなって苦しんでいる

自分や、他人の

頭の中のごちゃごちゃを整理し

迷いの糸を断ち切り

 

その人の人生に

爽やかな新しい風を送り込み

本当に望んでいる世界に向けて、

自由に羽ばたくために、

解放するためにも、使えるのだと。

 

 

私は、その事実を知って

 

 

今学んでいる知識は、

自分や他人を縛るためではなく

自分や、大切な人を自由にするためだけに使う。

と固く決意しました。

 

それこそが「本来の知性の使い方」だと、

心の底から思ったからです。

 

 

「本物の怒り」「本来の知性」を使うことで、人生が変わった。

 

私は、本物の怒りを感じた時

人生ではじめて、「NO」ということができました。

 

 

これまで

他人のお荷物を、抱え込んできたこと

 

自分を無視して、

誰かのために奔走してきたこと

 

純粋な望みを、

最初から無理だとあきらめていたこと。

 

嫌なことも我慢し

ひどい目にあっても

泣き寝入りしていたこと・・・

 

自分なんて・・・

自分なんかが・・・

自分ごときが・・・

 

その「自分いじめ」をつづける思考

 

それこそが

自分を傷つけ

自分を苦しめていた。

 

世の中が、どうだとか

他人が、どうだとか

親が、どうだとか

お金が、どうだとか

 

そればっかり

考えて来たけど

 

それは全部、

自分以外の価値観だった。

周りの情報を、ただ鵜呑みにして、

受け入れていただけだった。

 

「それは自分にとって、どうなのか?」

なんて、考えたこともなかった。

 

でも、

本物の怒りを感じ

本来の知性を使ったら

 

他の誰でもない、

自分のために決断できるようになったのです。

 

そして、私は、

怒りを覚える環境から、

自らの意思で、去ることにしました。

 

 

結局のところ

私がどんな意見を持ち、どんな発言をし、どんな行動をとったとしても

相手がどうとらえるかは、相手の問題なのだと実感しました。

 

私は、これまでのような

「腰の低い、なんでも受け入れるいい人」ポジションをやめて

毅然とした態度をとるようになりました。

 

「これは私の仕事ではありません」

「それは私がやったことではありません」

「私は自分の意思で、こうしようと思います」

「なぜなら、私はこう思うからです」

 

というはっきりとした意思をもち

時と場合と相手に応じたカタチで

 

自分の意見を、

相手に失礼のないように

丁寧に伝えるように、心がけました。

 

これまでにやったことのない

慣れないことだったので、

とても慎重になってしまいました。

 

でも、もう

やらずにはいられませんでした。

自分の本心に気づいてしまったからです。

もうこれ以上、自分を裏切りたくなかったのです。

 

淡々と、誠意をこめて、

勇気を持って、伝えていきました。

 

すると、不思議なことが起きました。

 

 

こっちは、そんなに強い口調で言った訳ではないのに

 

私を利用しようとする人は、私に寄り付かなくなっていきました。

 

 

過去の世界を離れるときも、

 

これまでの友人や仕事仲間に

自分で決めたこと、自分の意思を伝えた後に、

「これまでありがとう」と、気持ちを伝えました。

 

 

実は、正直なところ

「こんなこと言ったら、あの人たちは、怒り狂って私を止めようとしてくるんじゃないか・・」

と、考えていた部分もあり、

ちょとだけ、古い自分がビクビクしていました。

 

 

しかし、実際には

「そっか、実は私も〇〇だと思ってたんだよね。私も変わろうと思う」

とか

「そうなんだ。分かった。これまで、ありがとね」

 

という、拍子抜けするくらいの返事が多くて、逆にびっくりしました。

 

 

 

周りを「私なしでは居られなくしていた」のは、実は自分だった。

 

私が恐れていたから、

私が手放さなかったから、

ずっと変わらなかった。

 

私が手放したら、みんなも解放された。

 

実のところ、これまでは

「やってあげた」と思っていただけで

みんなでエネルギーを、奪い合っていただけなんだな・・・と、つくづく思いました。

 

 

「知性」というものを

自分自身と他人を解き放ち、自由にするために使う。

 

それを生まれてはじめて、体感しました。

 

それは、

自分が決断し、ただ自分の執着を断つという、

ストイックで内面的な作業でした、

 

知性を使うことで、情に流されず

自分にとって、そして相手にとって

最良の判断ができる。

ということも、わかりました。

 

 

そして、結局のところ

 

相手にどう思われるかよりも

自分が幸せになる選択をする。

 

それが一番、周りにとっても、良いことなんだな!

 

と気づきました。

 

 

「自分のあり方」を変える勇気を持つことができれば

相手も自然と、変わっていくのか・・・!

 

 

自分が変わる。

そして、相手には求めない。

執着を手放す。

 

それだけでいいんだ!

こんなにシンプルだったんだ!!

 

 

と知ったのです。

 

 

そして私は

自分らしい人生という、新たな道を歩み始めました。

 

 

停滞していた頃とは違い

めまぐるしく変化する日常になりましたが

 

すべて自分で決められる人生というのは

私にとっては新鮮で、とてもやる気がでるものでした。

 

 

今、自分でもよく分からない、苦しい状況にいる方にとって

私の過去の経験が、何らかのヒントになればと思い、書いてみました。

 

【前回の記事】をまだ読まれていない方は、こちらを読まれると、より理解が深まるかもしれません。

【前回の記事】なぜかいつも損してる?本当はもう頑張りたくない、女性性の強いあなたへ。2種類の男性性を取り戻す

 

それでは、また。

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

 

 

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「不当な扱いには怒り、不快ならば去る。女性性の強い人が男性性を使って自分を守るには?」への 1 件のコメント

  1. うつ病になってしまい、
    生きる希望を失っておりました。
    つるぎさんの言葉に出会えて、良かったです。ありがとうございます。

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