依存の糸を
こちらが切ることで、
相手も自由になる。
誰かの夢を叶えるという、いつわりの使命感を持つのをやめる。
人が才能を発揮し
行動し、失敗し、苦悩し、学ぶ。
そして勇気を持って再チャレンジする。
その権利を、奪ってはならない。
人は皆、心の奥底に
自分一人で抱えきれないんじゃないかと思うほどの
痛み、苦しみ、悲しみ、絶望、狂気
それらを抱え
そして抱えていることすら忘れて
麻痺したまま、無理して
平気なふりをしている。
少しでも心に刺激があったら
爆発してしまうかもしれない。
そんな臨界点ギリギリで踏みとどまっている。
その我慢が見事なポーカーフェイスであるほど
優秀な人物だと言われることすらある。
しかし唯一、ごまかしきれない相手がいる。
自分の中の純粋な自分は、
どんなに外向きの自分が、外面よく自分をごまかしても、ずっと本当のことに気づいている。
自分が自分の淋しさを正面から受け止めることができたとき
相手で紛らわそうとしていた淋しさの正体に気づく。
もう十分頑張った。
自分のために生きていい。
ごまかさずに、自分の欲求を受けとめる。
自分に許可を与える。
幼い頃の傷は、癒えることも無くなることもない。
でも、自分がその傷を抱きしめることはできる。
誇れるもの
私には、お気に入りの革靴がある。
あるとき、その革靴が傷だらけになってしまい
どうにかして履き続けたいと思ったので
街のちいさな靴屋さんに持ち込んだ。
そのときの、靴職人のことばを、ことあるごとに思い出す。
「傷を埋めて目立たなくすることはできるけど、それは誤魔化しなんです。
最初はきれいに見えるけど、後で必ず剥がれてくる。
だから、こうやって磨いてやるんです。
傷は、きちんとケアしてやれば、味になるんですよ」
断ち切っていこう。
今は苦しくても、いずれ真実が見えるから。
剣れいや
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