飢餓感が足りない!?

 

私が子供のころ、

TVで「まんが道場」っていう番組があったんですね。

ご存知の方いますでしょうか。

 

 

たしか、プロの漫画家が、

アマチュアの作品にアドバイスをする番組でした。

 

 

その番組がけっこう面白くて観ていたんですが

 

ある回で、

アマチュアの詩人が発表した作品に対してプロが言った一言に、

 

かなり衝撃的を受けたことを思い出しました。

 

 

その一言というのが・・・

 

 

 

 

「君の作品には、飢餓感が足りない」

 

 

 

 

 

飢餓感・・・

当時の私には衝撃でした。

 

当時は、あまり深い意味までは

理解できなかったのですが

 

かなりのインパクトを受けたのでしょう。

いまだに覚えているんです。

 

 

そして、あれから何十年も経った今

あの言葉の意味が、わかり始めた気がします。

 

 

「飢餓感」の正体・・・

 

番組を観ていた当時は、中学生くらいだったでしょうか。

それから私は、高校時代を経て、20代でバンド活動をはじめました。

 

がむしゃらに表現する日々。

ハングリー精神だけで生きていたような時代でした。

 

「飢餓感というのは

自分には何かが足りないという感覚だ」

 

そう信じていました。

 

 

でも今、何となく

あのプロが言っていた「飢餓感」の意味が

私の中で変わり始めています。

 

 

 

飢餓感というのは

私が当時思っていたような

狂ったように何かを渇望する感覚ではなく

 

 

 

今の自分を大切に思いやることで

はじめて感じとれるもの。

 

見ないようにしていた深い部分の

想い。

本音。

それらを

しっかり見つめることなのではないか。

 

そう感じるようになったのです。

 

昔の私が

がむしゃらに外部に求めていたもの。

とにかく自分が認められたいという感情。

それは承認欲求だった。

 

その「外部」とは、

怒りの矛先が向かう場所でもあった。

 

何もかもが許せなくて

ひた走っていた。

 

 

そして、

ここ数年。

 

 

ふと気づけば

自分の中で置き去りになっていた自分がいて

 

ただ、ずっと、その自分が

私の帰りを待っていたことに気づいた。

 

 

私がずっと外部に渇望し

求めていた何か

 

ずっとずっと昔から変わらず

自分の中にあったのだ。

 

そのことに、少しずつ、

気づき始めた。

 

 

 

あの番組の中で、プロが伝えようとしていた「飢餓感」を、あらためて解釈してみた。

 

 

「認められたい!」と外部に向かう

その気持ちを超えた

その先にあるものが見えるか?

 

深いところで

本音を抱えたままの孤独な自分を

探し出して

つながりなさいよ

 

表現をする上で大切なのは

「俺を見ろ!!」

の先にあるものだよ

 

本音の自分をみつけ、

認め

理解し

慈しみ

“その自分と共にあること”だよ。

 

と、

こういうことだったのではないかな、と。

 

 

 

幼い頃の自分が感じた

純粋な衝撃は

今の私の気づきにつながっている。

 

 

本気で生きれば

生きるほど

 

また生きることが

楽しくなっていく。

 

これからも、

生きることを愛しみながら

そして噛み締めながら、

歳を重ねていきたい。

 

そう感じました。

 

 

こんなにいきなり

ポっと思い出すことがあるんだなーと

妙に感慨深かったのですが

 

これからも

こういうことが起きるのかもしれないと思うと

ちょっと楽しみです。

 

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

 

 

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