こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
人が変わるときって、何かきっかけがあると思うんです。
出会いだったり、挫折だったり、驚きだったり・・・・
たぶんその「きっかけ」によって
これまでの価値観がくつがえされて
人生観が変わるのだと思います。
つまり、
価値観が変わるから、
自分の行動が変わって
自分の人生が変わる。
ということなんですよね。
私はこれまでの人生で、よく考えることがありました。
「信頼」とは何か?
「誠意」とは何か?
よく使われるけど、具体的にどういうことなんだろう?
ブラック企業に嫌気がさし、納得いかない現実と向き合うなかで生じた疑問でした。
そんなことを考えていたら
ある思い出が
ポンっと記憶の中から飛び出してきました。
ヒントはこれか・・・!と思ったので
めずらしく
過去の仕事にまつわる思い出話を語ってみようかなと思います。
「信頼」とか「誠意」とか胡散臭いと反抗心を抱いていた私が、窮地に追い込まれたときの話です(笑)
今回は、私がまだ20代のころ。従業員として職人業をやっていた頃にさかのぼってお送りします。
口先だけの「信頼」と「誠意」
私は、入って3ヶ月の時点で見切りをつけていた会社がありました。
自分でも笑えるくらいの割り切りの早さでした。
「ここで技術を学んだら、さっさと辞めて別のところへ行こう」
そう決めていました。
その会社には
「従業員は金を稼ぐための道具だ」と公言している社長がいたのです。
そんな会社で、当時の私は働きはじめました。
働き始めて間もない、ある夏の猛暑の日。
熱中症寸前の状態で、汗水たらして現場で作業をしていると
チェック担当の部署から派遣されてきたと思われる見知らぬ女性社員が、何やらファイルを手にして涼しい顔をで上がり込んできました。
私は暑さで今にもくたばりそうでしたが、同じ会社の人が来てくれたので、少し心強さを覚えました。
「もしこの人に、暑い中ご苦労様ですとかひとことでも言ってもらえたら、少しは元気になれそうだな」
しかし、若造だった私が、そうかすかに思った瞬間、見事にその期待は裏切られました。
その社員は、無言でファイルと向き合いながら、なにやらチェックをしています。
そして来た時とおなじ涼しい顔で、事務的に「お疲れ様です」と去っていきました。
実は、その社員は
きめられた細かい項目を減点法でチェックしていたのであり
その日のうちに上司に報告され
そして減点対象者は各支店の事務所の壁に張り出され、晒される。
という仕打ちが待っている。というよくできた管理システムだったのでした。
つまり、従業員を徹底監視する文化だったようです。
それを知って当時の私は、なんだか無性に腹が立ちました。
そして不思議なことに
あのときは、ひとこと「暑い中お疲れさま」って言ってもらえたら頑張れるな〜くらいの気持ちだったのに
「ジュースの差し入れを要求したい」くらいの怒りに変わっていきました。
そんな会社ですが、社内では
「信頼を得る」
とか
「誠意を見せる」
という文言をかかげ、唱和させられました。
私はそういう対応をされつづけるうちに、だんだん嫌気がさしてきました。
なぜなら自分が会社から
「まったく信頼されていないと感じる」
「誠意ある対応をされていないと感じる」
という状況で
信頼を得ることを要求され
誠意ある対応を要求されている。
という釈然としない感覚を覚えたからです。
私は支店にいたので、社長とは最後まで顔を合わせる事はありませんでしたが、
普通に働いているだけでも、社長に関してのさまざまな黒い噂が毎日のように流れてきました。
そんなある日、
ベテランの社員の一人が
「頑張っている職人の待遇をもっと良くしたい」
ということで中堅ミーティングと称した飲み会を開いてくれました。
その人は、こう言いました。
「頑張って腕を磨いて実力つけてる職人が、もっと評価されるべきだと思う。
ぶっちゃけでいいから、もっとこうなったら嬉しいという案をだしてほしい。
すべては叶えられないとは思うけど、話だけは通してみる」
私はこのブラックな会社にも
「私たちの努力をちゃんと見てくれている社員の人がいるんだ!」
と思い、感動すら覚えました。
実際、腕のいい職人はみんな辞めていってしまうらしいので、その人もなんとかしたかったのだと思います。
自分の意見が、ちゃんと汲み取ってもらえるのだ。
こちらの気持ちを聞いてもらえるのだ。
話を聞いてもらえただけですが、なぜかとても安心しました。
その充実感は、これまで感じたことのないものでした。
「もっとがんばって腕を磨いてはやく一人前になろう!」
という意欲も湧いてきました。
「私たちすべての意見が受け入れられるとは、まったく思えない。
でも最悪、ひとつも受け入れられなくても別にいいのかもしれない」
とさえ思えました。
たった一人でも、私たちと真剣に向き合ってくれる人がいた。
私たちのために行動してくれる人がいた。
戦ってくれる人がいた。
それがわかっただけで、こんなにも勇気と力が湧いてくるものなんだ。
私は、このブラックな会社にも希望を見出しはじめていたのでした。
今ならわかります。
私の認識は甘かったのだと。
「左遷が決定した」
私は正直、耳を疑いました。
私たちの意見を組み上げようとしてくれた社員の人は
私たちから汲み上げた意見を社長の前で発表したことで
社長の逆鱗に触れたらしいのです。
この会社では、
社長の指示に従わない者は、例外なく裏切り者と認識され、犯罪者のような扱いを受けるのでした。
結局その社員の方は
「左遷されるくらいなら辞める」
といって、会社から去る決断をしました。
「この先もし苦しいことがあったとしても、この人がいるなら頑張れるかもしれない」
そう思っていた矢先の出来事でした。
私は、熱くなりはじめていた気持ちがすうっと急速に冷めるのを感じ
その代わりに
何かが肚のなかで固まるのを感じました。
私は静かに決めました。
誰かの存在に希望を見出したり、
頼りにするのは、もうやめよう。
その後、私はことあるごとに同僚や先輩に「この会社に未練はない」という話をしました。
「あんたに辞められたら、そうとう痛いと思うよ」
と言ってくる先輩もいました。
今だから白状します。
当時の私は、あるていど自分の腕が買われているのを察していて
少し反抗的な部分があったと思います。
会社的には「サービス業」だと言っているけれど
なんだかんだ言っても、
やはり技術職。
どんなに服装やマナーが良かったとしても、それは最低限のことであり
技術が追いついていないのなら、そもそも職人ですらない。
職人の世界は、実力主義の厳しい世界であり
どんなに口がうまくても、人当たりがよくても、それだけではまったく意味がない。
つまり、技術職でやっている以上
会社としては、仕事の質がリピーターの獲得につながるという事実を避けられないのです。
それをうすうす感づいていたのもあり
私は技術を必死で磨き、真面目に働きながらも
「クビにしたいならすればいい」というような
反抗的かつ、どこかで冷めた姿勢で居座りつづけていました。
私は音楽活動をしていたのもあって髪を染めており、
会社としては染髪は禁止だったはずですが、何も言われませんでした。
私と同じくらいの歴の人もみんなそんなノリでやっていました。
技術が身についていき、会社から必要とされる人材になると、ちょっと髪を明るく染めるくらいなら許容範囲、という暗黙のルールが、支店のなかの空気感としてただよっていたのです。
おそらく、暗黙の許容範囲ができたのは
あまり支店内で口うるさくいうとみんな辞めてしう可能性があり
そうなれば支店の存続自体が危うくなるから、という後ろ向きの理由だったのだと思います。
しかし、わずかな反抗で気を紛らわせても、我慢はいずれ限界がくる。
「私が腕をあげるほど、会社の評判がよくなるのは腹がたつ」
「この会社のために一銭たりとも稼ぎたくない」
「この会社のために自分の時間とエネルギーを費やしたくない」
「一ミリたりとも貢献したくない!」
とまで思うようになって、いつ辞めてやろうかとタイミングをうかがうようになりました。
そんな矢先、思いがけない出張の話が舞い込んだのです。
出張先で学んだ信頼と誠意
1ヶ月の出張だが、もしかしたら2ヶ月くらいになるかもしれない。
そう言われていました。
私はなんとなく「この機会を区切りにしよう」と思い、志願しました。
どうせ近々去るのだから、さいごに思い出づくりでもしようかというノリだったのかもしれません・
出張は、想定したよりもいくぶん波乱の幕開けでしたが。
「ブラック企業だから仕方ない、もう未練もない」
と半ば諦め気味でした。
真冬の寒い時期で、吐く息が凍るような現場だったけれども
最初から高待遇を期待していなかったのもあり
新しい仕事仲間とは、思っていたよりも楽しくやれた部分もありました。
この調子でなんとなく仕事をこなし、
サクッと稼いで出張を終わらせて
この会社自体とおさらばしよう。
そんなふうに
そつなく逃げ切ろうとしていた私。
その私が、ひとつの小さな転機を迎えたのは
ある新人さんの一言がきっかけでした。
出張気分も一転、窮地に陥る
1日の仕事を終えると、出張先の支店にみんながあつまり、翌日の仕事にそなえて準備をする。
それが、出張先での日課だった。
そんなある日、ある新人さんの言葉で私は窮地に陥った。
その新人さんは、出張先の支店の人で
リーダーに向かって唐突に質問した。
「ルールでは染髪は禁止になってるのに、この人は髪を染めてますよね」
私が髪を染めていることに対して、疑問を持った彼女は、率直な疑問を支店のリーダーにぶつけたのだ。
「うっ・・・」
私は、
気まずいけれども
それを自分ではどうにもできない状況に陥った。
たしかに
私はルールに反し、髪を染めていた。
もちろん染めていいという許可が下りているわけではない。
そして、新人のときからOKなわけではない。
しかし、そんな別支店の事情は、ここでは通用しない。
新人さんが抱いた疑問は当然のものだ。
私の後輩で、一緒に出張に来ていた人は黒髪だったので
さらに私への風当たりは強くなったように感じた。
私は自分の所属する支店の暗黙の裏事情を説明するわけにもいかず困ったが
私なんかよりも一番困ったのは、出張先の支店のリーダーである。
リーダーは
「別の支店の事情は、うちの支店では関与していないし、わからない」
と、苦し紛れの説明をしていた。
さらに新人のほうも、なにか釈然としないまま、それ以上聞けなくなって黙っていた。
私は、このときはじめて
会社に対して文句を言ってばかりだった
自分自身を振り返った。
そして
自分自身をとても情けなく感じた。
会社に対して不満があるのに、
ただ態度で小さな反抗をして気を紛らわせながら、現状維持をしつづけていた私。
口では 「ありえない」とか
「信用できない」と言い
同僚と愚痴をいい合いながらも
根本的な解決には踏み出さなかった私。
腹をくくって辞めることもせず、
かといって
腹をくくって社則に従うこともしない
自分の技術に甘えて
周りのノリを理由に
中途半端な反抗をつづけていた私。
自分は中途半端な人間だった
そう、あらためて思った。
私は、このときはじめて
反抗心からではなく
自分の心にしたがって、
腹をくくって、この会社をやめようと思えた。
そして、さらに
自分の未熟さに気づけたのは、
今一緒にいるこの人たちのおかげなのだと思えた。
この人たちに、
私にできるかぎりの
誠意を見せなければ・・・
そう思った。
私はその夜
主張先のアパートに帰るなり
髪を黒く染めた。
次の日、黒髪で現れた私を見るなり、みんな一人残らずびっくりした。
リーダーですら
「そこまでしなくてもいいのに・・・」と、言っていた。
でもすでに私は、正直周りの反応はどうでもよかった。
モヤモヤを抱えているのが苦しかった。
だから
一番自分がスッキリする行動をした。
気のせいなのかもしれないが、
その後から、以前よりみんなと打ち解けて楽しく接することができるようになっていった。
一時的な集まりだけど、
10人もいない少人数だったのも手伝い
なんとなく家族のようなあったかさが感じられることもあった。
出張は結局、1ヶ月半くらいで終了になった。
最後は、お別れ飲み会を開いていただき、楽しく「最後の」仕事を終わらせることができた。
そして私はその後
無事、東京支店に戻り
ほどなく、
その会社を辞めた。
ほんとうに未熟なやつだったなあと、あらためて思いますが
あのときの出来事と決断は、今の私の生き方や考え方にも大きく影響していると思います。
信頼や、誠意って
押し付けられて、強制されたところで、発揮できるわけがないのだ。
押し付けてくる側と、押し付けられる側に、信頼関係なんか成り立たない。
相手を信用していないから
押し付けたくなるし、命令したくなるのだ。
押し付けられる側も、
こちらが信用されていないということを感じ取るから
反抗したくなるし、
逃げたくなるし、
相手にも不信感がつのる。
私が中途半端だった自分自身を振り返り、
自分の意思で変わろうと思えたのは
「私自身の課題を、私に返してもらえたから」でした。
もしあのとき、リーダーに
「なぜルールを破っているのか」とみんなの前で問い詰められ公開処刑されたりしたら・・・
もしくは、あとで呼び出されて
「困るんだよねー。俺の立場も考えてよねー」などと直接指摘されていたら・・・
当時の未熟だった私は、さらに反抗心を強めていたかもしれません。
逆に万が一、リーダーが
「この人は腕がいいから、きっと特別に許可されているんだろう」
とか言って、私を持ち上げるような発言をしていたら・・・
当時の未熟だった私は、さらに調子に乗っていたかもしれません。
リーダーには会社の代表としての責任があるわけだから、
ルールを軽視するような発言はできなかった。
かといって、別支店から「手伝いに来てもらっている」出張の職人に向かって、厳しく問いつめるわけにもいかなかった。
それでも自分の責任をまっとうし、苦渋の選択をするリーダーを見てはじめて
私自身が、自分の責任を放棄していたことに気づいたのです。
あのリーダーがいなかったら、
私はしばらくは反抗していたか、
調子に乗っていたか、
どちらかだったのでしょう。
これは10年以上前の話です。
あの出来事ですべてが変わったわけではありません。
でも、私がこれまでセラピストとして、カウンセラーとしてお客さまと関わっていく中で
絶対に大切にしてきたのが
「信頼」と「誠意」であり
それについて学び始めたきっかけは、あの出張の日のできごとが発端でした。
あの日の出来事によって学んだこと。
信頼と誠意とは、
自分自身の姿勢や生き方を通してしか伝えられないことであり
言葉でアピールするものではないのだ。
だからこそ、私は
「自分自身」が選択し
どう生きるか、にこだわりたいと思った。
だから今だに、それを伝えていくことにエネルギーを注いでいるんだと思います。
私のチャレンジは、
ひとことで伝えるのが難しくて大変なこともありますが
でも、いろんな方とのご縁があって、ここまで来れている自分がいる。
その事実。
そのことをしっかり受け止めて、
とにかく今自分ができることに精一杯集中して生きようと思います。
剣れいや
「人を変えるのは、指示や要求じゃなくて「自分自身のあり方」」へのコメント
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