舞踏家 大野一雄氏のことば「なんのためのテクニックなのか」私が表現者に戻るきっかけをくれた言葉

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

私は表現者としてのスランプを30年に渡り経験しましたが

現在は壁画アートや舞台アートなど環境芸術にも取り組めるようになりました。

 

トラウマ克服のために様々な学びや出会いを経験しましたが、その中でも舞踏〜Butoh〜との出会いはとてつもなく衝撃的なものでした。

 

大野一雄舞踏研究所の創立者である、舞踏家の故・大野一雄氏は、

戦争体験者として戦友の死を「くらげの踊り」という踊りで表現し、当時の舞踊(ぶよう)界からは「そんなものはダンスではない」と言われ、追放されたとのことでした。

 

 

インタビューの中で大野一雄さんは「戦争中も捕虜を殺すことができず、逃がす係だった」と語っていました。

 

私がずっと知りたかった「いのち」について語っている人でした。

 

 

ある動画で、大野一雄さんの言葉を受け取り、私はこれまで自分を縛っていたものを、自分の手で断ち切ることを少しずつはじめることができました。

 

 

 

テクニックを学び続けて、絵が描けなくなった私。

魂からあふれるような表現が見つからず、表面的には表現しているように見えても、自分の心は死んでいました。

 

 

そんな私が、ほんとうは何を表現したいのか。

 

ずっと探してきて、たどりついた言葉でした。

 

 

 

その言葉を、ここに書き留めておこうと思います。


 

 

大野一雄氏のことば

 

テクニックを用いる前にね

人間の魂の問題、霊の問題、いのちの問題があるわけですよ。

 

たとえば、踊りを創るときにね

いつのまにか、そういうもの(テクニック)を用いて、踊りをやる

 

そして、いつのまにか肝心なことが無くなってしまう。

そしてテクニックだけが先行していく踊り

 

なぜ、なんのためにそんなことをやるのか。

 

 

我々はテクニックで生きてる訳ではなし

 

むしろテクニックは、使えば使うほど

大事なものが蓋をされて

 

大事なものがどこか脱落していくということについて

体験してますからね。

 

死んでからもテクニックで、後世生きてくわけじゃないから、死んでくわけじゃないから

 

私はテクニックとかそういうものは押しのけてね

 

そして、ひたすら魂の願いのようなものを

そういうような踊りを、やっていきたいと思ってます。

 

 


 

 

 

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