こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
今回の記事は、私の実体験と、そこから感じた学びをつづってみました。
・成功者から学んだのに上手くいかない
・学んだことをやってもしっくり来ない
といった、師匠に教わったことに縛られてしまっている人にとって、何らかのヒントになるかもしれません。
昨日、あることをきっかけに
ガーーーンと頭をなぐられたくらいの衝撃が走った。
それは、私のブログへの意見だったのだが
発信していることと
その内容
それはいいとして
私らしさ
が全部出しきれていない。
HowTo を伝える人では無いんだから
もっと自分全開でいいのに・・・
と。
最初に来たのは、絶望だった。
「全く理解できない」のである。
言っていることはわかる。
でも、だから何???
となって、理解できない。
これまで学んで来たことが誰かの役に立てばいいと思って、配信しているんだよ。
一体何がダメなんだ????
腑に落ちない。
しかし、その意見は、私がなんとなくしっくり来ていなかったという事実を、白日のもとにさらした。
これまで学んで来た常識
これまで教えてもらったメンターの言っていたこと
すべてが通用しない。
それらすべてを駆使しても「私」にはならないのだ。
それにショックを受けるということは
私は「本当の自分に戻るために、テクニックを使おうとしてきた」のか・・・・・・・・・??
いや!!!ちがうぞ!!!!!!
正直に言おう。
本当の自分を出さないためだ!!!!
テクニックは、本当の自分を出さないために使っていた。
おおおお、なんか分かってきた!
気づいた!!!
そうか!
その師匠の言っていたことを忠実に守ることで
私は二つのメリットを得ていた!
ひとつは、
師匠の言うことを常に心にとめて発信することで
本当の自分を出さないで済んた。
本当の自分を出さなければ、批判されてもうわべの自分が傷つくだけで済むから。
もうひとつは、
もし上手くいかなかったとしても
師匠のせいにできるから。
このやり方を忠実にやったのに、うまくいかない!
と言えてしまう。
卒業できてなかったんだ。
はーーーーー
ある俳優さんが言ってたことを思い出した。
「あ、今、演じちゃってるな・・。と感じたら、一旦、全部捨てるんです。アドバイスも何もかも。何にもなくなると、自然に自分の表現が出てくる」
そっか
捨てきれてなかったんだ。
まだ演じてたんだ。
「余計なものを全て捨てたときに、残っているのが自分」
だから、自分ではないものを全て捨てることが大切。
しかし私は
「自分自身になるために、全て捨てる」
の
「捨てる」のレベルを、履き違えていたんだ。
そしたら、今度は
「守破離」(しゅはり)という言葉を思い出した。
「守」・・・師匠に教えを請い、ひたすら真似て習得する
「破」・・・自分なりのやり方にたどり着く
「離」・・・師匠から離れる
これまで私は、守破離という概念を知っていただけで、体感としてはまったく腑におちていなかった。
教えをうけて習得する
↓
自分なりのやり方をみつける
それでよくね?
それ以上何があるんだ?
になってた。
最後の「離」
これは、恩師への執着、愛着もろともこの地の果てに吹っ飛ばすことなのだ。
師を超えることこそ、最高の恩返し。
師より強くなることで、はじめて意味がある。
確かに師匠はすごい。
その道にかけてきた執念と時間とエネルギー。
まさにプロフェッショナル。
心の底から尊敬している。
その人の仕事の密度には、
後から学んだ私は、とうてい太刀打ちできない。
しかし、
大切なのは、自分が「その人」になることじゃない。
「その人」のクローンになることじゃない。
学びの中から本質をうけとり
自分の中のいらないものをそぎ落とし
自分が本当の自分に戻っていくことだ。
そして、本当の自分にしかできないことを知っていく。
私は師匠のクローンになれないが
師匠は私という人間にはなれない。
過去の辛口記事でも書いたけど、
学ぶというのは、自分の外側に何かを付け足すことじゃない。
学ぶことの極意は、捨てることにある。
参考記事【辛口哲学】ノウハウや知識に振り回されてる人の解毒剤
その人から教わった本質的なエッセンスをしっっっかりと自分の中に落とし込んで
自分と一体化させることだ。
食べ物が、自分の血となり、肉となって、はじめて意味があるように。
しっかりと体に馴染んだら、もう旅立とう。
全部捨てても、自分は残る。
自分にしか出せないカラーを全開にして、飛びだそう!
これからの時代を生き残るためには、自分にしか出せないカラーを知ることが必須になる。その理由についてはこちらの記事で。
剣れいや(つるぎれいや)
「メンター依存から脱却しようと決意した話」へのコメント
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