そんなの興味ない
と考えていたとしても
無意識に望んでいることって、けっこうある。
自分の居場所がほしい
誰かに必要とされたい
評価されたい
それは、最初は自分を動かす原動力になる。
そして、試行錯誤しながら
最初のゴールに行き着いたとき
目の前に現れる、安息の場所がある。
それは、自分が他者から必要とされる喜びを感じることができる、そんな場所。
賞賛、評価、感謝、あらゆる光がまぶしくて、ときに目をつぶりたくなるくらい、かもしれない。
でも、もしその場所に
「なんかコレじゃない気がする」というかすかな疑念を感じる時期がきたら、思い出してほしいことがある。
ほんとうの幸せは、他人の評価からも自由な場所にあるということ。
そして、ときとして
賞賛の舞台は
誰かの枠の中に自分を閉じ込める装置にもなりうるということ。
誰かの夢
誰かの望み
誰かの基準
そんな、
自分以外の誰かの「枠」にあてはまることで、
これまで自分が無意識に望んでいたものが、得られてしまう。
そこに、ある種の安堵感を得ることができてしまう。
だからつい、そこにい続けてしまう。
ココロの声も
カラダの声も
だんだん遠くなっていく
そんなときは
どんなに苦しくても
問いかけ続けてほしい
自分はなぜここにいるのか
本当に言いたいことはなんなのか
本当に伝えたい人は誰なのか
そして、
誰からも理解されなくても
大切にしたいことは、なんなのか。
自分の内側への問いかけをつづけることは
ときに苦しいし
面倒に感じてしまう。
自分の外側に目をむけるほうが
よっぽど楽だ。
でも、
自分にしかたどり着けない場所を目指すと決めたのなら
自分への問いかけだけは
止めないでいてほしい。
剣れいや
「自分への問いかけを止めないで」への 1 件のコメント
4月にセッションをしていただき、その後の気付きから少しずつ進み始めました。
この先は未知の世界と分かった途端、急に黄色信号が出ましたが
目にするメッセージは成功した方々からの応援のような内容が多く
焦らず自分に向き合ってみると新しい気付きがありました。
そしてこちらでは
「賞賛の舞台は誰かの枠の中に自分を閉じ込める装置にもなりうるということ」
そっかあぁぁ!そういう事もあるんだと、大切な事を教えていただけて良かったです。
今はどんどん気付いて進むが続いたのでここで一度休憩して、あらためて自分への確認や問いかけをする時期のようなのでゆっくりしたいと思います(๑ ́ᄇ`๑)