私は幼い頃、
幻想の世界にアクセスして命をつないでいた。
それによって
苦しくても、
理不尽でも
かろうじて生きていられた。
幻想にアクセスできなかったら
私はもうこの世にいなかったかのもしれない。
それを思い出したのは、つい最近。
創作活動をしているクライアントさんのお話を伺ったことがきっかけだった。
私が封印していた
幻想の領域への想いが
再び燃え上がるような情熱へと
徐々に変化していった。
なぜ、こんなにも、頑なに、私は
自分の世界を封印していたのか…
いまだはっきり思い出すことができない。
しかし、途切れた記憶の片隅が現れた。
思い出したのは中学時代。
ある日の授業中の出来事だった。
その友人は
ファンタジーの世界のイラストを描くのが好きで
私が記憶している限り、いつでもどこでも絵を描いていた。
彼女はその日、数学の授業中に描いていた。
すると
ゆっくり歩いてきた教師は無言のまま
丸めた教科書で、思い切り彼女の頭をぶっ叩いた。
彼女は、その後の授業中ずっとうつむいたまま
泣いていた。
自分のやりたいことは我慢して
社会の常識に合わせなければならない。
たとえ寝食を忘れ没頭できるような、天才的な才能があったとしても。
この世界はそういうものだ。
世の中が「現実」と呼ぶものに
自分を削って押し込めるのが当然。
この世界はそういうものだ。
大人になるということは
夢見ることが許されない世界へ往くこと。
幾度となく繰り返された「何か」によって
私は
幻想の世界の扉を閉め、鍵をかけた。
私は、自分が誰なのか
分からなくなっていたのだと
今、気づいた。
私は、長い間
自分の核を
失っていたのだ。
世界を豊かにするものは
何だろう。
お金だろうか。
モノだろうか。
いま、世界は、豊かだろうか?
世界は
潤いある幸せ
夢やロマン
希望、愛
それらに
満たされているだろうか?
未だ見ぬ未来のビジョン
誰も見たことのない新しい世界
皆、それらに希望を抱いて
明日が来るのを楽しみにして
今日を
生きているだろうか。
今、私には
抱えきれない程の未来のビジョンがある。
荒唐無稽な夢なのかもしれない。
単なる過去の反動なのかもしれない。
もしくは、秘めたる反逆精神の表れなのかもしれない。
それでも構わない。
私は、きっと
生きているうちに
完成させることは出来無いだろう。
それでも
ビジョンがあるから、生きてゆける。
未だ見ぬ世界を一緒に創っていく
仲間たちと出逢うために。
剣れいや
「幻想の世界より、愛をこめて。希望のない社会へのレクイエム」へのコメント
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