ライフワークの落とし穴!いい気分になってもらう・感謝されることだけが貢献じゃない。

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

今回は、これから先の人生で自分にしかできないことを仕事にしたい自分の才能を独自のやり方で社会の中で役立てて生きていきたい、と思っている方に向けて、ライフワークの落とし穴「貢献」の本質について、私なりの意見を書いてみようと思います。


いい気分になってもらうこと、感謝されることだけが貢献じゃない。

貢献っていうと、世の中的には

困っている人に直接手を差し伸べたり、喜んでもらったり、感謝されたりすることだと思われてますよね。

 

でも、私は「貢献」という言葉について、もうちょっと広い視野でとらえてもいいんじゃないかと思っています。

 

たとえば

自分に正直に生きる人がいたとして

 

その人の存在に感化され、生き方を変える人が出てきたり

自分もそうなりたい!という人が現れたり

 

むしろ、その人に対して

「なんか気にくわない」という不快な気持ちが湧いてきて、批判したくなる人が現れる。

 

そんなふうに、

波風立たないように生きてきた人、自分らしさを置き去りにしている人の中の何かを揺さぶる、というのも、

視点を変えればひとつの貢献と呼べるのではないか、と私は考えます。

 

つまり、困っている人に直接手を差し伸べることだけが貢献ではないということです。

 

一番問題なのは、凝り固まった「貢献」という概念に縛られて、

自分自身として本当にやりたいことや、楽しんでできること情熱を持てることからズレていってしまうことです。

 

「一般的には、こういうが貢献だよね~」

「貢献ってこういうことだ」

という感じで、世間で言われているような貢献の定義に、無意識に自分のやることを押し込めてしまうと、自分の内側が歪んでいきます。

 

そうすると、行き場を失ったエネルギーがフラストレーションとなり

無意識に短期的な快楽をもとめ、どこかで発散したくなったり、他者依存になることもあります。

また「誰かの役に立っている自分に酔う」というように、歪んだ快楽を求める現象が起きることもあります。

 

「喜んでもらえて嬉しい」というのは良いと思いますが

「喜んでもらえない自分には価値がない」というのはズレた感覚なのです。

 

まあ、私としてぶっちゃけた意見を言うならば

 

どこにいるんだか分からない「大衆」とか

誰だかわからない「世間さま」に

お伺いをたてなければならない、

という謎の常識に合わせて

 

波風立たないように、角が立たないように、誰からも好感を持たれるようにと作り笑顔で生きるより

 

言いたいことを言い

やりたいことをやる

 

そういう形の貢献もあると思っています。

 

直接困っているだれかに手を差し伸べる援助やサービス。

いい気分になっていただけるような、心のこもったおもてなし。

それはそれで素晴らしいけれども

 

そういった貢献のカタチにとらわれなくていい。

 

自分らしくありのまま、好きなことをやって生きることで、思ってもみなかった誰かに、何らかの影響を与えることができる。

そういうものだと思います。

 

広い意味でとらえれば

貢献というのは、意図しているかどうかに関係なく、誰かに影響を与えることだと思うのです。

 

たとえ個人的な願望がもとになっていたとしても、その人にしかできないカタチで、心から望んで何らかの活動をしていく。

それだけでも、関わってくれた人の人生が、すこし変わるのです。

何気ない日々がちょっと楽しくなる。そういうものも貢献なのだと思います。

たとえどんなカタチの貢献であっても、最初の出発点は、必ずそのひとの個人的な思いだと、私は感じています。

だからこそ究極的には、

自分が、自分として生きていることを、思い切り表現する。

それ以外に、やることなんてないと思っています。

 

世間体とか社会的地位とか、そういった社会からの評価を度外視して、自分として生きる勇気が持てた人に、きっとその人にしか見えない、特別な世界が待っているんですね。

 

剣れいや

 

 

「ライフワークの落とし穴!いい気分になってもらう・感謝されることだけが貢献じゃない。」への 1 件のコメント

  1. 言いたいことを言い
    やりたいことをやる

    自分なりに想像してみたら
    すごく勇気のいる事だなあと思いました。

    私自身が自分にとって一番の
    サポーターになる事が出来ればいいなぁ

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