「結果にとらわれずチャレンジできる」のが、新時代の贅沢。

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

ちょっとしたアートパフォーマンスの舞台の本番を翌日に控えていたので、今日はアトリエサロンにて、夜中までプチ・リハーサルをしてました。

 

私たちは毎回、アートパフォーマンスをする時は、これまでやったことのないことを取り入れ、常に実験的な試みをしているので、毎回何が起きるか未知の領域です。正直、ドキドキです。

 

でも同時に、とても贅沢なことをしているような感覚になりました。

 

結果にとらわれず、大胆なチャレンジができて、しかもそれを心から楽しんでいる自分がいる。うまくいえないのですが、とても幸せな感覚です。

ひと昔前の自分は「周りからどう思われるか?」ということばかり考えて、なかなか踏み出せなかったからです。

 

そして、なぜか唐突に思ったんです。

そういえば、「贅沢」って何だろう?と。

 

一昔前までは、一般的に「贅沢」といえば

お金をたくさん稼いで、広い家に住んで、家事はお手伝いさんにやってもらって、高級な料理も値段を気にせず食べられて、車は高級車で、できれば運転手付きで・・・

みたいなイメージがあったかもしれません。

でもそれって、よく考えたら

「何もかもを、自分でやらなくて良くなるように・・」という方向性だったんだなーと。

 

でも、今回私が感じた贅沢な感覚は、自分でやらなくていいというベクトルとはかけ離れた、むしろ別次元の感覚でした。

 

なんというか

結果にとらわれず、なんでもチャレンジできる、という贅沢。

という感じの、新しい贅沢の基準が、自分のなかで生まれたような気がしました。

 

「何もかもを、自分でやらなくて良くなるように・・」

というのが、ひと昔まえの贅沢だったとしたら

 

これからの贅沢って

生きてるうちに、どれだけこれまでにない体験ができるか?

なのかもしれない。

 

 

未知の世界を、どんどん経験してみる。

作ったことのない料理を作ってみる。

やったことのないスポーツをやってみる。

知らない国に行ってみる。

未知の分野の知識を学んでみる。

ふだん聞かないジャンルの曲を聴いてみる。

 

挙げようと思えば、もっともっとでてきますよね。

ほんのちょっとの好奇心と勇気があれば、チャレンジできること。

 

だけど、私たちは慣れ親しんだエリアから出ることに対して、失敗が怖かったり、初心者になることに抵抗があったりして、つい億劫になりがち。

歳を重ねるごとに、変なプライドも出てきますし。

 

でも、怖がって何もしないで終わる人生って、なんだか味気ない。

人は退屈すぎると、チャレンジできない自分を正当化するために誰かにケチつけたり、色々と文句を言いたくなるものだと聞いたことがあります。

なんだかそれは潔くない生き方だと感じるし、精神衛生上もよろしくない感じがします。とりあえず、私はそんなふうには生きたくないですね。

 

明日の舞台も正直どうなるかわからないし、けっこう緊張してますが、それでも私は、やらないよりは、やってみたい。

せっかく生まれてきたんだから、死ぬまで好奇心のままにチャレンジしていきたいと思うのです。

 

それでは明日、本番いってきます。

 

剣れいや

 

 

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