それ、本当に好き?『便利さ』の先にあるもの。

『便利さ』の先にあるもの

こんにちは、剣れいやです。

 

今日は、

利便性」の話からの

決断」するということについて

ブッ飛ばしていこうと思います。

 

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私は昨日、スライサーで、けっこうなケガをした。

この世には「if」は存在しないので

「もし◎◎だったら…」

という考えは意味が無いのだけれど

「もし包丁を使ってたらケガしなかったかも…」

と思った。

 

医師の指示にしたがって、今朝も病院に。

調剤薬局の薬剤師さんが、ケガの原因を聞いてきたので、事情を話したところ

「スライサーのケガって多いんですよ。日曜の急患でもかなり多いです。

ケガされたみなさんは、スライサーを使うのをやめて

包丁をつかうようにされるみたいです」

と話してくださった。

はい、私も包丁派にもどります。

 

「便利な道具だから」

「このほうが作業が早いから」

「作り方に、そう書いてあったから…」

 

いろいろ理由はあるけれども、

「ほんとうに自分がそれを使いたくて使ったのか」

と考えると、そうでもないことに気づく。

 

私は包丁を使うのが好きだから、

あまりピーラーやスライサーを使わなかった。

でも、今回は、なんとなく流されるように使ってしまった。

 

こういう

「何となく、好きでもないことをやってしまう」

という事象は、日常でちいさな出来事として、よく現れる気がする。

 

こういった

小さな「決断」の積み重ねが

自分の人生にかかわる

大きな「決断」の練習になっているんだと感じる。

 

自分のことを何ひとつ決められない人は

きっと、幼いころから

「小さなことでも自分で決断する」

という練習をできずにいた人なのかもしれない。

 

そう。

「便利」という言葉は

「自分でやらなくていい」

という事と、表裏一体なのだ。

 

「便利さ」それ自体が悪いわけではない。

でも、便利かどうかだけで、全ての物事を判断していては

 

「自分がそれを好きかどうか」

「やりたいのかどうか」

 

という根源的な感覚とズレてしまう。

 

お得だから、

という理由だけで

「どんな想いでつくられたか」は二の次にして

安いものを買う。

 

作り手の想いは二の次で、安い野菜を買う。

気に入っているかどうかは二の次で、安い服を買う。

 

本当は「歩くのがけっこう好き」なのに

便利だから

つい、「エスカレーターに乗ってしまう」

とか。

 

そんな感覚に通づるところがある。

 

自分の感覚を置き去りにして

誰か。

「自分ではない誰か」の基準で物事を判断する。

実体のない「世間の感覚」に自分を没入させる

 

資本主義社会が回りやすい思考回路、とでも言えるかな。

 

どんな小さな事も、

自分の根源のヨロコビと照らし合わせて生きよう。

本当に生きたい「生き方」にシフトするためにもね。

さりげなく日常に忍び込む「まやかし」にごまかされないように。

 

 

剣れいや

 

 

 


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