男性は男性性を、女性は女性性を発揮しやすいのか?徹底分析。ジェンダーフリーの時代

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

今回の記事も、かなり小難しい理論ですが
女性性と男性性について興味のあるにはおすすめです。

 

前回に引き続き、読者さまからいただいたご質問にお答えする記事です。

 

ご質問の内容はこちら。

 

ひとりの中に男性性、女性性の4つのエネルギーがあるとして(地、水、風、火)

世の中の男性、女性それぞれが、そのエネルギーの持つ特性をそれぞれの性別と一致した面を持っていることが多いのは

 

社会の要求や

「男とは」「女とは」といった

規範に合わせて無意識に発揮しやすくなっているのか、

 

それとも

生物学的に発揮されやすいのか…

 

 

なるほど、

確かに、世の中を見渡すと

 

男性は男性性が強く出ていたり

女性は女性性が強く出てる

 

と感じることも多々ありますね。

 

 

男性だったら、社会的な地位や収入を求めていることが多いし

相談されたら、共感して寄りそってあげるというよりも、積極的にアドバイスをして具体的に解決しようとする傾向が強く出るかもしれません。

 

女性だったら、美しくあることや幸せな恋愛を求める傾向があったり、

また、気配りができて、相手を柔らかく受けとめてあげたり、共感してあげようとする傾向があるかもしれません。

 

 

このことについて、私自身もいろいろ考えました。

 

そして、現段階での私の結論があるので、ここではそれをご紹介します。

 

 

女性と男性、二極の性別を渡り歩き、最終的に性別フリーで生きることにした、若干逸脱した人間の視点で、

また、女性性と男性性のエネルギーを変態レベルで10年以上探求してきた視点から、という感じとなりますが

 

私個人の結論としてお答えします。

 

 

社会を見渡すと

男性は、男性性が強く出やすく

女性は、女性性が強く出やすい傾向がある。

 

その理由は

 

・社会的な要求や規範にあわせているのか?

・生物学的に、発揮されやすいのか?

ということですが

 

現時点で、私の結論は

「どちらも」です。

 

社会的な要求や規範にあわせているから、でもあるし

生物学的に発揮されやすいから、でもある。

 

 

今から、それらの理由をご説明します。

 

男性は男性性を、女性は女性性を、発揮しやすい?

社会的な要求や規範にあわせている」と考えられる理由

 

人は「環境の生き物」だと言われます。

例としてよく取り上げられるのは、アメリカのスタンフォード大学で行われたとされる「スタンフォード監獄実験」です。

この実験は、一般の学生を被験者として囚人役と看守役に分け、模擬的な監獄の中でリアルに演技をしてもらっていたが、演じている間に被験者が役になりきってしまい、危険な状況になったために実験を中止せざるを得なくなった、というものです。

この実験結果の真偽については、諸説あるようですが、

 

実際とのころ、

その人が置かれている環境によって、その人の価値観、判断基準が変わっていくというのは事実だと思います。

 

たとえば
「”A”であることが望ましいとされる、特定の価値観が共有されている環境に身を置き続けると

“B”であるよりも、”A”であるほうが、より認知され、評価されるわけです。

 

その人が、たとえ心の底では

「Bがいい」
と思っていたとしても

Aであるほうを選ぶほうが、評価されるのです。

※この傾向は、同調圧力が大きい社会であるほど如実に現れると感じます。

 

ということは、

「”A”であることが望ましいとされる環境に長期間居続けた場合

 

余程のことがないかぎり、人は無意識に

周りから望まれる”A”へと、じぶんの行動を変化させていくことになります。

 

なぜかというと

もともと省エネ指向である、私たちの脳が
A”であるほうがローリスクでメリットを享受できると無意識に判断するからです。

 

世の中に対して、
自分で考えて結論をのべたり
自分のあり方を貫くよりも

世の中の「当たり前」に従っていたほうが、余計なエネルギーを使わなくていいので省エネになる。

 

脳の言いぶんは、おそらくこんな感じですね。

 

 

例え話にしてみます。

 

生物学的に女性として生まれ、

私は “B” であることが自然で、自分らしい、と感じている人がいたとします。

この女性は、
ありのままの自分である ”B” として生きていたら、本来の性質を発揮できて、自然に楽しみながら活躍できるわけです。

では、その女性が
教育を受け、社会に出ていくというプロセスを経ていったとき

 

もし、その教育や社会のなかで

「女性は”A”であることが望ましい」という価値観が一般化していたら、どうなるのか。

 

社会からより良い評価を得るために、Aであることを無意識に選択肢はじめる、というふうに考えられるのです。

 

たとえ、その女性が心の奥で「なんとなく息苦しい。しっくりこない」と感じていても、です。

 

しかも、その人の脳は無意識に選択しているので、まさか自分が「自分を抑圧して”A”を選択している。そして苦しい原因は”A”を選択していることにある」とは、夢にも思わないのです。

 

人は社会性を持った生き物なので、特に個々が意図しないかぎり、無意識に世の中の価値観に合わせて行動し、社会的な批判や軋轢から身を守ろうとする傾向がある、と私は思います。

 

そして、大きく分けると

「社会に合わせる傾向が強いタイプ」の方と、

最初から「自分の価値観で生きていこうとするタイプ」の方がいる、とも感じています。

 

「社会に合わせる傾向が強いタイプ」の方の場合

幼い頃に、自分の欲求を抑えて、家族間のエネルギーの調整役に回ってしまっていたり、家族の誰かが、女性とはこうあるべき、男性とはこうあるべき、もしくは、社会人とはこうあるべき、といった価値観を強要するタイプだったりするようです。

そうなると、大人になってからも、自分の望みよりも、社会の基準に合わせる傾向が強くなるようです。

 

というわけで

世の女性や男性が、性別と一致した性質を持っている理由のひとつは

社会的な要求や規範にあわせている」から。

 

そしてそれは、人が社会的な生き物であり、環境の生き物であるため、と私は考えています。

 

 

そしてもうひとつの理由です。

男性は男性性を、女性は女性性を、発揮しやすい?

「生物学的に発揮されやすい」と考えられる理由

 

私は

世の女性や男性が、性別と一致した性質を持っているのは

「生物学的に発揮されやすいため」である、

とも考えています。

 

私がそう考える理由は、2つあります。

ひとつは、人間には

・DNAのもつ肉体の生存本能があるため。

ふたつめは、

・性淘汰という現象を通じ、遺伝的にそうなってきた、という可能性です。

 

DNAによる要因

DNAのもつ生存本能
我々の肉体はDNAレベルで、生まれもった性別に応じた脳の機能、生理現象をもっています。

 

(これについては例外もあるので、後述します)

 

これは、種としての「ヒト」という観点での話なのですが

 

男性(オス)という性別の特徴として、

子孫を残すために、自発的にメスにアプローチする。

自分以外の遺伝子は極力排除する。
女性(メス)をめぐるオス同士の戦いに勝ち、生き残る

 

 

というものがあります。

 

ここまでで、男性性エネルギーのキーワードである
自発的、能動的、サバイバル、分離、排除、攻撃、判断、分析などの性質が、すでに見て取れるわけです。

 

また、

女性(メス)という性別の特徴として、

 

子孫を残すため、男性(オス)を受け入れる性質。
より強い種を残すため、直感的に優れたオスを選び取る能力。
子供を守り育てるため、相手の感情や体調などを察する能力、相手に共感する能力。

というものがあります。

 

 

ここまでで、女性性のエネルギーのキーワードである
受容、調和、直感、守る、育てる、感情、共感という性質が出ています。

 

 

ただ!

生物の世界というのは、こんなふうに単純化して語れるものではありません

 

動物の世界も実は、人間社会のように複雑で、いろいろあります。

 

たとえば鳥の世界でも、オスだけが卵を温めて子育てする種がいて、その種のメス同士は戦い、勝ったメスは、より多くのオスとつがいになる、というようなめずらしい種がいます。

 

さらに、動物の世界をよく見渡してみると、メスが不倫する事例があったり、同性愛があったりと、文部省が認可した教科書には載っていないような、多岐にわたる例外があるのです。

 

また人間でも、生まれ持った性別に違和感を感じるタイプの人というのは、肉体の性別(DNA)のもつ本能に動かされているわけではなく、精神のレベルで違和感を感じているわけです。

 

なので、DNAのもつ生存本能は、絶対的なものではなく、1つの要因として考えられる、という程度だと思います。

 

性淘汰による要因

もうひとつの可能性として

性淘汰という現象を通じ、遺伝的にそうなってきた

という可能性がある、と私は考えています。

 

性淘汰というのは、種にとって理想的な個体が交配相手として選ばれ、子孫を残していくという考えです。

 

そうやって受け継がれた個体の遺伝子が、その女性や男性のもつ性質に影響を与えているとすれば、生物学的に発揮されやすいと言えるわけです。

 

そして、その理想的な個体の基準というのは、環境(時代背景、文化的背景)によって変わっていくものです。

 

わかりやすくいうと「モテるタイプは、その時代によって流行りがあるよね」ということです。

 

ということは、

ここから先の、一般的な男性像が変化していく可能性だってあるわけです。

 

そこまでいったら、もう

女性だから、男性だから、という古い価値観ではなくなるのだろうと思います。

 

ジェンダーフリーの時代。

 

その人の中の女性性と男性性のバランスを整えた先に、

自分が自然と発揮できる性質が女性性だったのなら、そちらを生かしていけばいいし

男性性のほうが自然と発揮できるのなら、そちらを活かせばいい。

 

そんな時代が来るような気がしています。

 

 

では、話を戻します。

 

 

世の女性や男性が、性別と一致した性質を持っているのは

「生物学的に発揮されやすいため」でもある、と考える理由。

 

 

私がそう考える理由は、2つあって

ひとつは、
・DNAのもつ生存本能があるため。

ふたつめは、
・性淘汰という現象を通じ、遺伝的にそうなってきた

 

という点を説明いたしました。

現時点での私の結論は以上となります。

 

 

 

 

ただ、ここまで説明しておいて何ですが

上記の内容は、あくまでも予想の域でしかありません。

 

 

私自身の人生経験を通した主観から

 

私自身、生物学的な性

つまり、カラダの性というのは、かなりあいまいなものだと感じ

 

カラダが単なる精神の容れ物である、という感覚のほうが、今の私にはしっくりきています。

 

カラダが女性(男性)でも、精神(魂)が男性(女性)だったら、違和感を感じるわけで、性別適合手術をして、体と精神を一致させる人もたくさんいます。

(そういった手術ができなかった時代は、生きづらさから自ら命を絶つひとも多かったようです)

 

自分で書いていてつくづく思いましたが

 

やはり人間は、体の性ももちろんですが

自分自身の持って生まれた精神と社会公理とのあいだのせめぎ合いのなかで、さまざまな生きづらさや葛藤を感じながらも、自分を探しながら生きていくものなんだろうと思います。

 

その葛藤から逃れたければ、自分らしさの追求をあきらめることもできます。

社会的な枠の中で、そのポジションを守りとおす生き方も選べるのです。

 

私たちは、生まれ持った使命があると同時に

それらの使命に「生きない」こともできる。

 

つまり、私たちには選択の自由があると、私は考えています。

 

 

 

剣れいや

 

 

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