毒親育ちじゃないのに、人生が上手くいかない人が気づくべきこと

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

今日は、とても大切なお話があります。

もしかしたら、これまで私のブログを楽しみにしてくださっていた方の中には

これを期に、去っていくかたもいるかもしれません。

 

しかし、私は言わねばなりません。

 

これまで私がオブラートに包んでいたことがあります。

 

 

今回から、そのオブラートを撤廃し

 

自らの信念に従い

 

包みかくさずに発言してくことにします。

 

 

 

世の中の、多くのリーダーと呼ばれる人たちや、成功者だと思われている人たちも、言わないこと。自己啓発系の人も、スピリチュアル系の人も、言わないこと。

 

 

 

それを

これから言います。

 

 

 


 

人生がうまくいかない

イライラする

無気力で動けない

対人関係が苦手

周りの人たちとうまくやっていけない

仕事がうまくいかない

恋愛がうまくいかない

お金が入ってこない

 

 

 

なぜだろうか

 

 

 

結論から言うと

 

それは

 

自分自身じゃない人生を送っているから。

 

 

 

 

自分自身じゃない人生ってなんだろうか

 

 

 

「これが自分なんだ」と思い込んでいる人生のことだ

 

 

 

自分が脳内でつくりあげた、いつわりの自分

 

 

 

そして、その思い込みを作り上げたのは、

 

 

過去に築いてきた、家族との関係性が元になっている。

 

 

 

 

 

周りにいる人たちに、自分がどんな不満を感じているのか

周りにいる人たちに、自分がどんな怒りを覚えているのか

 

 

そこに潜んでいる

 

 

 

怒り

 

 

最近覚えた怒りは

記憶が再生されただけのものであり

 

 

本当に怒りを感じたその出来事は

家族との間で感じた

原体験とともにある。

 

 

 

最初の怒りは

意識できないほど深い部分に

ずっと封印されて

 

ずっと日の目を見ずにいる

 

 

 

最近、怒りを覚えたことはあるだろうか

 

 

それに、本気で怒りを感じるだろうか。

 

 

 

 

本気で怒りを感じていたら

 

このブログを読んでいられない。

 

本気の怒りを感じていたら、文字など読めない。

 

 

 

この世には、本質的には

ただ、感情だけがある。

 

感情というエネルギーが、存在している。

 

それに対して、思考は、ただのツールだ。

 

 

 

感情というエネルギーが、すべての現象を作り出す。

 

 

 

抑圧された「怒り」は、ブラックホールのような現象を生む。

 

怒りを封印して

つねに明るく振舞っている人

みんなのためにと、世話をやく人

表向き社会貢献をしている人

 

 

そんな人には、

ブラックホールに吸い寄せられるように

人が集まってくる。

 

 

その現象が、人間関係の重力を生み出す。

 

 

その人間関係の重力でつくりあげられたのが、この現代社会だ。

 

 

その重力にのみこまれ、多くの人は苦しんでいる。

 

こうして、ブラックホールのようなエネルギーでつくられたコミュニティや、組織や、派閥のなかの人間関係はよどんでいく。

そして、それは家族間の関係性も同じだ。

 

 

 

今、人生が

上手くいっていないなら

認める必要がある

 

 

過去に家族との関係性で傷つき、

それが猛烈な怒りとして、

莫大なエネルギーが

自分の中に封印されていることを

 

 

そして、その怒りを封印しているから

苦しくて、何もできない

たまに感情が暴走して

コントロールできなくなることを

 

 

怒りを抑圧するためには

その怒りのエネルギーよりも

もっと多くのエネルギーを使う必要がある。

 

 

封印した怒りが100なら

抑えるエネルギーは100以上なければ

怒りのフタが開いてしまう。

 

 

だから、みんな必死でその怒りをおさえている。

 

怒りを抑えることで、日々の大半を過ごしている。

 

 

怒りが出てこないように

厳重に管理している。

 

 

感情が揺さぶられないような場所に行き

感情が揺さぶられないような人とだけつるみ

感情が揺さぶられないようなことをし続ける。

 

感情が揺さぶられたら、怒りが爆発しそうで怖い。

 

 

感情が揺さぶられないように、スピリチュアルな教えを信じて現実逃避をする。

感情が揺さぶられないように、耳障りのいい言葉だけを取り入れる。

感情が揺さぶられないように、淡々とした作業をこなす。

感情が揺さぶられないように、理論的なことばかり考える。

 

もしくは、すべてをまぎらわすように娯楽で発散する。

 

 

もう、いいかげん無理なんだと認めた方がいい。

 

怒りを抑えるのも、限界がある

 

怒りは、抑圧しすぎると麻痺する。

 

麻痺していると

無気力、無関心になる

 

それから先は、もう生きている実感すらない。

 

 

もし、取り返しがつかないほど抑圧したとしよう。

 

その先に待っているのは

 

ひとつは

身動きできないほどの体の不調

抑圧した怒りのエネルギーが体をむしばみ

自分の内側に向かい続けた果ての現象だ

 

 

もうひとつは

 

冷静なままキレて

その間、自分が何をしているのか自覚がないという

恐ろしい事態。

 

 

虐待や犯罪は、その状態で起こる。

 

 

 

抑圧した怒りが、臨界点に達した時に

 

自分でも気づかぬまま

なにかに突き動かされるように

意識しないまま体が動いてしまう

 

 

犯罪者はよくこんなことを言う。

「気づいたら、自分が包丁を持って立っていて、目の前に血まみれの人が倒れていた」

 

虐待する親は、こんなことを言う。

「無意識に手をあげてしまって、気づいたときには子供が・・・そして猛烈に後悔してる自分がいる」

 

 

そうなる前に、気づく必要がある。

どうしても気づかなければならない。

 

 

「できれば、こうしたほうがいい」とかじゃない。義務だ。

 

 

 

じぶんの脳内で繰り返される言い訳

 

 

じぶんも悪い部分があったから・・・とか

自分にも問題があったから・・・ とか

それもひとつの「愛」の形だったんだよ、とか

 

 

そうやって

自分が感じた「怒り」のほうが間違っていたんだと言い聞かせていることに気づく。

 

 

 

感じた「怒り」は間違えようがないのだ。

 

 

思考はいくらでも嘘をつく。

しかし感情は間違えない。

 

 

本当の意味で、自分らしく、幸せに生きたいなら

 

 

怒りが、

 

 

まぎれもない怒りが、

自分の中に存在していることを

 

認めなければいけない。

 

 

受け止めることができなければ

その先、一歩だって進むことはない。

 

 

 

そんな中でも進んでいると感じるのは、錯覚だ。

 

 

怒りの封印してあるポイントを回避しようと

がんばって遠回りしようとしているに過ぎない。

 

 

遠回りこそが人生だとか

冗談を言っている場合ではない。

 

 

 

一度きりの人生を、

自分らしさも

自分の本当にやりたかったこともわからぬまま

 

 

怒りを封印するだけで必死になって、

気づいた時には、一生を終えることになる。

 

 

 

 

私が何を言いたいのか?

 

 

 

 

自分の人生が上手くいっていないと感じるならば

自分の人生が幸せじゃないと感じるならば

 

 

「それでも私は親に愛されていた」

という幻想を捨てることだ

 

事実をみとめることだ

自己洗脳をやめることだ

 

 

そして「情」を断つ。

 

義理や情けは幻想であり、

そこにあるのは「執着」だ。

 

まず、依存を生みだすための

「常識」というシステムを疑う。

 

 

「常識」という、だれもが疑うことのない

資本主義社会にとって都合のいい文化。

 

 

「大衆」という

周りを気にして右へならえの

思考停止した集団を

国家レベルでつくることで

莫大な利益を得ている一部の人間

 

そんなくだらないシステムに

一度きりの大切な人生を

コントロールされて終わるのか。

 

 

まどわされずに

自分の人生だけにフォーカスする

 

今、自分の人生に問題を感じているのなら

 

家族や兄弟と何があったとしても

心配してはならない。

 

 

 

自分が今、苦しいんだということを認める。

他人を心配したり

助けている場合ではない。

 

 

自分を救えていないなら

他人を救うことはできない。

 

救ったふりをして

道具にしているだけだ

 

そもそも

他人を救うという考え自体を捨てる必要がある。

 

 

この世に、助けるべき他人などいない。

 

 

自分の中に巣食う、

劣等感や無力感を認めたくないがために

 

誰かを助けたい、優位に立ちたい、

優越感を感じたい自分がいるだけだ。

 

 

 

自分の傷と怒りに耐えながら

誰かを助けていたら

必ず破綻する。

 

 

自分の怒りに目を向ける勇気もなく

自分の気持ちと向き合うこともできず

 

自分という人間ひとり救えない状態なのに

 

 

だれかの心配をして

だれかを救おうとしているのか

 

 

冗談のような話だが

多くの人はそれを平気でやっている

 

 

 

 

 

今、人生に問題が発生しているのなら

自分のなかの忘れ去られた「怒り」が

自分を蝕んでいっている。

 

 

それを忘れてはならない。

 

 

誰を敵にまわしても

 

 

家族を敵にまわしても、

友達を敵にまわしても、

知り合いを敵にまわしても、

日本中を敵にまわしても、

世界中を敵にまわしても

 

 

自分の味方であれ

 

自分が自分でなくなる前に

 

 

 

 

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

「毒親育ちじゃないのに、人生が上手くいかない人が気づくべきこと」への 1 件のコメント

  1. 剣れいやさん
    こんにちは。剣さん天才だなー!と思いながらブログ拝見しています。
    おもしろくて過去記事読みまくってて、「毒親そだちじゃないのに…」にたどり着きました。
    わたしはついおととい、子供の頃に母や兄との関係でものすごーーーく怒って悲しんでたことに気づきました。
    まさに、れいやさんの言う通り、私にも悪いとこあったし、、それでも愛されてたし、、って、時々そのときの記憶が蘇る度に蓋をしてました。
    あのとき泣けなかった、言えなかった自分のかわりにいま、泣いて怒って悲しみました。「わたしは汚い!」「わたしなんてだいっきらい!!」と声が出て、わたしはわたしに絶望してたんだ。。って初めて気がつきました。だいっきらい!だいっきらい!って何度も言ってるうちに、なんだかそれまでと違う感覚が体のなかに発生しました。うまく言えないけど、、ああそうなんだ。なんだそっか。
    みたいな(笑)ほんとにうまく言えてない(笑)
    れいやさんのブログを読んでいて、これわたしだ。。って思い、あらためて、わたしに起きたことを言語化して見せてもらって納得しました。
    れいやさん、ありがとうございます。
    5月にセッション申し込んで、会いに行きまーす!!(o^-^o)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です