敵は己のうちにあり。
あたりまえのように受け入れている日常
あの人の言葉で、傷ついた
あの人の対応で、不安になった
この人がこう言ったから、やる気を失った
この人がダメって言うから、やらないことにした
あなたの外側に見えているのは、
自分でも気づかないくらい深い、深い部分の、あなたの信念が映しだされている世界。
深くて見えない、自分の心の奥底を
他人は、ものの見事に映しだしてくれている。
前に進みたいけど
怖くて進めない。
そんなとき
進めない理由があってくれたら、
どんなにいいだろうと
「無意識」は考えている。
だから、無意識が
外側に理由を求めはじめる。
何かおかしいと感じながら
そのままになってしまっているとき
だいたい、すぐ近くに
自分の成長を止める人がいる
「成長」という
未知の世界に踏み出す恐怖に比べたら
慣れ親しんだ世界のほうが安心できるから。
生きている実感も、
最高の喜びもないけど
大きな失敗もしなくて済む
だから、
「そっちに行くな」と言ってくれる人が居てくれたほうがいい。
その人の一言で、前に進むことを踏みとどまることができる。
成功も失敗もない、現状維持の世界。
ずっと、安心できる。
このままでいられる。
慣れ親しんだ枠のなかで
今の自分が理解できる範囲で
今の自分が(誰かに)許される範囲で
「変化のようなもの」を感じている。
変化したつもり。
気分転換。
それが悪いわけじゃない。
どんな状況であっても、人は自由だから。
もしかしたら
束縛というものは
一番、安心なものかもしれない。
支配されることは、じぶんの責任を放棄できるということだから。
ただ、
それが嫌だと感じているなら
その関係性に限界を感じているのなら
いつか、タイミングがきたときは
これまでの「あたりまえ」を捨てる必要がある。
人生で、行き詰まりを感じているのなら
これまでに行ったことのない場所
これまで会ったことのない人
これまでに見たことのない世界
これまで知らなかった価値観
これまでに選んだことのない選択肢
これまでの自分の「常識」を超えたものに、触れていく必要がある。
理解できるものに囲まれて安心していたら
過去の自分の価値観をなぞるだけで終わってしまう。
そして、今の苦しみから抜け出せない。
人生を変えるというのは、
枠のなかで引越しをして
気分転換をすることではない。
人生を変えるというのは、
これまでの自分にとっての
あたりまえの枠から出ること。
過去の古い自分から、飛び出すこと。
殻を破り、脱皮し
これまでと違う基準で生きる自分になる。
そのレベルの思い切りがない限り、なかなか人生は変わらない。
自分のなかの「怖れ」が、
自分を止める人や状況を創りだしている。
だから、変な話だけれど
「なんで私のやることなすこと、すべてにケチつけるの!?」
というよりは
「これまで押しとどめてくれてありがとう、さようなら」
が正解なのかもしれない。
自分のなかの「怖れ」が、
味方を引き寄せていただけなのだから。
そう考えると、たしかに
本当の意味で、外側に敵はいないのかもしれない。
敵は、己のうちにあり。
すべてを自分で引き受けるということは
そういうこと。
すべてに感謝できる状態というのは
敵すら自分が創りだしていることを肌身でかんじている、その境地のことなのかもしれない。
私はまだまだそこまでは行けていないので、精進しようと思います。
もちろん、楽しむことも忘れずに。
つるぎれいや
「自分の成長を止める敵は、いちばん近くにいる。」への 1 件のコメント
すべてが自分なんですね。。
近すぎると油断して見なくなってしまうんです。
幸せになるために、一番簡単で、一番大事な方法は、自分なのに。
すべてを自分が作り出しているのに。。