こんにちは。剣れいやです。
今回のテーマは「迷い」です。
人生に迷いはつきもの。
迷うことでよりよい結果が導き出せるなら、どんどん迷えばいいのですが
迷っているという状況自体が、ただの時間の無駄ということもあります。
それに、ずっと迷っていると、脳が「迷うモード」にハマってしまい、永久ループしそうになります。
今回は、「迷っている時間」を有効に活用していくために、
人生にたびたび現れる「迷い」の本質を解き明かしてみようと思います。
———————————————————————
人は何かに迷う時、選択肢のなかのどれかが「正解」であるはずだと思っています。
こっちを選べばハッピーエンド
こっちを選んだらバッドエンド
まるでゲームの主人公になったようです。
しかし本当に「正解」とやらを選べば、万事OKなのでしょうか?
すべての物事には、ゲームと同じように正解と不正解があるのでしょうか。
そもそも「正解」って何なのでしょうか。
大多数と同じことをやるのが正解なのでしょうか。
成功者と言われる人たちと同じ結果を出すことが正解なのでしょうか。
望んだ結果が出せることが正解なのでしょうか。
では、最初に望んでいた結果が出たとします。
ところが実際、結果がでたところで嬉しくなくて、
実は望んでいなかった!!!ということに気づいたら・・・?
それでも正解を選んだんだよ!と言えるでしょうか。
じゃあ・・「間違えない」ということが正解なのでしょうか。
逆に「間違う」とはどういうことなのでしょうか・・・・?
改めて考えてみると、
「正解ってなんだっけ?」
「成功の定義ってなんなんだ?」
と混乱してきます。
では、人は一体何に悩むのでしょうか。
人生において「正解」や「間違い」は幻想
少しだけ観点を変えてみましょう。
「成功」や「正解」を、神のごとくまつりあげたくなる気持ちを、ちょっと脇に置いて
「学び」や「経験」こそが人生にとって最も価値のあるものだと仮定したら、どうなるでしょう。
どんな結果になったとしても結果から何かを学ぶことができるのだとしたら
やってみれば、かならずその結果が出て、学ぶことができる。
そこに失敗とか成功とかいう概念が入り込む余地がなくなります。
答えのない人生を切り開くのは自分
人生というものは、学校の試験のように一律の正解があるような単純なものではありません。
効率がよければいいというものでもないし、
自分以外の誰かの基準で考えることが、時と場合によっては、その誰かのためになるとも限りません。
なので、どんなに迷ったとしても、だれかにアドバイスを求めたとしても
自分にぴったりの、唯一無二の答えが得られることはない。
世界一の大富豪も、世界一慕われている「悟った人」でさえも
あなたの人生に役立つヒントくらいは多少持っているかもしれませんが、あなただけの人生の答えは持っていません。
人生とは変化のプロセスそのもののことである
人生を山登りにたとえてみましょう。
「この山の頂上に立って、そこから見える景色をこの目で見てみたい!」と思い
山頂にたどり着くことを目標に決め
意を決して、その山を登り始めたとします。
そのときに起きる変化を、注意して観察してもらいたいのです。
一歩踏み出したくらいでは、気づかないレベルの変化ですが
確実に、自分の位置が変わるたびに
見える景色が変化していきます。
そして
進むごとに、スタート地点で見ていた最初の景色とはかけ離れていき
これまでの想像や思い込みが見事に崩れ去り
また一歩踏み出すごとに、見たこともない新鮮な景色が広がり続けます。
つまり、行動し始めれば
一歩踏み出すごとに
自分の立ち位置が変化し続け
ものの見え方も、変化し続けるのです。
こうしてみると
スタート地点で、ああでもないこうでもないと想像し
必死に計算したとしても
行動してみないことには、結局のところ何も分からないのです。
体験する前と後で違う自分になっていることを意識する
人は
自分の立ち位置
物事をみる角度
視点の多角性
解釈の仕方
それらによって、
「自分にとっての事実」を
日々、脳内に作りあげながら生きています。
大げさな言い方かもしれませんが、
極端な話、自分だけが認識している「宇宙」を自分の中に持っているのです。
それを山登りで説明するなら
一歩進むごとに、
自分の視点が変わり
見える景色が変わり
捉え方が変わっていく。
これまで知らなかった小さな発見をし
これまで知らなかった自分の一面を発見し
これまで知らなかった体の感覚を発見する。
経験するたびに、自分の脳内の世界が変化していきます。
それは、スタート地点の「行動していない自分」とは全く異なる自分になっていくということです。
経験を経るごとに、どちらを選ぶのが正解なのか、何を選べばいいのか、という悩みとはまったく異なる次元に、自分の意識がアップデートされていきます。
つまり、出発前の自分と、体験した後の自分を同じバージョンの自分だととらえてしまうと、どんどん認識がズレてしまうのです。
経験し続ける限り「自分は常に変化し、進化している!」その事実を信じることが大切です。
本当に価値があるのは正解ではなく「経験」
人は一人一人、全く違っています。
人はその人独自の「性質」「個性」「人生の目的」「学びたいこと」を持って生まれてきています。
だから、他の人がうまくいったやり方を真似しても、うまくいくとは限らないし
また、例えうまくいったとしても、心の底からの充実感が得られるとは限りません。
たとえ社会の中で人がうらやむような結果を残せたとしても、やりがいが感じられず、情熱の火が消えてしまうこともあるでしょう。
つまり、誰かが提示している答えは、あくまでその人自身の答えでしかないということなのです。
ひとりひとり、同じ山を登っているように見えても
実は自分の中にある精神世界の山を登っている
という表現もできるかもしれません。
成功者の成功哲学をそっくりそのまま実践しても、結果が出ない、もしくは、出た成果に心からの喜びを感じられないことがあるのは、一人一人が違うからです。
同じ山のことだと思い込んで、みんな別々の山のことを語っているからなのです。
人生という、多彩な側面をもった神秘的な概念を、
学校のテストの延長線上であるかのように単純に捉えてしまうと、
何かが正解で何かが間違っているという二極の思考回路から抜け出せず、
答えを求めて右往左往してしまいがちなのです。
人生は学校ではないので、そもそも「答え」などというものがあるわけではない。
経験を通じて、自分なりの答えを創っていくことが大切です。
自分にとっての、有限の時間。
自分の限られた時間を大切にするためにも、
迷っている時間を使って、小さな一歩を踏み出してみましょう。
迷いを発見に変えるための小さな実験をしよう
「迷いは正解を求めようとする意識が生み出す」ということを説明いたしました。
では、正解のない人生の中で、無駄に悩むのをやめて行動に移すにはどうすればいいのでしょうか。
それには、
自分が持っている選択肢のなかで「これかもしれないな・・」と思ったものを、小さくはじめてみることです。
自分にプレッシャーをかけるほどの大きな決断をする必要はありません。
「実際どんな感じなのか、試してみよう」
そんな軽い気持ちでトライしてみることが重要です。
「始めたんだから続けなければ」
「決めたからには結果を出さなければ」
そんなふうに堅苦しく考えず、肩の力を抜いて試してみましょう。
「嫌だったら途中でやめればいいか」くらいのスタンスがちょうどいいのです。
そのためにも、後戻りできる範囲で始めてみる。
しっくりくる感覚
これならいける!という感覚
しみじみと感慨深くなるような感覚
そういったものが感じられた時、
力ずくでこなそうとする無駄なエネルギーではなく
自然に継続できる自信が湧いてくるはずです。
剣れいや
「人生における「迷い」の本質に迫る。」へのコメント
コメントはありません