未来を視て、描く。本番後の記述。

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

2020年、12月6日の鏡ざゆら氏の公演にあたり「衣装に描く」を担当しました。

 

未来を視て、描く

数日前から移動中に曲を聴きつつ、本番で鏡ざゆら氏がどのように動くのか、その衣装には何が描かれているのかを、必死で視ようとしました。

 

なぜこのような事をするのかというと、

計画したり計算で描いてしまうと、過去の経験から得たものが出てくるだけなので既存の枠から出られないからです。

すると、未来のものであるはずの「本番の演者」と息が合わない作品ができてしまう。

 

そのため、どうしても「未来を視る」ことが必要なのです。

 

何度か、パッとイメージが見えました。

まっすぐ天上に向け、爆発的に突き上げるようなエネルギー。

 

そして「赤」

 

ざゆら氏からのオーダーは「極彩色の鮮やかなもの」ということでしたが、私に視えたのは極彩色ではありませんでした。

 

闇を脱いで現れたもの、

 

それは、言葉にならないほどのすさまじい葛藤

 

それと同じ強さの

渇望にも似た「生きる意思」が相まったものであり

 

その戦いを避けては、ざゆら氏の言う桃源郷への道は開けないのだと感じました。

 

不動明王の剣に巻きついている倶利伽羅龍(くりからりゅう)のイメージもあり

 

私の中で、天に向けて昇る龍のイメージも一体化させていきました。

 

 

これを描くためには、私自身も変わらなければならないのだ。

 

そう覚悟を決め、

何時間も瞑想しつつ、集中しました。

 

 

その夜は、鏡ざゆら氏のオーダーとは違うものになっていくことに対しての葛藤がすさまじく

 

「依頼された通りに作るのがプロである」という脳内の声と

「本質でないものを表現するくらいならこの仕事を捨てる!」と叫ぶ魂の声のバトルでした。

 

鏡ざゆら氏本人ともぶつかりながら、内なる葛藤と外側との葛藤の中で創りあげるていきました。

 

 

というわけで、ほとんど寝ずに完成させました。

 

 

 

完成した衣装。

鏡ざゆら氏からは回転の動きが多いと聞いていたので、着物の表と裏とで絵柄の緩急をつけることにしていました。



どの位置に袖が来ても、全体の絵柄のバランスが整うような作品にしたいと思い、しかしそれを計算せずにインスピレーションを受け取りながら描くという作業は大変な集中を要するものでした。


 

既存の枠を壊し、かつバランスを整えながら作品として残すというのは、ほんとうに難しいことだと痛感しましたが、

 

脳内のささやきに負けず、魂の声と直観をさぐりながら、ようやく枠から飛び出した感覚がありました。

 

 

私が慎重に確認した「神の視座」の表現ができたかどうか、についてですが

 

演者と衣装が一体となって、舞台上で晴れて神の視座としての表現に近づいたのではないか、と感じました。

 

私はやはり、描くときは完全に無心になるため、何かを意識にのぼらせること自体が不可能。

 

作品をどのようなものにするかは、最初にしっかりインストールしておいて、あとは自分を空の状態にして天に委ねるのみ。

 

私は舞台の上や路上パフォーマンスで描く経験が多く、事前に衣装に描くというのは初の仕事だったので正直どうなるか未知数でしたが、

実際に描くときは、舞台上で描くのと同じ精神状態に持っていく必要があることがわかりました。

 

逆に、事前に描く場合、本番の持ち時間〇〇分という時間的な縛りが無い分、集中力を試される精神鍛錬のような仕事にも感じました。

 

鏡ざゆら氏の舞台に関わることで、私も新たな表現を学び、自分の中の既存の枠を壊すことができ、次の仕事への意気込みも湧いてきました。

次なる舞台への課題にも取り組みつつ、邁進したいと思います。

 

 

剣れいや

 

 

 

 

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