【ハロウィン】ラク〜に生きてるヴァンパイア「RAKU」を体現するまでの考察と記録

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。


毎年恒例の「ハロウィン表参道ガイコツメイク」のパフォーマンスは、今年は中止いたします。

とてもくやしかったのですが、2020年は中止です。(悲)

 

2019年の様子はこちら↓

ハロウィン表参道ガイコツメイク

2019.10.27【表参道ハロウィン ガイコツメイク】ARTパフォーマンス – Omotesando Skull Makeup –

実は、今年2020年のハロウィンは、毎年ハロウィンにガイコツメイクでパフォーマンスをしている鏡ざゆら氏が、仲間を引き連れて集団ガイコツをやる予定だったのです。


毎年少しづつレベルアップしてきていたので、今年は発展していく兆しを感じていました。


ですが、コロナという現象によって、あらゆる予定が急遽変更となってしまいました。


さらに今年は、ハワイのリトリートツアーの企画も持ち上がってましたが、今のところ無期限延期です。



でも「だからといって何もできないわけじゃないだろう」って話になり

これまでやっていなかった新しいことをやってみよう!という話になりました。

新たなる挑戦

私たち二人は、2016年から今まで
「無形アートユニット」として、常に新しい試みにチャレンジしてきた。


「だったら、社会情勢がどうであれ、今年も何か新しいことができるはずだ!」ということで



2020年の6月ごろ、鏡ざゆら氏が提案してきた。




「れいやさんも何か変装しなよ」と。



確かに、私は他人に描くことはあっても、自分自身に描いたことはほとんど無かった。
ざゆら氏と話し合った結果、ヴァンパイアでいったらどうかということになった。



しかし、一般的なヴァンパイアの仮装をするだけなら誰でもできる。


私たちには
「模倣でも、再現でもなく、表現を」という思いが、常にどこかにあった。



なんだかんだ議論していた時

ざゆら氏から「RAKU」という名前を受け取った。

ざゆら氏から名前を受け取るというのは、とても重みのあることだった。



表現を探求する者として、新たな人生をすすむ覚悟を問われるからだ。



例えがぶっ飛びすぎかもしれないが

チベットの僧侶は、山奥で修行するなかで、使い方を教えられないまま法具を渡されるのだという。
自分で試行錯誤しながら試していくことで、その法具の使い方が感覚的に解っていくらしい。



ざゆら氏から受け取る「名前」も、似たようなところがあると感じる。

ヒントは渡されるが、答えは渡されないのだ。



そこで、私は、RAKUというキャラクターがヴァンパイアだとしたら、一体どんな存在なのかを考えてみた。

ラク〜に生きてるヴァンパイア「RAKU」

私は、ざゆら氏から何度も言われた。

「自分として届けたいメッセージをRAKUに込めるんだ」

「こうすればヴァンパイアっぽいよね、ではなく」

「既存のヴァンパイアというイメージにとらわれず、れいやさんの別次元の姿だと捉えて欲しい」


ものすごく難しかったが

毎日必死で考えていると、RAKUについてのキーワードが降りてきた。


ラク〜に生きてるヴァンパイア「RAKU」

私は、RAKUが何かの象徴であると感じた。



世の中で「これがヴァンパイアだ」と思われている姿を単に模倣するのではなく
自分の表現として表すにはどうすればいいのか・・・?



自分の中で、ヴァンパイアという存在を再定義する必要があった。



6月からずっと、ヴァンパイア映画を見たり、その歴史をたどりながら、考えつづけた。




そもそもヴァンパイアとは一体何なのか。




これまで自分が、この世界に向けて発信してきた内容を振り返ったとき

ヴァンパイアは「奪い合う世界の象徴」なのではないか?と考えた。




ヴァンパイアは、不死身である。



ヴァンパイアは
わたしたち人間や動物たちのように
自然な死をむかえることがない。


それはつまり、
ヴァンパイアが自然のことわりから外れた存在であるということであり

それはすでに生き物ではないのだ。



つまり、ヴァンパイアは実のところ
永遠の命をもつ存在なのではなく

生きることができないのに、死ぬこともできないという

永遠につづく退屈な絶望の中で、血を求めて彷徨う存在なのである。




彼らは、自分のもとに人間をおびきよせようとする。


人を魅了するミステリアスな風貌を持ち
その蠱惑的な退廃美に惹かれ、誘いこまれた人間の「生」を、消費する。



彼らには感情がない。

感情とは、人間が「生きる」ための指針となる
魂の羅針盤である。



しかし、彼らには死がなく、よって
生きるということもないのだから、

感情も必要ないのだ。



私は、ヴァンパイアの世界が、不思議と

現代社会の闇、エネルギーを奪い合うハラスメント界と重なって見えた。



生きているはずなのに、生きている感じがしない。

自分の感情も分からない。

なんのために生きているのか分からない。

何かが足りない気がして、手当たり次第に、常に何かを消費している。

そんな空虚な現代社会を生きる人々の心の空洞。


それらに、ヴァンパイアの影を感じた。




では、もし
ヴァンパイアの中で、血を飲むことをやめた種がいたとしたら?どうだろう。


古くから、物語の中では、
ヴァンパイアは血を飲まなければその姿を保てないとされてきた。


よって現在に至るまで、ヴァンパイアは血を飲まなければ存在できない、というのが通説なのだが、
実はそんなことはないとしたら?

最初は長期にわたる禁断症状に苦しむけど、そのうち慣れて、野菜ジュースでもよくなるとしたら?


もし、仮にそういうことができる猛者のヴァンパイアがいたとしたら
彼は、いったいどのような風貌をして、どのような表情で、どのような姿で現れるのだろうか。


私は、RAKUをそのような生き方を選んだヴァンパイアとして設定し、考察し
ネット上でさまざまな写真を見ながら、彼の人物像を膨らませていった。


私の中に降りてきた RAKUのイメージは、色が全体的にブルー系だった。


血に飢えた人生を捨て、あらゆる激しい欲求を克服しているので、表情は穏やかだ。

常に襲う相手を探す必要もないので、ギラギラ感もない。


RAKUを思い描くうちに、
RAKUがヴァンパイアとして血を飲むのをやめた理由は
ただ「ラクをしたかったから」なのだろうと感じた。


RAKUは、ラクをしたいがために
究極の合理性を追求したのだ。


人を襲うのは大変だし、面倒だった。

RAKUをしたかったから、人を襲うのをやめた。

RAKUをしたかったから、血を飲むのもやめた。


禁断症状に苦しんでのたうちまわったが
ブラッドオレンジジュースとか、トマトジュースとか
いろいろ試しながら、徐々に耐えられるようになっていった。


のではないか。




彼は、厳密にはヴァンパイアではなくなったのだ。


なので、彼には死がおとずれるのかもしれない。
だとしたら彼は、永遠を捨て、自ら死を受け入れたということになる。


彼はもともとヴァンパイアなので
たとえ血を断てたとしても、これから先、完全に血への誘惑がないとは言い切れないかもしれない。


血を得れば、また永遠に生きながらえることができるかもしれない。



でも彼はきっと、面倒な昔の生き方に戻りたいとは思わないだろう。

だって、ラクがしたかったんだから。


ラク〜に生きるためだけに、RAKUは命がけで血を断ったのだ。


「ヴァンパイアは人を襲って血を飲むしかない」という常識に反旗をひるがえすのは、恐怖だったかもしれないが

自分は狂ってしまって今度こそ死ぬかもしれないと、何度も思ったかもしれないが

でも、やっぱり、ラクな生き方がしたかった。




人を襲って生きるなんて、面倒なことはしたくなかったのだ。



それだけが、RAKUを
新たな生き方への挑戦にむけ、突き動かしていったのだ。




人間になりたかったわけでもなく
ヴァンパイアを辞めたかったわけでもなく

ただ、もっとラク〜に生きたかった。



襲ったり、奪ったりするのでなく
ゆる〜くいきたかったのだろう。




と、そこまでイメージして、だんだん彼の風貌が見えてきた。





RAKUになるために


6月末あたりから、RAKUのメイクの研究を重ねていった。



RAKUを表現するのは、想像以上に難しかった。



なんども鏡ざゆら監督にダメ出しをくらいながら、研究を重ねた。


「既存のヴァンパイアのイメージに囚われすぎている」

「自分ではないものになる、んじゃないんだよ。
れいやさんのパーソナリティを取り払って、まだ見えていない内面を表に出すんだ」

「自分の顔を消して違う顔を描くんじゃない。れいやさんの元々の顔立ちを生かしてRAKUになるんだ」


ざゆら監督の要求は常に高度であり、だからこそ私はいつも、自分と深く向き合うことになる。



私とは何なのか。

私は何を伝えたくて、表現をしているのか。


なんとなく、でやっていると、つい忘れがちになるそれに、必死で向き合う日々だった。



RAKUは全体がブルー系だったが
私の色素はパーソナルカラーで言うとオータムカラー。

黄色けい、茶色系なのだ。

自分に合う色でメイクをしてしまうと健康な感じになるので、
どうしてもヴァンパイアっぽくならない。

なので、下地の時点で黄色味を消すことが必要だった。


試行錯誤しながら、何ヶ月もたった。





もとはヴァンパイアとして血を得ていた。

血塗られた過去を持ちつつも
それでも今は過去を克服した

それがRAKU。


彼はきっと今、何ごとにも執着がないのだろう。
最大の恐怖と、過去の自分と向き合い、乗り越えたのだから。




幾重にも思考を重ね、浮き上がってくるRAKUのイメージを必死でとらえようとした。



骨格から作り上げるために、陰影をどう設定するか決めていく。

 

初期段階のRAKU。まだ人間臭い。

RAKUを体現したくて、研究の日々。


しかし
なんど試しても、納得のいく姿にはならず、なかば絶望していた。


しかし、あきらめきれなかった。


RAKUという存在を探し続けた。

自分の中に、自分の外に、

RAKUはきっといるのだ。



そして、9月中旬のある日、実験的にメイクをしつつ二人で収録していたら、なんとなく流れを掴んだ気がした。


急いでRAKUの特徴をメモしていく。

 

一区切りついた感じだ。

まだ完成とまではいかないが、

私の中で、RAKUの外枠ができた。

 

これは仮の撮影だったので、完全なかたちではないけれども、あるていど固まったと感じた。

それにしても
「ヴァンパイアっぽさは残しつつ、厳密にはヴァンパイアではない存在」
という、微妙かつ中途半端なニュアンスを出すのは、めちゃくちゃ難易度が高かった。


もっとわかりやすく「これぞヴァンパイア」と
目の下にクマがあるような病みメイクをしたり、血を滴らせたり、牙をつけたりするほうがよっぽど簡単である。


でもそれをやったら
記号化されたヴァンパイアの再現になってしまい、自分の表現ではなくなるし

何より、RAKUと「現役ヴァンパイア」との差異がなくなってしまう。


なので、現時点の私の表現力では、これが限界である。




なんとかざゆら氏のOKも出た。

「もう少しシェーディングを濃くして、骨格を出した方がいいかもね」というくらい。

個人的には、肌はもう少し青白くてもいい気がした。また研究だ。



何とかRAKUを体現したことで、RAKUとは何なのかを少しだけ理解できた気がした。




ラクな生き方を模索するということは、決して逃げることじゃない。




もっとラクに生きるために、全力を尽くすのだ。



すべてのしがらみ、古いしきたり、固定概念

それらに対していちど疑ってかかり


本当にそうするしかないのか?
本当にそれしか方法がないのか?


それらの疑問と徹底的に向き合い

もし納得いかないのなら、
その疑問に対して、人生ごと全力でぶつかっていく。


その結果、自分がどうなってしまうのかは分からないとしても


今のまま、不安なまま、
納得いかないままでいるより

ずっといいんだ。




RAKUが、そう教えてくれたような気がした。





剣れいや

 

 

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