一緒にいると、安心するね。ネガティブな感情を可視化・具現化して抱きしめる

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

不安な時や、意味もなく怖くなる時、みなさんは何をしますか?

 

私は幼いころから「怖い」や「不安」が大きく、大人になるころには完全に感覚を麻痺させていました。

 

そのせいもあり

 

幼い頃は、絵や音を使って

創作をすることが大好きだった私は

 

あるとき罪悪感や怖れに足をすくわれ

自分の作品と呼べるものを一切作れなくなっていました。

 

 

それは何十年にもわたる、表現のトラウマ期のはじまりでした。

社会的に自分の居場所を作り、信頼されて収入が増えたら、きっと安心できるし、幸せになれる。

そう信じていた私でしたが

ひたすら仕事で努力し、社会的に認められ、収入が増えてもまったく幸せを感じられませんでした。

 

そんなあるとき、アートセラピーに興味をひかれました。

 

アートセラピーと聞くと、

描いた絵で人の精神状態を分析するような、ロールシャッハテストみたいなイメージをされる方もいるかもしれません。

 

実は、私が学んだ表現アートセラピーは

 

ありのままの自分の感じたことをイメージ化して

そのイメージとコミュニケーションをとってみる

というアプローチで、

 

分析やジャッジをしないという類のものでした。

 

ネガティブでも、ポジティブでも、自分が感じたことに間違いはない。

気持ちを大切にしていい。

 

ありのままの自分にOKをして

どんな感情がでてきてもOKする。

 

出てきた感情をイメージ化して

そのイメージと一緒にいてあげたり

そのイメージと一緒に踊ったり・・・

 

それは初めてふれる価値観であり、あまりに新鮮で衝撃をおぼえました。

 

「感じたことがすべてであり、感じることに正しいも間違いもない」

 

そんなユング心理学をベースにしたアートセラピーやボディワーク。

 

それらを実践していくうちに、私の感覚は少しずつ変化していったのです。

 

 

 

思い返せば、私は幼い頃からずっと

自分の感情を抑圧して生きてきました。

 

ネガティブな感情におちいると

「こんなふうに感じるのは間違っている」

「こう感じる自分はおかしいのかもしれない」

そう考えて、なんとか対処して改善しなければと必死でした。

 

私はずっと生きづらさを感じていたので

ポジティブシンキングとか、鈍感力とか、あまり空気読まない図太さとか・・・

そういうものが足りないんだと思っていました。

 

 

自己啓発を学び、理想の自分をイメージしたりしましたが、一時的に良い気分になるだけでした。

 

今思えば、そのやり方自体が対症療法的だったのですが、当時の私は気づきませんでした。

 

 

でも、自分の本質にたどりつこうと進むうちに、気づきました。

 

私は足りなかったのではなく、余計なものを持っていたのです。

 

その余計なものとは

 

「ありのままの自分ではダメなんだ」という強烈な思い込みでした。

 

 

ありのままの自分が感じること。

それを受け入れるのは、最初はとても難しく感じていました。

 

 

 

ものごころついてから、ずっと長い間

 

自分の問題をみつけて改善しなければ。

それができたら、他人の問題もみつけて改善しなければ。

 

そうやって走り続けていた私。

 

 

それ以外の生き方を知らなかった。

 

だから、それ以外の価値観を取り入れたら

これまでの自分が足元から崩れ去る気もしました。

 

 

それでも

ただ自分の内側に向き合って

自分の中に押し込めていた感情をみつめていく、というのを繰り返し

 

その感情を視覚化して、

ときに触れられるように

具現化していきました。

 

私の心は自分自身に受け止められることで、すこしずつ癒しが起きていきました。

 

 

これまでは

「誰かに評価されなければ、作品なんて作る意味はない」

と思って創作意欲を無視してきたのですが

 

少しずつ、自分の感じるままにつくることができるようになりました。

 

 

思い返せば、私は6歳の時にはすでに

自分の心と意識を切り離していました。

 

なので、自分の魂から湧き出るような表現を実感したことは、無かったのです。

 

2016  – KARASU –

 

私が2016年に制作した、動のオブジェ「KARASU」

オブジェと言っても、これは手を入れてクチバシを動かせるカラスの人形のようなもの。(人じゃないから鳥形?)

 

カラスさんと呼んでいます。

このカラスさんですが

2019年になって急に、存在自体に違和感を感じはじめました。

 

 

とにかく違和感だったので「手放したいのか?」とも思ったのですが、何かが違う。

 

 

なんというか、

変化したい、という感覚。

 

そういうえば、カラスさんには体がない。

 

 

作品は、自分の内面の投影。

このカラスさんは、私の心の投影だった。

 

そう感じた。

 

 

いつも、誰かのために奔走していた私。

 

このカラスの空洞の体に、手が入り、クチバシが動くように

 

頭で考えて、口がうごき、声が出る。

しかしそれは、外部から「動かそう」として侵入した何者かによってコントロールされている

 

もしかしたら私の魂は、私の作品をつうじて私にメッセージを送っていたのかもしれません。

「いつか気づいてほしい」と、ずっと願っていたのかもしれません。

 

 

私は緊急事態だと感じ、カラスさんに体をつけることにした。

 

とにかく体になればなんでもいい!!

急がなければ!!

 

こうしてカラスさんに体ができました。

 

心なしか、誇らしげというか、安心感がある。

 

私も、これまでカラスさんがヘナヘナだったので置き場所に困っていたのだが

 

体ができたカラスさんは、抱えるのにちょうどよくて、しかもフワフワ。

不安になったときにひざに抱えると、安心感がすごい。

 

ほっとして安心感を感じると、思考も暴走しなくなるから、ブログもはかどりました。

 

私は思考が優位になりやすく、不安になると思考が暴走しやすい。

思考優位タイプが暴走すると、理論武装してひたすら正論でぶったぎるから、まったく共感できない冷徹な文章になってしまうのです。

 

そんなときの記事は「〜するべき」みたいな「べき論」に終始しがちで

 

「伝えたい!」「表現したい!」

といった

内側から沸き起こる、ワクワクするような純粋な動機が消え去ります。

 

なので、なんとも魅力のない文章になってしまうんですね。

 

さらに、動機がない状態で書くので、結局思考が暴走して、何を言いたいのか分からなくなることが多い。

そんな状況がつづくと

「何を言いたいのか分からない書きかけの下書き」が量産されるのです。

そういう下書きは、あとあと掘り起こしたとしても

結局「何を言いたかったのかわからない」もんだから、続きを書く気になれない・・・

 

でも、そんな不毛なルーティンから抜け出ることができました。

自分の感じたことを、ありのまま受け止める。

じっくり感じる。

実感する。

 

言葉ではこう、さらっと言えてしまいますが

それを実際にやるとなると、その難しさに唖然とします。

 

そんなとき、アートは救いだと感じます。

 

見える、触れられる。

 

そしたら、時間をかけて「気持ち」と仲直りすることもできるんだ。

 

たとえ何年越しであっても、

あきらめなければ、それはできる。

 

 

今回の件で、そう強く感じました。

 

KARASUと共演した記事
【助けを待つんじゃない。自分で自分を救うんだ】

助けを待つんじゃない。自分で自分を救うんだ


表現と癒しに関する記事
自分のアートと一緒に寝たら、魂が癒された。

自分のアートと一緒に寝たら、魂が癒された。表現のトラウマの終着地点

 

 

剣れいや

 

 


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「一緒にいると、安心するね。ネガティブな感情を可視化・具現化して抱きしめる」への 2 件のコメント

  1. 初めまして。

    二週間前ほどに何かを検索した時剣さんのこのHPに辿り着き、自分の今のヒントになる記事がたくさんで、遡って読ませていただいてます。

    今回の記事を読んで、自分と重なる点、
    ・心と意識を切り離していた
    ・思考が暴走してしまう
    ・表現がしたいけれど、魂から湧き出る感覚に乏しい

    があり、なんというか、この違和感の正体が掴めたような気がしています。

    自分がありのままでいいと思えていなかったことから
    今は少しずつ自分を愛すること、そして他者を本当の意味で愛することを
    この一生を通してやっていきたいのだなと思い
    そこを言語化しやすくしてくださる記事を書いてくださって
    本当にありがとうございます。

    これからも拝見しますね。

  2. この間、初めて枕を抱っこしました。あの感覚を思い出しました。

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