絶望の中から、ひとつの答えをみつけだす
ずっとずっと
見失っていた。
このままの私では、ここを超えられない、
そう感じていた。
これまでのことはすべてヒントのはずだった
いいとか
わるいとかの次元を超えて
並列にしていく
飲み込まれそうになりながら
揺らぐ心をしずめながら
その先へ向かいたくて
目の前のものを見る
ただ見る
現状をジャッジしたくなるのは
その先に行くのがこわいから。
こわくてもいい。
こわいままでも
私はその先へいきたい
もっとその先の自分を知りたい。
生きているあいだに
その先の世界を知りたい。
これ以上何もできなくなって
ただ観念すると決めたとき
自分のなかから
ストレートな言葉があふれてきた
いや、違う
あふれてきた、とかいう感じではない
焚き火で焼けた栗が
ぽんぽんはぜるような
自分自身への不満だった。
しかし、その不満は
私がいちばん避けていた
純粋な本心だった。
ひとつひとつは
小さな沸騰だが
圧力がすごい
もう痛みすら感じないくらい
いっそすがすがしいくらい
ストレートな
自分が自分に言いたかった
「自分への怒り」だった
もう
耳をふさぎたくなることも
目をおおいたくなることも
なかった。
観念していた。
私が、
進もうにも進めなかったのは
これを見ないようにしていたからだと知っていた。
そう
ずっと気づいていて
気づかないふりをしていたのだ。
数年前から
仮面とか、着ぐるみとか
取っ払ってきたけど
まだ居た。
捨てたふりして
かぶり直したのか
別の着ぐるみを着たのか
別の仮面をつけたのか
それとも
仮面を取り去ったら
別の仮面をかぶっていたのか
そんなことはどうでもいい。
ほんとうの私ではないことに変わりはない。
ほんとうの私は、仮面の私に言いたいことが山ほどあったのだ。
しかし、黙っていた。
でもその長い沈黙も、もう終わったのだ。
強烈な、率直な
ありのままの言葉は
私の仮面を崩していく。
そうだ。
これまで何も言ってこなかったのは
あきれて、もう物も言えなかったからだ。
なんであきれていたのかというと
言っても聞く耳を持たないからだ。
何を言っても
私が立ち止まらなかったからだ。
そりゃあ言う気もなくす。
私がこれまで
自分の中にいると思っていたのは
口をつぐんでいる
幼い純粋な自分のイメージだった。
封印した「おさな子」のイメージのままだった。
しかし、
イメージはくつがえされた。
私にたいして、歯に絹着せぬ言葉を投げつけてきたのは
幼い子供ではなく、青年だった。
思春期の青年だ。
一般的に言う「不良」のような口調だった。
いや、不良という言葉自体が失礼な言葉だと今思った。
不良という言葉自体が、抑圧する側の理論で生まれた言葉だ。
その言葉をもってして、抑圧する側が正しいことにしているじゃないか。
本当のことを言わない大人に嫌気がさして、あきらめた。
ホンネの言葉が通じないから、もう言葉をつかうことをやめた。
会話をすることができないから
まっとうなコミュニケーションをやめた。
その先に噴出する
行動による反抗。
それだけだ。
これまで、私の中の純粋さは
無言という名の行動で、私に存在を示していた。
そうだ。私が放置してきたからだ。
私の中の純粋だったものは
私に無視されて
あきらめて
もう言葉すら発しなくなっていた
でも、今こうして
忌憚ない言葉を浴びせてくるこの青年は
私自身であり
それはありのままの私であり
つまりここでこうして客観的に書いている自分こそが
傍観者になっていた仮面の私だ。
投げつけられる言葉に
いちいちもっともだと感じ
なかば呆然とする。
自分の口から出てくる
ほんものの言葉を聞いているうちに
いつのまにか
疲れ果て
絶望の眠りについていた。
絶望の中、夢を見た。
・
・
・
いくつかの夜の場面。
見知らぬ女性が、私に
何かの交換条件をつけ
「家に来て髪を切ってほしい」と笑顔で頼んできた。
彼女の髪は胸くらいまであり、彼女自身でもふつうに切れるのではないかと思った。
なぜ私に頼むのだろう?
私は、いろいろな意味でためらい
美容師でもない私は
「責任がとれませんから」
という言葉で断った。
夜の住宅街を
ひとり歩いた。
見たこともない街並み。
こじんまりとした道だった。
ある家には、石でつくられた低い垣根があった。
その石の上はくり抜かれており
たえまなく澄んだ水が流れていた。
水のなかには、見たこともない花が沈んで咲いていた。
いろいろな花の美しさを凝縮したような姿。
バラ、トルコキキョウ、ハス、ラナンキュラス・・・
そんな雰囲気をすべて醸し出せるように生み出された、としか思えない
美しい大輪の桃色の花。
夜の街路の明かりに照れされながら、その花たちは連なるように咲いていた。
私はその花と水の共宴を、どうしても撮影したい、作品に残したいと思った。
私の他にも、道を歩きながら、その花を見て色々話している人たちがいた。
・
・
・
夢から醒め
夢を振り返り
思いをめぐらせた。
私は、夢の中で
感動していた。
私は、知らない人と
同じものを見て感動していた。
同じものをとおして、心を動かされていた。
言葉を交わさなくても
感動を共有していた
いや
もちろん、ひとりひとり
感じることは違う。
だから、
感動というものは
共有できない。
でも、
同じものをみて
ひとりひとりが
違う感動をしていた。
だからこそ
自分がどんな感動をしたのかを
伝え合うことは
できるはずなんだ。
そしてきっと
それは
その人を通してしか表し得ない
唯一無二の感動のかたち。
百花繚乱の、表現の世界だ。
私はきっと
何か大切なことを、忘れていたんだ。
私は、もう記憶すらしていない
遠い昔に
私は、だれかと感動を共有することをあきらめたのかもしれない・・・
思い出した。
あきらめたから
意図的につくりだせる
無機質でいられる
デザインという分野へ進んでいった。
デザインの世界は、
コミュニケーションの世界。
マス・コミュニケーション。
より意図を伝えるために
記号化し
目的を達成するために
機能させる
という
世界だった。
私は、その世界に対して
自分には合わないと感じながらも
「作品とは、意図を伝えるものでなければならない」
そう自分に刻み込んでいた。
最後には
デザインの世界に息ができなくなり
写真を専攻した。
しかし、デザインの世界の写真は
商業写真の世界への道でもあった。
その先に進もうと思えば、
また同じ道が待っていた。
意図、暗号、トリック
それらを伝えるための、表現。
意図を持って作品をつくることを覚えた。
私が本当の意味で
「自分の」作品を作らなくなったのは、多分その頃からだった。
きっと
世の中の「Yes」に毒されていた。
私は、捨てるときがきたのだ。
どう思われようという意図も
何を言うべきかという企図も
「こうでなければならない」
を、ぜんぶ。
いろいろと混濁した脳内が、まだ自分のなかに何も映し出せない。
重い体を起こし、私は喉の渇きをいやそうと思った。
お湯を沸かそうと、ヤカンを火にかける。
思考が働かない。
無性に立っているのがつらくて
いつもなら、絶対にこんなことは無いのに
しかし
その場にしゃがみこんだ
そのときだ。
目にとびこんできた。
一瞬で釘付けになった。
青い炎。
私の目をとらえたのは
まっすぐに上に向かってのびる
青い炎だった。
透明感のある、薄紫から、青への
静かなグラデーション。
なぜ、ここまで衝撃を受けるのか。
なぜなのか
知りたくて
私の意識は、
さらに深くへともぐっていった。
赤、だと思っていた。
熱いのは、赤だと。
情熱の、赤。
私は、とらわれていたのだ。
炎は赤くあらなければならないと。
燃えているのなら、
赤いはずだと。
頭のどこかで決めつけていた。
思い出した。
花火だ。
この前、お客さまが帰ったあとに
たまたまサロンから花火大会が見えて
小さく見えていただけだけど
夢中で見入っていた。
ただただ感動していた。
あれもヒントだった。
火が赤いのならば
花火はすべて赤になるはずだ
でも、
花火で私の目を奪った色とりどりの炎も
いつも目にする
キャンドルの黄色やオレンジの炎も
毎日のくらしの中にある
青い炎も
すべて、火だ。
私はしらずしらずのうちに
記号化されたイメージを脳内に居座らせ
固定概念にとらわれていたのだ。
自分の中の炎をジャッジして
赤じゃないなんて
おかしいじゃないかと、
そうやっって
いつもいつも
自分を疑っていたのだ。
私は私なりの
炎でいいのだ。
そして、みんな
自分の色の
炎でいいのだ。
いつのまにか
「こうでなければならない」に縛られていた。
多くの人に届けたいと思うがゆえに
誰にでも届く言葉を選び
あたりさわりなく
綺麗事にまみれ
理路整然とした
理屈にまみれ
自分を見失っていくスパイラルが、そこにあった。
誰にも届かなくていい。
自分らしくあることができれば、それでいい。
ズレて居たって
おかしくたって
足並みがそろわなくたって
めちゃくちゃだって
白い目で見られたって
自分を偽る苦しさにくらべれば
大歓迎だ。
自分らしい色の炎を
絶やさずにいられるようになるまで。
しっかりと、自分らしさをみつめていく。
それができたなら
自然と、誰かに伝わっていくのだ。
伝えようと、もがくことすらない。
剣れいや
「燃える青」へのコメント
コメントはありません