得意分野は過剰になるとバランス崩す。新時代を謳歌するための、女性性と男性性のバランス

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

なぜか令和になってからというもの、バッタバタと慌ただしい日々です。

時代の節目ということでしょうか。

これまでの流れが時とともに切り替わり、様々な「変更」が起き、時代のエネルギーも大きく入れ替えが起きているような感覚があります。

私自身も、より大きな視野でものごとを見ていくため、ひたすら経験をとおして勉強し続ける日々となっています。

 

慌ただしい時こそ、大きな時代の流れをみすえた上で、自分の方向性を見失わないようにしたいものです。

そんな感じで今回は、

わたしたち日本人が陥りやすい停滞感をさぐりながら、

この世界で自分自身の強みを生かすということがどういうことなのかを、エネルギー的な観点からじっくりと綴ってみようと思います。

表面上の変化とはウラハラに。。。

世の中が大きく変わるのは

元号が変わるからとか、オリンピックが開催されるからというわけではなく、

文字通り、歴史的な時代の変化の波が訪れているからだと思うのです。

文明開化のような感じですね。

なんでも一括りに捉えるのは好きではないのですが

強いて言えば日本という国は、

新しいもの好きな割に、民族的なエネルギーの根底の部分に閉塞感が漂いやすいと感じています。

表面上はどんどん変化しているように見えて、根底の部分では停滞しているのです。

川に例えるのなら、川面は流れが速くてスピーディーだけれど

底の方に水流がにぶい層があって

そこから下は、よどんだ水や泥が長いあいだ動くことなく、とどまっている。

その川は、外側から見ているぶんには、すごい勢いで移り変わっているように見えます。

しかし底の方には、上層の流れの速さにについていけない層が存在しており、淀みや、澱(おり)のようなものが滞っているわけです。

表面上に見えるものごとをどんどん刷新していても、心の奥に空虚さがあり、何かを置き去りにしたまま走っているような感覚。

表面上はエキサイティングな日々を過ごしているようで、心の奥底がなんだかモヤモヤしているような。

 それが、なんともいえない違和感なので、見ないようにしてまた走り出してしまうような。

自覚しているか、麻痺させているかの違いはあれど、この感覚は今、多くの日本人が感じていることなのではないかと思います。

 

そうなってしまう理由のひとつとして

日本が和の文化を持っているためだと、私は感じています。

 

和の文化とは、

調和する、一体化する、融合する。

安定させる、維持する、育む。

といった女性性のエネルギーです。

女性性には

水のエネルギーと

地のエネルギーがあります。

おもてなし大国と呼ばれる日本の「相手を気遣い、相手を思う行為」は、

自分と相手の境目をなくす、共感や融合という水のエネルギーを使うことで可能となります。

また、信頼関係や絆などの、長期的な心のよりどころとなる精神基盤は、

いちどきりの関係ではなく、長い期間にわたって関係性を維持、継続するといったかたちで地のエネルギーを定着させることで培われるものです。

 

それらは、女性性のエネルギーによってもたらされます。

 

女性性のネガティブな面

しかし、ものごとには必ず二面性があります。

つまり、すべてのものごとには、ネガティブな面とポジティブな面があるわけです。

 

女性性の「調和」のエネルギーがネガティブに働くと

「まわりと同じでなければならない」という脅迫概念となります。

さらに過剰になると、異質なものを嫌悪するようになり、結果的に分離を生み出します。

表面的には分からないように行われる、陰湿なイジメやモラハラなんかも起きてきます。

 

また、女性性の「維持」のエネルギーがネガティブに働くと、惰性による習慣が継続されます。

悪しき風習なのだとうすうす分かっていても「これまでもずっとやってきたことだから」という理由だけで現状維持が行われることになります。

 

女性性でバランスを崩すのは個人だけではありません。

どんな集団組織でも、それが起きる可能性を孕んでいます。

 

女性性でバランスを崩すということが社会で起きれば、その社会は停滞の一途をたどります。

企業ならば、改革を断行できずに不都合な事実の隠蔽が行われ、粉飾決済などの不正が行われたり。国家規模なら政治腐敗が起きます。

本質的な革命が起きづらい日本

西洋は、人間が自然を支配することで近代化おしすすめる、男性性の原理の国が多いように感じています。

男性性が過剰になるとネガティブな面が現れ、支配・非支配という分離や、物資や肉体、精神の破壊が起きます。

しかし時として、ものごとを根底から変えていくための男性性のエネルギーは不可欠なもの。

理想の未来に対する並々ならぬ熱意と、現実にメスを入れる決断力が必要となる時があります。

しかし日本は、自然災害のなかで生きのびてきたというのもあり、DNAレベルで

受け入れるしかない

抗ってもムダ

という感覚を持っている気がします。

荒々しい自然というものといかに共存するか?という点で試行錯誤をしつつ、脅威と共に生きるという観点で生きてきた祖先のDNA。

それゆえに、

現状を受け入れる、今この瞬間からできることをやっていく、という女性性という観点での忍耐強さとも言えます。

 

日本人のもともと持っている女性性。

その性質が、戦後の近代化(というか欧米化)の波で男性性優位に傾き、バブル期を経てマネーゲームの波にあおられさらにバランス崩していきます。

そんなエネルギーのシワ寄せは子供達へと押し寄せ、20世紀末には犯罪の低年齢化という社会現象が起きました。

その後はITバブルで情報を制するものが社会を制する流れへ。

ココロとカラダは極限まで無視されて精神的にダメージくらってますが、立て直す間も無く、今度は資本主義社会崩壊の足音が‥

 

ほんとハードな時代ですよね。

本質的に、社会全体にココロとカラダ癒しが足りない。

足りないけれど、

本当の意味で深い癒しを起こすには、与えられる表面上の楽しみを享受するだけでは限界があるのです。

 

これからの時代は

モノでも情報でもなく、

自分自身の生き方と個性が価値として影響していく時代です。

そのためには、

自分だけの経験と視点を持つこと。

自分の才能と強みを知り、社会で生かすこと。

自分として生きることが最重要事項になっていきます。

これまでの無意識の我慢に気づき、「もっと自分自身を大切にしていいのだ」「もっと自分らしさを発揮していいのだ」という、自分自身のありかたを許可し、守り、貫くための情熱がなくてはならない。

 

現状を耐え忍んだ先に、自分にとっての理想の世界がやってくるのなら良いのですが、そうでないと感じるなら、変えるべきタイミングを自分自身の目でしっかり見定め、自分発で人生に変化を起こしていく必要がある。

つまり、真の意味で自分自身の存在価値である「女性性」を守り、活かすために

自発的に変化起こす「男性性を発揮する」必要があるわけです。

器用さや繊細さが仇となる?

日本という国には、もともと

異なる性質をもつモノの本質を生かしたまま融合させ、両方の良い面を併せもった新しい価値を創りだす折衷文化があります。

そんなことが可能な、繊細かつ器用な国民性があるのだと思います。

それは、和の文化のなせる技でもあります。

そのものの、ありのままを受け入れる、融合させる、というのは女性性のエネルギーだからです。

しかしその「器用さ」が裏目にでるとき

時代の波に乗っているようでいて、世の中の流れに合わせているだけの、自分自身としてのアイデンティティを失ったままの生き方になってしまうのです。

そして「繊細さ」が裏目にでると、

細かいことがいちいち気になり、ささいなことでイライラしたり、周りの目を気にしすぎて自分を保てなくなり、びくびくして生きるようになってしまいます。

 

特に今後数年で、仕事というものの質が変化し、労働という概念が大きく変わると言われてるタイミング。

自分が自分としてどう生きるのか?

徐々に変化の波に混乱しはじめる社会の中で、

どのようなかたちで自分を発揮し、どこに立ち位置を見出すのか?

これからがいよいよ、本番です。

 

新時代を謳歌するための、女性性と男性性のバランス

では。

もし今現在、自分らしい理想の人生を生きられていない場合、まず最初に何を意識すればいいのでしょうか。

最初に意識するのは、ココロとカラダです。

私たちの存在そのもであるココロとカラダ。

これらは女性性のエネルギーです。

もっと分けると

カラダ=「地の女性性」
ココロ=「水の女性性」

です。

 

まずは、その「女性性」の望みをしっかりみつめ、体と心の声を聞いていきます。

そして、その望みをまず受け入れること。

そして、女性性の望みを叶えようとする目的意識や情熱と、叶えるための情報をリサーチし手段を考えるのが男性性エネルギーの役割です。

もっと分けるなら

目的意識や情熱=「火の男性性」
リサーチや手段=「風の男性性」

です。

 

自分らしく才能を発揮し

自分軸で自律して生きるためには

この女性性と男性性のバランスが大切です。

 

自分を見失ってストレスまみれで生きているときは、

女性性と男性性のバランスも崩れ、生まれ持った才能も強みも、ネガティブな面が出ている状態です。

ここで大切なのは、強みが抑圧されるのではなく、ネガティブな方向に発揮されるということです。

私たちは生きているかぎり、何らかの形でエネルギーを発し続けています。生きている限り、それを止めることはできません。

エネルギーは、自分の内部に向かこともあれば、外部に向かうこともあります。

うまく使いこなせていなかった自分本来のエネルギーを理想的な状態で発揮できるようになるになるまでは、

あらゆる試行錯誤をしていくことになりますが

バランスを意識しながら整えていくことで、必ず使いこなせるようになります。

強みを軸に?

これからの時代は、とにかく自分の強みを軸に生きることが大切になります。

しかし、

強みというのは

「単体で存在していて、手放しにスバラシイもの!完璧なもの!」というわけではないのです。

そのことは、2018年の記事のなかでもちょろっと書きました。

強みは弱点になりうる?強みに投資してみたらココロの余裕を手に入れた

この記事の中で、

強みというのは、
ある視点から見たときの
ひとつの価値観における相対的な評価であり

強みといえども過剰に働いたときには、強み自体が弱点にもなりうる。

大切なのは

自分の強みを生かしながらも、自分の得意分野の対極にあるエネルギーをいかに使いこなすか、という

対極のものを使いこなし、自分のなかで統合していくプロセス。

そのことをシンプルに言うと「バランスをとる」という言葉で表されるわけです。

とお伝えしました。

そして

そんな面倒なことをせずに、弱点を補ってくれる人と組めばいいという発想もありますが

私はその一歩手前の段階で「一人でバランスをとれる」感覚をマスターすることがとても大事だと思っています。

その理由については、また別の記事で書きますね。

と言い放ったまま2019年になってしまったので、そろそろこのことについてお伝えしようと思います。

ひとりで立つということ

よく「私は取り柄がない」と言う人がいます。

しかし私からみると、取り柄がない人なんかいないんです。

弱点しかない人なんていません。

そもそも弱点というものも、強みというのも、

あるひとつの性質を、どういう価値観の場に位置付けるか?で変わってくるものです。

たとえば

目立つのが嫌いで、ひとりで黙々と取り組むことに安心感や喜びを感じる、

という性質を持つ人がいたとしましょう。

極端な例えですが

もし、その人の親が「この子を芸能界入りさせてトップスターにしたい」と思い、その子が物心つく前からステージに立たせていたら、

その子は「いつも華やかで、ひとより目立たなくてはならない」と、がんばるかもしれません。

その子が大人になり、ほかの生き方があることを知り

「この世界は自分に向いてないんじゃないか」

と思って、人生を変えようと決めた時、はじめて親の敷いたレールではなく、自分の人生を生きるというチャレンジに踏み出すことになります。

この人の才能は、目立つことを求められる世界では弱点でしかありませんでした。

しかし、

目立たず黙々と仕事をこなすことを求められる世界に行けば、一転して強みになります。

弱点とか強みとは、そのくらい相対的で、かつシンプルなものなのです。

話が脱線しそうなので戻しますね。

これからの時代は、自分の才能を知り、強みを軸にして生きる必要があります。

この記事ちょっと長くなってしまったので、あとでまとめますね。

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