こんにちは。
剣れいやです。
名前呼ばれたかと思ったのは気のせいでした。
元号が発表されたのですね。
令和
(れいわって変換しても出ないから今、登録しました)
出典は万葉集からだそうです。
初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす
令月(れいげつ)とは『素晴らしい月』という意味だそうです。
月は、太陽の光を浴びて輝くことから、受け取る性質をあらわし、エネルギーとしては女性性をあらわしています。
和らぐの「和」も、なごやかで安定した感覚を呼び起こす。
なんとなく女性性のエネルギーのイメージが湧きます。
しかし、
本当に終わるんですね。平成。
本当に変わるんですね。元号。
(しみじみ)
このブログを読んでいる方の中には
私と同じように
人生で二度目の、歴史的節目を体感されている方も多いかもしれません。
昭和から平成へ
そして
平成から令和へ
思えば「平成」という元号を小渕さんが掲げてるのをニュースで見たとき
私は当時小学生で、ちょうどそのタイミングで祖母の家にいました。
昭和から「平成」になるというのを知って
「へいせい」・・・?
なんか、
変なのー
と思ったのを記憶しています。
やっぱり、
慣れないものを見聞きするときって、まず違和感が先に立つものなんでしょうね。(私が言うのも何ですが)
でも
平成も、いつのまにか馴染んで当たり前になった。
そして、
令和も、いつか馴染んで、当たり前になっていくんだろう。
今年からは、令和生まれの子供たちが誕生するわけだ。
なんだか不思議な感覚だけど、時代が大きく、本当に目に見える形で動いていくんだな。
波風立てないようにするのが良いのか悪いのか?という議論の領域ではなくて
もう、波が来ているのだ
それに呼応するように
ガラガラと音を立てて、古い自分が消えていくのを感じる。
でも淋しさはなくて
静かで
しかし、スケールの大きな変化。
もうすでに
「大きな変化を起こすために、小さな変化を起こす」という時期じゃない。
次々と迫ってくるその「大きな変化そのもの」が、目の前の小さな変化のための行動を誘発している。
それを、感覚を研ぎ澄ませながら、ひろっていく。
今は、そんな感じだ。
固定しなきゃ
安定させなきゃと頑張っても
なかなか形にできないとき
実は、形にとらわれることなく
流れのなかに存在しつづけることではじめて
その人「らしい」形を保つことができる。
そんな性質を持つ人もいるのだ。
そして、きっと私もそうだ。
「こうでなければ」に囚われていた
古い自分をもっともっと解放していこう。
そして、このブログに来る方が
何かに囚われるようなことがあったとき
ヒントになるかもしれないから、残しておくんだ。
私の失敗も成功も、ぜんぶが
誰かの道しるべになればいいと思う。
新しい時代の風と
新しい時代の波。
準備は、走りながらするものだ。
だから、今こそ飛び出そう。
剣れいや
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