こんばんは、剣れいやです。
中性という性別をもつ私が
【参考記事】「性別」を捨てたあとに残ったもの
自身の人生経験をとおしてお伝えでることは何だろう…と考えたとき
その1つとして「女性性」というテーマにたどりつきました。
今回は少しディープに女性性について語っていこうと思います。
最近よく、女性性の心の傷についてのお話を伺うことがあります。
そんな社会の現状って、一体なんなのだろう。
と考えていました。
様々な経験をされたお客様の話を伺っていくうちに、さらにその思いは深まっていきました。
意外だと感じるかたも多いかもしれませんが、実は「女性性の傷」で苦しんでいるのは、女性だけじゃないんです。
なぜなら、男性の中にも、エネルギーとして「女性性」が存在するからです。
男性の中にもある?女性性の傷
私がその昔、組んでいたバンドメンバーの男性は、幼い頃に見知らぬ男性にされた、ショックな性的体験を語っていました。
生まれ持った包容力のある、感受性が豊かな男性ほど、女性性の強い人であるため
ストレスや攻撃性をため込んでいる人から、暴力的なエネルギーを受け入れるための器として利用されてしまうことがあります。
それによって、肉体的、精神的に関わらず、幼少期になんらかの形で「女性性」の部分に傷を負っていることがあるようです。
「女性性」という「受容する性質」つまり
深い優しさや共感力を持っているがために
人を押しのけて戦い、のし上がることに抵抗がある。
NOということに抵抗がある。
そんな方ほど
これまでの競争社会の中では、誰かの爆発してしまったエネルギーを受け止める役になりやすかったのではないかと思うのです。
こういう話をすると、加害者、被害者という立場の話になりがちですが、そうではなく
実は加害者、被害者という概念が生まれること自体が、大きな意味での社会システムを起因としているのです。
社会のシステムが原因である以上、
誰かが問題で、
誰かを責めればいい
誰かを改心させればいい
という事では無くなってしまうんですね。
罰則を設けて取り締まっても犯罪は無くならないことからも、それは明らかです。
では、どうすればいいのでしょうか?
自分以外からは何も変わらない
社会を変えるには、社会の最小単位である
自分が、まず、変わる。
そこからスタートしなければ、どんなに望んでも願っても苦しんでも誰かを責めても、社会は変わりません。
そのために大切なのは、まず自分が、被害者であることをやめるということ。
「そんなこと言ったって、あのとき酷い目にあったのは事実だ!!あいつが正真正銘の加害者だ!」
お気持ちはわかります。
「なぜ、私が受け止めなければならなかったのか!?」
その怒りと苛立ちは、消えることはありません。
ではなぜ、そんな悲惨な事実が起きてしまったのでしょう。
そこまでして相手を全身で受け止めてしまう『女性性』とは一体なんなのでしょう?
【女性性】とは何かを解き明かす
受け入れるパワー、育むパワー、存在のパワー
ただ「在る」ということの価値を知っている、揺らぐことのない強さ…。
もっと言うと、
自然界や宇宙、すべての源とつながっているパワー。
女性性が、そんな広大なエネルギーとつながっているというのは、一体、どういう事なのでしょうか?
女性性という性質の中に
「無条件」「境目がない」「慈悲」というキーワードがあります。
それは、自分と他人の境目がないということ。
相手の痛みを、自分の痛みのように受け取り
相手の苦しんでいる理由が何であるにせよ、ただ無条件で受け入れます。
女性性の強い人は、目の前の人間がどんな理由で怒っていようが、どんな魂胆をもっていようが、どんな犯罪者であろうが、深い部分では動じていません。(意識の部分では動じているように感じます)
なぜかというと、女性性の強い人は
人の怒りの根底には底知れぬ悲しみがあることを無意識下で知っている。
そしてその悲しみに対する理解がある。
つまり慈悲のパワーがあるから。
それは、究極的に、相手と自分は同じものであると認識しているためであり、相手のどんなエネルギーをも受けとめ、どんな過激なエネルギーも吸収することができてします。
しかし!ここからが本題です。
エネルギーとしてみれば「そうなります」で終わりですが、
その現象が人と人の間に強制的に起こるようなことになれば、
エネルギーを受け止める側にとっては許すことのできない屈辱であり、社会的に見れば犯罪です。
こまれでの世の中は、肉体的暴力のみが犯罪として認識されてきましたが
最近は、精神的暴力(モラルハラスメント)も犯罪として扱われるようになってきました。
私たちは一個人として生きている、感情を持った、血の通った、生身の人間です。
いくらエネルギー的に受け入れることが出来てしまうとはいえ
「お前の怒りなんか知ったことか!八つ当たりすんじゃねえ!!」
というのがホンネだと思います。
そして、一度でも受け入れるという屈辱を味わってしまうと、今度は本当に大切な人を受け入れる喜びをも封印してしまうことになります。
怒りをぶつけてきた人と関わらなくなった後まで、人生の喜びが得られないなんて、冗談じゃないですよね。
女性性の時代に君臨せよ
これからくる未来は、男性性優位の時代が終わり、女性性の時代であると言われています。
自分の中の『女性性』を徹底的に癒し
のびのびと解放して、楽しんで、謳歌する
これからの時代、そういう生き方が大切だと言われています。
誰にも言えず、ひとりでずっと抱えていた。
自分のことを弱いとか、無力だ、だからダメなんだと思っている。
そういう経験を経てきた方に、お伝えしたいことがあります。
誰にも言えなかったのは、
あなたが弱かったからではないんです。
誰にも言えなかったのは、
あなたが強かったからです。
あなたの中の、力強い女性性が
ずっと、痛みを受け止め続けていたのです。
相手のパワーをしっかり受け止めて、
それをしっかりと永い間、自分ひとりで持ちつづけるなんて
あなたが強くなければできません。
あなたには、とてつもなく深く大きな器と
女性性という観点での強さがあるのです。
一瞬でも良いです。
あなたに危害を加えた人に意識を向けつづけるのを、やめてみてください。
あなたの心をめちゃくちゃにした人を見つめ続けるのを、やめてみてください。
そして、自分がどれほど大きく、豊かな器をもった強い存在なのか
そして、その大きな器に、どれほどのものを許し、迎え入れていたのか
その、自分自身の痛みを、悲しみを、苦しみを、
すべて感じてあげてください。
いたわってあげてください。
これまで放置してきた、
あなたの強く優しい、大きな器は
あなた自身に無視されることが、一番つらいのです。
これまでずっと、他人を受け入れるために頑張ってきたんだから。
今度こそ、自分だけに意識を向け、大切にしてあげてください。
もし、あなたが自分を大切にしはじめたとき、
文句を言ったり、邪魔したり、頼んでもいないアドバイスをしてきたり、厭味を言って冷やかしたりする人がいたら
そんなときは、一度立ち止まって、考えてみるチャンスかもしれません。
その人と関わりつづけることで、自分がどういう状況になっているのかを。
あなたのことを本当に大切に思っている人は、あなたが幸せになっていくことを嫌がったりはしないはずです。
戦う相手を間違えない
これからの時代は、女性性を生かして豊かさの流れを生みだす時代。
男性性優位の、バリバリ戦って勝ち取る時代は終わりました。
女性性を活かして生きる人々が、自然体で生きていく時代。
そんな背中を見た、戦う世代の人々は、衝撃をうけるかもしれません。
笑顔で楽しそうに豊かになっていく姿にショックを受け、戦わずして豊かになっていく人々を、不真面目だと責めるかもしれません。
戦う必要がないと言いたいのではありません。
戦い方を間違えてはいけない、と言いたいのです。
何かを勝ち取るために戦うのではなく
ありのままの自分として、幸せに生きられていない状態で
同じパターンを繰り返してしまう
古い自分と戦うのです。
もし、ひとりひとりが
自分の内側に向き合い
古い自分と戦う決意を固め
自分の幸せに向かって生きられる時。
外側に向かって攻撃をはじめる人は
きっといなくなるでしょう。
そして
ひとり、武器を降ろし、
またひとり、武器を降ろし
すぐにみんなで笑顔にはなれなくても
そうやって自分の幸せに向かって生きる道を選ぶ人が
増えていくのだろう、と感じています。
剣れいや(つるぎれいや)
「【性】セクシャルなトラウマ。癒されない女性性の心の傷は、弱さではない」への 2 件のコメント
私は幼いころにクラスメイトからいじめを受ける事がよくありました。
母に相談しても「あなたにも何か原因があるのでは?」といわれ、
私自身の何がいけないのかがわからないまま過ごしていました。
思春期になり周りの友人から理不尽なことをされる事はなくなりました。
親しくなった友人からは「なんでも受け入れてくれる」とよく言われたのですが
自分自身ではそれが当たり前すぎてよく理解できませんでした。
このメッセージを読み、もしかしたら自分自身の受け入れる性質からこのようなことが
起こっていたのかもしれません。今でも心のどこかで「私がいなかったら周りの人は
どうなるのだろう(別段何か素晴らしいことをしているのではないのですが、
存在として)」とよく思います。
まずは、自分自身が受け入れる性質が強いという事とそのことから理不尽な立場に
置かれる事が多かったという事を理解します。そして自分自身という女性を最優先に
する事。
今までの生き方や認識を変えるのには時間がかかりますが頑張ってみます。
人からの怒りを受ける事がありました。どうして私が我慢をしているのに、相手が怒るのか理解できませんでした。怒りは早い者勝ちかと、言ったもの勝ちかと。それでも相手を傷つけるのに抵抗があり、我慢が普通でした。女性の濡れ衣や、陰口に悩みました。男性的の上司や、嫌だと思う相手程、普通に話しただけで、付き合うことを要求されたり、言い寄られたりしました。わけがわからず悩みましたが、それらの理由が「受け入れて過ぎた」だとしたら、納得出来そうな気がしました。