『性別』を捨てたあとに残ったもの。女性性と男性性のバランス

こんにちは。剣れいやです。

今回は、私の人生を揺るがした「性別」のお話です。

私の人生をギュッと凝縮したのでかなり長くなってしまいましたが、

常識の迷路の突破口を探している方には、何かしらのヒントになるかもしれないと思い、書いてみました。


あなたの性別は、何ですか?

あなたの性別は?ときかれた場合、多くの方は、

私は女性です

私は男性です

と瞬時に答えられるのではないかと思います。

まあ、面と向かって「あなたの性別はなんですか?」なんてきかれる方の方が少ないでしょうけれども…!

きく方も怒られてしまいそうですよね…!

「見て分からないっていうの!!??」って。

これからお話するのは「性別って、女か男、どちらかなんだ」と思っていた私が、衝撃の道を発見するまでのストーリーです。


突然の告白ですが、

私は、自分の性別は「自分」だと感じています。

女性ですか?
「いいえ、自分です」

男性になりたいの?
「いいえ、この状態が自分です」

「???」と思われるかたも多いかもしれません。

私は、
女性として生きるのもしっくりこない。
男性として生きるのもしっくりこない。

強いて言えば、結果論として「中性」ということです

 

社会の中では、「女」「男」という社会的な枠と、

「女ならこれが当たり前」

「男ならこれが当たり前」

という価値観が定着しています。

 

以前は私もその価値観で生きていて、

世の中は、男性か女性、どちらかとして認められなければいけない。と感じて、必死に自分を模索していた時がありました。

 

「生物学上は女性。それでも女であることに違和感があるなら、きっと自分は男なんだ!」と思い、性別適合手術で男性になろうとしていた時期もありました。

「それも何か違う気がする…ということは、やっぱり女なのかも…。女性であることに違和感があること、そのものが勘違いなのかもしれない…」と考え、女性としての認識で生きようと頑張った時期もありました。

でも、どちらもしっくりこなかった。

頑張って周囲の「当たり前」に合わせようとするほどに、まるで自分が歪んでいくような違和感…

 

どちらの枠にも当てはまれない…

この世界に私の居場所はないのか…

そんなふうに思い詰めていた時期もありました。

考え疲れて、どうでもよくなってきて…でもやっぱり自分は一体何なのか、知りたくて、分からなくて、ずっと探し続けていました。

中性という概念との出会い

探していくなかで様々なヒントをみつけました。

この世界は二極の要素で成り立っている世界であり、

「女性」と「男性」という二極の性で織りなされている世界である。

「え!じゃあ二極のどちらでもないと感じる自分は…やっぱりおかしいのか??」

すると、こんどは別の情報と出会いました。

医学的に、中性という性が存在する。

肉体的な中性一定の割合で、男女どちらの肉体の特徴も併せ持って生まれてくる人が居る。

精神的な中性一定の割合で、男女どちらの精神も併せ持って生まれてくる人が居る。

私が生まれてはじめて、「中性」という性の概念を知ったときの衝撃でした。

「もしかしたら、自分は男女どちらの精神も併せ持って生まれてきたのかも!?」

と、少しだけ視界が開けたような気分になったのを覚えています。

 

その後、

女性にも男性にも、ひとりの人のなかに

「女性性」「男性性」というエネルギーの性質があり

すべての人の中に両方の性質がある。

 

そのバランスが崩れると、肉体や人間関係にさまざまな問題が起こる。

という情報もやってきました。

 

心理学用語では、アニマとアニムスというらしいです。

 

この世界は二極のバランスをとりながら織りなされていて

ひとりの人間の中の二極のバランスもまたしかり。

 

人体は小宇宙といいますが

世界と、ひとりの人間が、

同じ二極のエネルギーシステムで成り立つとは…

神秘的な感じすら受けました。

 

 

「そうか、バランスが大事なのか…」

なんとなく中性的、というイメージの話ではなく、

本当に『性質が中間である』ということもあるのだと知りました。

 

曖昧だったのではなく、

二極のバランスの中心…

そんな価値観もあるんだ…

 

これまでうずまいていた、あらゆる謎が音を立てて崩れていくと同時に

ふと、幼い頃の純粋な疑問を思い出したのです。

 

疑う間もなく与えられる「常識」

 

なんで女はスカート、男はズボンって、最初から決まっているんだろう…????

なんで、ランドセルは、女は赤、男は黒なんだろう…????

なんでお店で売っているものは、

男の子用は水色、女の子用はピンクなんだろう?

なんでだろう???

なぜ、最初から決められたものを与えられるのだろう?

なぜ、2つに1つなのだろう?

なぜ、中間がないのだろう?

なぜ、もっとたくさんの種類から選べないのだろう?

 

幼い頃から、ずっと疑問でした。

 

ズボンとスカートに関しては、

「このキュロットスカートというやつは好きだな」

と思っていましたが、

それは、ズボンよりも足の可動範囲が大きくて、スカートよりも活発に動けるから。

つまり、機能性抜群。

 

それって、日本の

袴(はかま)ですよね!

あの動きやすさが、幼い頃の私は大好きだったのでした。

 

社会の中では、「女」「男」という枠と

女はこう!男はこう!

という価値観が定着しています。

 

たしかに、

「それが常識だ!!当ったり前だろう!!」

というルールを定着させたほうが、

ビジネス的に見ても、商品の売り上げ予測が立てやすいだろうし

政府からしたら管理も楽だろうし

オトナの事情(笑)がいろいろあるのかもしれません。

 

もちろん、それだけではなく

社会的に「女性であることを表現する」

社会的に「男性であることを表現する」

それらのジェンダーを楽しむという感覚、価値観もあるのだと思います。

 

そうやって色々なことを知っていくうちに

自分がやっていた決定的な間違いを発見しました。

 

世の中ばかりを見て、自分は置き去り・・

 

私はずっと、社会の枠ばかりを見て

自分を見ていなかった

 

自分を探れば、おのずと答えが出てしまう。だから、それを避けていた…

 

簡単に言うと

自分が生きづらいことの原因を

社会のせいにして

 

自分で人生を変えていくことを放棄してたんです。

自分を幸せにすることを諦めていたんです。

 

本当に私に必要だったのは

自分が落ち着くための社会の枠ではなくて

 

社会の中で、何と思われようとも、

「これが自分です」と

堂々と提示して生きていくこと。

 

それは、かなりの勇気が必要だけれども

私にとっては自然なあり方なのかもしれないと気づきはじめました。

 

そうやって生きていくことが、

私が一番避けていた事であり

抵抗を感じていた事であり

怖れていたことであり

もしかしたら、一番重要なことなのかもしれない、と。

 

それによって、

違和感を感じる人がいたり、

不愉快に思われたり

「変だよ」「不自然だよ」「異常だよ」

とジャッジをしてくる人が現れたりしたとしても

傷ついてでも、ありのままの自分をオープンにしてやっていく。

 

私はきっと、それをやるのが怖くて

まっとうに見える方法論を探し、

正攻法に逃げていたのでしょう。

 

そしてもっと深く潜ると、そこにあったのは

「真面目に見られなきゃ!!」

「ふざけてると思われたら大変だ!!」

という思い。

 

普通であらなければ…!

楽しさなんて二の次だ!

世間体が第一…!

喜びなんて三の次だ!

 

そう思い込んでいたのですが、その陰には、両親の存在がありました。

 

「お前の行動はおかしい、常識に合わせろ」

「お前の表現は個性的すぎる、もう少し一般的にしたほうがいい」

「お前の気持ちは関係ない。社会のルールに従いなさい」

 

それはまさしく

私が幼い頃に両親から、

言葉によって、態度によって

繰り返し強烈に受け取っていたメッセージでした。

 

たしかに、大人になってもずっと、

それが根底にありました。

仕事をするとき、人と関わるとき、すべてにおいて。

 

 

じゃあ、どうなんだろう?

私がありのままの自分の姿で進んでいったときに「あなたはおかしい」と文句を言ってくる人が出てきたら

「はい、やっぱり私は間違っていたかもしれません」

と言って引き下がり

社会の枠に自分を押し込めて生きるのか?

 

それが本当に、じぶんが思う

「誠実さ」であり

「信頼」を得るってことなのか?

 

私の結論は

NO!でした。

 

じぶんをさらけ出すのは、とてつもなく怖いです。

それが、社会の常識から逸脱していることならば、なおさら。

 

みんなが服を着ているのに、自分だけ裸になるようなもんです。

 

多くの人にオープンに自己開示するほどに

無防備にならざるをえず、自分を守れない。

 

でも、それが怖いからといって、自分を偽って生き、死んでいくのを想像したら

もっと怖かったのです。

 

自分を偽ったまま死んでいく瞬間…

そのときに浮かんでくるであろう言葉が

ありありと見えてきました。

 

「ああ、もっとむき出しの自分で生きればよかった

たとえ傷ついても、ときに衝突してでも

本音で人と語りあい

そのひとの本音を受け止め…

怖くても逃げずにそうやって生きていたら

きっと本音で笑いあえる仲間と出逢って

偽らないそのまんまの自分で生きられるようになって

ああ、本気で、生まれてきてよかった!!!

こんなに楽しい人生を、ありがとう、みんな!!!

って言いながら、

たくさんの人に感謝しながら、すべてに満足して死んでいけたかもしれない…」

 

と。

 

抱えきれないほどの後悔と、

取り戻すことのできない時間。

 

それらに思いを馳せたとき

私は、何が何でも本音で生きたいと思うようになりました。

 

私が性別がどっちだろうが、

どっちでもなかろうが

そんな事はどうでもいい。

 

アイデンティティとしての性別とか

そういう次元ではないところで

 

私がただの、ひとりの人間として

何を感じ、何を思い、どう生きようとしているのかが大切。

そして、結果として、誰かに何らかの価値を提供できれば、それでいい。

 

私はただ

枠を取り払った先に見えてくる景色を

枠を取り払った先に描ける世界を

生き方、あり方を探しつづける。

 

分かりやすい道に逃げずに、

まだ何も見えなくても、

道無き道を

前だと信じるほうへ進んでいく。

 

「私の性別は何なのか」…と彷徨っていた私が、性別にとらわれる事を捨て、その先に見たのは

「自分とは何なのか」という疑問。

 

しかし、たとえ一生その答えにたどり着くことがなくても

自分全開で自然体で生きて、本音で笑いあえる仲間と出逢えたら幸せだな。

 

という思いにたどり着きました。

 

自分自身に果敢に向きあっている仲間と出逢い

笑ったり泣いたり転んだりしながら、前を向いて進んでいく。

 

そして最後まで一緒に笑ったり泣いたりしながら

人生の最後には、思いっきりたのしい宴会ができたらいい。

 

そんな未来を見据えながら

まずは一歩一歩、不器用でも、格好わるくても

向かう先と、目の前の人たちと、足下を、しっかり見ながら

進んでいこうと思います。

 

 

 

剣れいや

「『性別』を捨てたあとに残ったもの。女性性と男性性のバランス」への 5 件のコメント

  1. 初めまして

    お友達からのシェアで知り、今プロフを読ませて頂きました。

    とてもとても共感出来るものがあり…
    私も人と違った価値観をずっと持っていていつも地球人ておかしい、地球人の考え方が合わない。この世界で生きて行くのは難しいし孤独を感じていました…
    だけど
    私は「私は私」をモットーに1人でもいい、と合わせる位なら1人でもいいと思ってきたけれど
    やはり辛い思いはありました。

    れいやさんの「性別は自分」も凄く素敵な言葉だと思いました!
    私もかなりどっちももってますf^_^;)
    恋愛対象は男性だけど可愛い子や綺麗な人は大好きだし尊敬出来る人は殆ど女性だし
    人間として好きという感情なので余り男性だから女性だからとわざわざ分けて考えないんです。
    どっちにも同じように接すると男性には気があると勘違いされ面倒だなぁとか…そういうのもありますが(~_~;)

    すみません!長くなって
    私の方が勝手に共感していろいろ話したくなってしまいましたm(__)m

    またブログに遊びにきます✨

    1. はじめまして。
      お越しいただき嬉しいです。
      お友達からのシェアとのこと、ご縁に感謝します。

      個人的に、日本人の「和」の精神が、みんなが同じであろうとすることよりも
      みんなが違うということを「受け入れて楽しむ」ほうに発揮されたら、もっと素敵な世界になるんじゃないかと思っています。

  2. 初めまして!れいやさん。

    一言お礼を伝えたくて、コメントさせて戴きます。

    病気で無気力で人生暗中模索の中、感謝についての記事で共感したのをきっかけに、

    『内なるDV 女性性を開花させるには、内なる男性性のエスコートが必要です』の記事とこちらの記事を読み、

    自分の一番の苦しみの原因はこれだったのかと、始終涙が止まりませんでした。

    病気について以上に、人生全般や親との関係にずっと悩んできましたが、

    何より、自分が何の【カテゴリー】にも属せない人間である事について、自分DVをしていました。

    その事に『男性性と女性性とのバランス』という観点から説明して下さった事は、

    このカテゴライズが重要視されている星で、れいやさんがれいやさんとして存在して下さったからこそ…その事に感謝の気持ちで一杯です!本当にありがとう御座います。

    これからもブログ拝見致します。
    取り急ぎ失礼致します。

    1. はじめまして。
      こちらこそお読みいただきありがとうございます。
      私たちの歴史のはじまりがいつなのか、そこに戻って見てみることはできなくても、きっと最初はカテゴライズなんて無かったはず、と思うのです。
      みんながありのままで、自然体で生きられる社会を、死ぬまでに実現させたい。その覚悟で突き進みます。

  3. 初めまして。
    まっすぐに行動できる強さがあるわりに、断れない、肝心な時に伝えられない、自分の価値を感じられない自分が生きづらく感じていました。また正義感が強いのか、なかなか人の弱さや欠点を受け止められず、平和でいたいのに輪を乱し、自己嫌悪に落ちる。
    男女関係なく、ステキだなぁと思う人になつくと、恋愛問題になり、八方美人ともいわれ、人として仲良くしたいと思う自分はダメなのかと傷ついていました。
    このままでは嫌だなと心理学やいろんなキーワードから、こちらに行き着きました。
    色々な記事を読み、涙が出てきました。
    厳しく、時に手をあげ、言葉がまっすぐな両親にたいして、責任転嫁していたことにも気づきました。
    気づくって大切ですね。
    これからもよろしくお願いします。

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