こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
今日は「復活」について、舞踏というアートを軸に、お話しようと思います。
全身脱毛症から復活したアーティスト
私のパートナーであり
アーティストとしてコラボもしている
舞踏家「鏡ざゆら」氏。
ざゆら氏は、脱毛症のコンプレックスで表舞台から姿を消し、何年も過ごしてきました。
幼い頃から子役スターとしてCM出演などを行い活躍していましたが、家庭での虐待によるトラウマから、大好きだったダンスもできなくなったと言います。
その絶望を背負い、表現の場を模索しながら生きていました。
そんな ざゆら氏が、2016年に「舞踏〜Butoh〜」というアートの手法に出会い、大野一雄舞踏研究所の門を叩きました。
舞踏は、
振り付けの通りに踊る「ダンス」とは異なり
その人の内側から出てくるものを表現するアート。
ひとりひとり違う人生がある。
その人が歩んできた人生が舞踏に現れなきゃいけない。
その人自身が、作品なんです。
大野一雄舞踏研究所の大野慶人(よしと)さんは、そうおっしゃっていまいした。
舞踏 Butoh は、流派によってさまざまな表現がなされていますが、ざゆら氏の学んだ「大野派」は、舞踏は「祈り」であると伝えていました。
自分が感じているそのものを、
体から出てきた表現を、追求する。
他者から与えられた正解に
自分を押し込めることで
傷ついてきた魂が
そこで、命を吹き返す。
整え、テクニックを評価し、
全体を統率するようなダンスの世界とは異なり
舞踏の世界は、ひたすら己の内側と対話をするもの。
ざゆら氏は、
ありのままの自分をみつめ、
人生を表現をする「舞踏」に巡り会うことで
はじめて
どんな自分も恥じなくていいと気づき、
自分を受け入れることができたと言います。
そのあたりから、ざゆら氏の脱毛症が治りはじめたのでした。
そんな私も、
幼少期のトラウマから表現ができなくなっていました。
しかし、表現が怖くて二の足を踏んでいた私に
ざゆら氏は、舞踏研究所を借りて自分の舞踏とコラボをしようと言ってくれたのです。
そこで初めてコラボしたのが2016年の「アダージオ」でした。
【ISOMER】Butoh×Painting アダージオ
動画 17分56秒
私は幼い頃から、ありのままの自分が表現したいものよりも、周りに望まれるものを創ることが当たり前でした。
さらに美術教育を受ける過程で、理解され、評価され、褒められる作品を創ることが当たり前になっていきました。
そして、外側にいい顔をしている自分と、内側にいる「ほんとうの自分」とが、決裂していったのです。
そんな私が、誰にどう思われるかを捨て
ただ無心になって表現した、生まれて初めての体験でした。
そして私のアートとは
「こういうものを創ろう」という意図を手放すことで
自分のむこうから自然と生まれ出る
まるで現象のようなものなのだと知ったのです。
アダージオは、なんの打ち合わせもなく行ったコラボでしたが
後から見ると、
女性性の傷、戦争、というようなメッセージを感じました。
そこから、私たちのコラボレーションは始まりました。
たくさんありすぎて、ここではすべて載せきれませんが、未公開の作品が、ひとつあったのでここで紹介します。
2018年は、初めて「色を使ったボディペイント」を行いました。
大きなテーマは「ユニコーン」だったのですが、描いている間に思考が邪魔になり、どんどん「こうしなければ」を外していき、最終的に、私は手にまかせることにしました。
葛藤が無くなることはなく、創作という密度の高いじかんのなかで、ひとつひとつちいさな答えをみつけていくのだと思います。
このアートでは、ざゆら氏がアイメイクを、私がボディペイントを行いました。
怖くて出来なかった表現ができるようになり、
「一瞬先の方向性も決められたくない」という理由で嫌いだった筆も、持てるようになりました。
鏡ざゆら氏の一言が存在し
大野舞踏研究所という場が存在してくれたことで
私は、表現の道に戻ることができました。
復活の価値
復活というのは、もとの状態にもどることではありません。
それは、失ったものを取り戻すような心持ちで挑んでいくけれども
忘れてしまったものを、
自分の内側に探すことでもありました。
そして、必死で勝ち取るものではなく
自分を受け入れることで、はじめて
不要なものに気づく、
というプロセスでした。
大切なのは、たったひとつ。
あきらめないこと。
剣れいや
「全身脱毛症から復活した舞踏家 鏡ざゆら氏。舞踏Butohというアート」へのコメント
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