最初からゴールなんて見えない
私は、別の分野で自営業をしていたころ、急に人生が嫌になった。
そこで、当時の私は
「働きつづけることが嫌なんだ」と思った。
だから、ネット上で収入が得られる仕事をリサーチして勉強しはじめた。
これが成功すれば、働かなくてもお金が入ってきて、私は幸せになれるのだと思っていた。
経済的に自由になることが、私にとっての幸せなのだと。
でも、違った。
本業の合間に必死で取り組んだけど
でも、やればやるほど苦しくなっていった。
「なぜ自分はこんなことをやっているのだろう」と思った。
心が苦しい、体がうごかない
仕方がないので、
苦痛を感じることを辞めていって
心が発するメッセージを聞きながら、年単位でいろんなことにチャレンジしていった。
自分がどうすればいいのか、
何をしたいのか、わからなくて
ずっと探していた。
その先に、不思議な巡り合わせで
セラピーやヒーリングというものに出会い
私自身がそれを提供する、という時期を過ごした。
これは、私が思ってもいなかった展開だった。
こんな人生を目指そうとしたことは一度も無かったから。
でもこの時期に感じた、まぎれもない心の充実感。
それは当時「私は働きたくないのだ」と感じていたことが、実はそうではなかったのだという結論になった。
では、当時の私の感覚が間違っていたのだろうか?
今振り返って感じるのは
当時の私が間違っていたのではなく、
あの出来事は、当時の私が縛られていた現実から抜け出すための、ひとつのステップだった。
特に、経済的に自由になりたいと思って学んでいたときは、うまくいかなくて、一時的にショックでどん底になって、当時のメンターに絶望したこともあった。
でも、今では感謝している。
今後はもう関わらない人たちだけど
現状維持をつづけていた私にショックを与え、封印していた願望を引き出し、最初の一歩を踏み出すチャンスを与えてくれた。
そして、そこで行動する決心をした過去の私にも、感謝している。
「ツールは、人生のそのときそのときに手渡されるもの」
と、ある人から教えられた。
今ふりかえれば、そうなのかもしれないと思う。
必要な時に、必要なことはやってくる。
だからこそ
今の時代に合っているから、とか
今流行っているから、とか
そういう理由で、ツールを選んでも
それを使うことが目的になってしまって
生き方そのものが自分の本質とズレていくのであれば、それは使いこなせないのだ。
そうやって、
もし頑張って無理やり結果が出たとしても、
得た果実を手にして感じる思いは、必然的に虚しいものになる。
自分が自分であること。
自分が自分として生きること。
そのために必要だと感じたら、ピンときたものを選ぶ。
そして使っていけばいいのだ。
自分の心がかすかに発する声に、耳をすませて
加速する時代に呑まれないように。
目の前で次々に移り変わって行く、めまぐるしい時代の刺激は
私たちを翻弄するけど、
そこは幻想の住処。
心から求めている場所は、もっと彼方にある。
そこに向かうためにこそ、
今まぎれもなく足元にある「ここ」からスタートするんだ。
剣れいや
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