暴力について。自分内DVの分類

過去のメモ書きを整理していたら、2022年 8月27日の記述が出てきました。

ちょうど私がアダルトチルドレンについての書籍を読んでいた時で、「暴力とは何か」について改めて調べていた頃です。

自分内DVに悩まれてる方、機能不全家庭で育った自覚のある方にとって、参考になるかもしれないので公開します。

(一部、強烈な表現があるかもしれませんが、ご了承ください)

2023.12.1 補足
暴力の対比として『健全なコミュニケーションとは何か?』を定義づけておきます。

コミュニケーションとは?
自分の気持ちを言う。
相手の気持ちを訊く。

共有するのは、気持ちと事実。

それを前提とし、「私」を主語とした「 I (アイ)メッセージ」で会話をする。
「私はこう感じたよ」「私はこう考えたよ」「私はこうしているよ」

※意見をしたり提案したりするのは「議論」の範疇であり、コミュニケーションではありません。
ましてや、命令したり要求したり、打算的にコントロールしようとするのは、相手の気持ちを無視した暴力です。

相手と信頼関係を築くにはコミュニケーションによる土台(絆)が必要です。
信頼関係を築く努力をせず、強制的に他者との関係性をつくりあげる方法が、支配と被支配の主従関係です。

暴力は、この支配と被支配の関係性で起こります。
支配と被支配の関係では、気持ちを伝え合うことはなく、会話は「あなた」を主語とした「YOUメッセージ」が主体となります。

「あなたは〇〇だから〇〇しなさい」
「あなたは〇〇すべき」
一方的に決め付ける。
相手の気持ちを訊かない。事実を確認しない。頼んでいないのにアドバイスをする→過干渉。介入。

このような、相手の主体性を奪う行為は暴力です。

 


2022 827

かなり前になるけど、ある会社の教育担当がこんな発言をしていた。

「最近はモラハラだのパワハラだの、うるさく言われるようになったが、少し前までは体罰なんてものは家庭や学校の躾の一環だったんだぞ」

もちろん、その人が言っていたことが事実であると、私も知っている。

私は、モラハラとかパワハラという概念が広まる以前の、暴力がまだ問題視されていない時代に生まれ育った。

きっとその人も私と同じくらいの世代だなのだろうと思う。

 

しかし、その発言の意図は、わからなかった。

 

例えるなら

「最近は戦争反対だの何だのうるさく言われるようになったが、少し前までは、世界中の国々が戦争をするのが当たり前だったんだぞ」

 

と言われている感じだ。

だから何なんだ?だ。

 

 

そういえば、暴力の定義について調べてみた。

 

昔は「家庭内暴力」というと、”反抗期の子供が、親や家族にふるうもの”という定義だったらしい。

ということは、親が子供に対して行う暴力行為については、問題視されていなかったということだ。

 

「しつけ」という言葉で覆い隠された暴力は日常に隠れ、蔓延していた。

 

10年以上前になるが、私は人種差別、部落差別、凶悪犯罪、冤罪について興味があり色々調べていた。その時に家庭内で親から子に振るわれる異常な暴力や凄惨な事件なども目に止まった。

いつからなのか。

負のエネルギーが連綿と受け継がれ、世代間連鎖が起きている。

 

家庭内暴力(DV)の種類は、身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、社会的暴力と、いろいろなジャンルに分けられるらしい。

一昔前は、身体的暴力くらいしか認識されていなかったと思うので、時代が進歩したなーと思う。

 

暴力とは、相手の主体性を奪うこと。

 

そういう意味では、過去の私は様々な手段を用いて「自分内DV」を行ってきたのだと感じた。

 

自分で自分を攻撃する『自分内DV』は、女性性と男性性のバランスが崩れることによって起きる。

しかし、それはあくまで女性性と男性性のバランスという視点で見た時に「そうなっている」と説明できるだけであって、原理がわかったところで辛いものは辛い。

私自身、体験してつくづく思うのだが、どうにかしたいのに、どうしてよいのか分からない、だから苦しいのだ。

 

「自分は決定的に幸せではないと感じる」

この絶望感。

 

それは源家族を離れ、社会の中の様々な人間関係や価値観を見聞きするうちに、違和感を感じた結果だ。

 

社会と自分。他者と自分。

そこに、見えないが、しかし決定的な隔たりがある感じ。

 

どうしてもなじめない、わかりあえない、すれちがう。

でも、どうすればいいのかわからないのだ。

 

ありとあらゆる知識をもとに何とか出来事を順序立てて整理してみるけれど、整理できるのはあくまでも思考の領域だけ。

感情は置いてきぼり。何か大切なものと切り離されているような孤独感。

 

その状況に居留まる人は多い。

なぜか?

過去の事実に、絶望したくないからだ。

 

 

脱線したので話をもどす。

自分内DV。

それは、自分が自分に行うものであるが、あくまでDVとしてみるべきであり、決して許してはいけないのだ。

自分内DVは犯罪だ」と、声高々に言える世の中になればいいと思う。

(そうすると今度は罪悪感依存が膨張するかもしれないが)

 

 

DVの種類は、
身体的暴力、精神的暴力、性的暴力、経済的暴力、社会的暴力

 

それを『自分内DV』に置き換えて分類してみたとき、どのような景色が見えてくるのだろう。

実験的な試みの思考だが、ここに残しておこうと思う。

 

【身体的暴力】

身体に対する暴力行為

肉体を傷つける、なぐる、ける、たたく、首をしめる

突き飛ばす、抑えつける

部屋や狭い場所にとじこめる

熱湯、水をかける

肉体的ネグレクト(必要な食べ物を与えない)

食べたくない物を強制的に食べさせられる

不潔な状態で放っておく

 

 

身体的暴力を、自分内DVに置き換える

→自分の体を傷つける行為を衝動的に行なう。

自分の意思で止められなくなってしまう。

 

リスカがやめられない、

衝動的に壁や床に頭を打ちつけたくなる

体が苦しくなることをしてしまう

体が必要とする以上に食べてしまう→過食

体が必要としているのに食べられない→拒食

身体的ストレスを強いられる環境に身を置く

偶然をよそおってケガをする。

身体のケアができない

 

【精神的暴力】

相手の精神的ストレスとなる行為を繰り返し行う。

無視する。暴言を吐く。罵倒する。行動を監視する。

脅す。恥をかかせる。

怒鳴る。

睨む、軽蔑の視線。

第三者に悪口を言う。長時間にわたり説教する。

脅迫する。

ペットを虐待して見せる。

 

精神的暴力を、自分内DVに置き換える

→自分の尊厳を傷つける行為を行い、それを自覚できない。

たとえ自覚しても事あるごとに繰り返してしまい、自分の意思で止められない。

 

自分の気持ちを無視する。

(自分の気持ちを確認することなく盲目的に他者に従うなど)

 

自分に対して暴言を吐く。

(たとえ口に出さなくても脳内で言語化されている言葉に自分自身が影響される)

 

自分に対して脅迫的になる。

自分が強烈に不快になると分かっているものを、つい見てしまう。

(恐怖や不快感を覚える映像や番組、画像)

 

 

【性的暴力】

相手の気持ちを無視した、一方的に行う性的な侵害行為。

性交の強要、避妊に協力しない、無理やりポルノを見せるなど

 

性的暴力を、自分内DVに置き換える

→自分の気持ちや尊厳を無視した性的な行為を行い、それを自覚できない。

たとえ屈辱感や怒りを自覚した場合であっても、事あるごとに繰り返してしまい、自分の意思で止められない。

 

自分の気持ちを無視した性行為を強要されてもNOと言えない。

自分の体が傷つくような性行為を許容してしまう。

自分自身の体を他者にとっての性的欲求を満たす道具として位置付ける。(無価値化)

自分自身の体を道具にすることで、金銭や社会的優位性など、何らかの利益を得ようとする。

(他者が自分自身を道具のように扱うことに対し、自分自身が許可を出している状態→自分が自分を道具として位置付けている)

 

 

【社会的暴力】
(社会的隔離)

行動を監視する、友達付き合いをさせない、または制限する、

電話やメールの相手を執拗に確認したがる。

社会からの隔離、外出を禁止する。

 

社会的暴力を、自分内DVに置き換える

→自分と社会との接点を断つ。

自分の気持ち(例として、社会に出たい、社会の一員であることを感じたい、人とつながりたい、仲間とつながりたい)を無視または否定することで社会と自分の関係性を断絶する。

 

限られた地域、もしくは特定の組織や、ある人物に受けた嫌な体験を理由に、すべての人間関係の可能性を絶望視するなどして、社会を敵であると認識する。

自分自身を社会によって害された被害者であるというポジショニングによって自己洗脳し、自分自身が社会とのつながりに対して希望を抱かないようにする。

 

【経済的暴力】

生活費を渡さない、生活費の使い道を細かくチェックする、外で働くことを禁じる(経済的自立をさせない)借金をさせる、

ギャンブルやアルコール等の嗜癖に生活費をつぎ込む。買い物の決定権を与えない、仕事を辞めさせる

 

経済的暴力を、自分内DVに置き換える

浪費…結果的に自分のためにならないものにお金を使ってしまう

自分自身の経済的自立や経済的な安定を阻害し、それを自分で行なっていることを自覚できない。

たとえ自覚しても事あるごとに繰り返してしまい、自分の意思で止められない。

 

生活が危機的な状態になるまで浪費する、または経済的に危険な状況下になっていても浪費をやめられない。

自分の力で返せない額の借金をする。返せなくなっているのにもかかわらず借金をやめられない。

借金をしていることを知られたくないと感じ、自治体の相談窓口や専門家に相談できない。

 

過剰な制限…自分のためにお金を使うことができない

自分の買いたいものがあっても、それを買っていいという許可を自分に出せない。

自分が欲しかったものを正当な手段で購入しているにもかかわらず、なぜか罪悪感を感じる。

経済的に成功しそうになると、何らかの理由をつけて辞めたくなる。もしくはトラブルを起こし信用を失う。

 


抜粋ここまで

 

 

無自覚に行われるのが、自分内DV。

自分が自分を大切にしようとするならば、無自覚に「自分が自分に行っていること」を自覚するところからがスタートです。私もそこからスタートしました。

スピリチュアル的な価値観の意見では、よく「ネガティブなことに意識を向けるな」と言われますが、無視していいということではないと私は思います。

事実を直視し、判断し、決断し、望む方向にエネルギーを向ける、というプロセスこそが大切です。

一歩ずつ、焦らずに、希望を捨てずに、まいりましょう。

 

剣れいや

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