こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
ようやく暖かくなってきたので、そろそろバーベキューを決行しようかという話になりました。
朝5時台に起きて、神奈川県某所の河原までひとっとび。
曇ってて肌寒い日でしたが、カンカン照りよりは過ごしやすいですね。
今回は諸事情により、海鮮バーベキュー。
さっそく網を乗せるための石を積み上げ、炭に着火させます。
「え?石積むの?アウトドア用品?は?」
ありません。身軽がいちばんですから(^ ^)
私は一時期、火鉢にハマっていた時期がありまして
茶道に使う『くぬぎ炭』というものを持ってたので、ちょっと贅沢だなぁーと思いながらも、それを使うことにしました。
備長炭より火がつきやすいんですよね。
ようやく着火したので、イカ、焼きます。
シュークリームも焼いてみました。
外がサクサク、中は沸騰(笑)
やけど注意ですが、一風変わった美味しさです。
サーモンのバター焼き
ホタテのバター焼き‥
美味です。
カニは少々パサパサ気味。
本日梅雨入りしたらしく、時折パラっと来ましたが
バーベキューの最中はそれほど雨脚が強まらなかったので、問題なく満喫することができました。
自分たちで体を動かし
炭で焼いて
自然の中で食べる。
贅沢な時間。
でもそれって数十年前は、当たり前のように行なっていたことのはず、なんですよね。
てことは、多分、今現在、当たり前に起きていることや、常識になっていることは
数十年後には、当たり前じゃなくなっているだろうという事。
もしかすると、数十年後の若い世代の人たちに
「自分の家で発電できなかった時代があったの?効率悪くない?」とか
「スマホって何?そんな大きなモノ持ち歩いてたの??大変だったんだね」とか
「へ?戦争ってファンタジーじゃなくて実際に起こってたの?なんのために??」とか
「過労死って何?仕事のしすぎ??意味わからん。仕事って楽しむためにやるものじゃないの??」
なんて言われちゃったり。
そんな時代になっている可能性もあるなー
なんて妄想してしまいました。
その頃、私が生きているかどうかはわかりませんが、
私が生きているうちに、運良くそんな時代が到来したあかつきには
「うーん、数十年前に、あんなブログ書いてたなー」って振り返ってみたいですね。
システムは幸せになるために使うもの
「生存するためだけにルーティンの仕事をする」って事に耐えられなくなってから、
自分の資質を最大限に生かして誰かの役に立ち、
さらに自由に豊かに暮らしていくにはどうすればいいか
それを、ずーーっと考え続け、学び続けてきましたが
震災などいろいろ体験して
最終的に、自由とは自立(と自律)の先に得られるものだと気づきました。
そして、自律的な生き方をするためには
国家をはじめとする、資本主義のシステムに依存しないで生きる事が大切なんだと気づいたんですよね。
システムは、幸せに生きるために活用してこそ意味のあるものであって、
システムに振り回され、ストレスまみれになってしまったら、なんのためのシステムなのか分からない。
そのために必要なことって、突き詰めれば意外とシンプルで
・社会の価値基準からではなく、自分が何をもってして幸せを感じる人間なのか?という、「自分を知ること」
・ライフライン等のシステムが機能しなくなったときに、自分が最低限生きていくための知識や知恵。
たとえば、冬に震災が起きてガスが止まったときに
どうやったら火を起こせるのか?
どうやったら火を絶やさないでおけるのか?
何をすると危険なのか?
それを知っておく必要があるな、と感じた私は
火鉢を買い、炭を起して火を保つことを実践してみたんです。
慣れてくると、
「ああ、こうすると酸素が行き渡るんだなー」とか
「時間が経つにつれ、炭と炭が火力を保つために最適な距離は変わっていくんだな」とか
経験から学べるようになるんですよね。
それが、「いざとなったらこの知恵を生かせる!」っていう自信につながっていく。
システムに依存しないことの本質って、究極的には、意外とアナログでシンプルだったりする。
視野を大きく持って
自分の幸せを追求しつづけ
その結果、誰かの役に立てる。
そんな生き方をこれからも追求していこう。
そう感じた、梅雨入りバーベキューでした。
剣れいや
「バーベキューで気づいた資本主義の未来。システムに依存しない究極アナログ的スキル」へのコメント
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