できない言い訳を愚痴る人と、黙々と戦い続ける人。

私は数年前のある時期、もんもんとしていた。

 

どうしても一歩踏み出せないことがあった。

 

出来ない理由がたくさんあるから、動けないと感じていた。

 

 

そんなとき、ある人の存在を知った。

80歳になって、インターネットの世界に挑戦し、ネット上に作品を公開している女性の方だった。

病気と戦いながらも、何度もネットという未知の世界で分からないことにぶち当たり、絶望しながらも、何年も闘い続け、作品を公開することが生き甲斐なのだという。

 

私はその方を知って、恥ずかしくなったことを覚えている。

 

私は表現の手段として、音や色を使ったり、PCの機材、ソフト、また画材なども使うし「自分にしか出来ない仕事にして喜んでもらいたい!」という夢もあって試行錯誤していた時期でもあった。

 

しかしながら

 

機材はもっと○○なものがないとやり辛い…

材料の○○が足りない…

時間が無いから今日はいいや

〇〇がわからないから、これはできない…

もっと資金があれば○○できるのに…

 

 

そんなことを日々ぼやきながら

すべての活動を滞らせていた。

 

 

この記事のタイトルの

「できない言い訳を愚痴る人」とは、

まさに過去の自分のことだ。

 

 

私は、

病と、己の実力と闘い続ける、80歳の先輩を思うと

自分があまりにも情けなくて消えてしまいたくなると同時に

 

これまで自分が「できない言い訳」を並べ立てて逃げていたことを認め

「できない言い訳」を思いついたら、即座にそれを無視することにした。

 

 

大先輩は、ただ自分の人生と向きあい、闘っていた。

それだけで私の価値観を変えるほどのパワーを放っていた。

 

 

本当に影響力のある人とは

何かを強制したり、指図したりすることなく

 

自分が闘う背中を見せて

ただ、突き進んでいく人なのだ。

 

 

そう思い知ってから、

私の価値観は変わった。

 

自分の生き方を、自分の成長していく姿を、

ありのままに出すこと以外に、

影響力もなにも無いのだと痛感した。

 

 

自分は成長することなく、

相手に変わるよう指示し続ける人がいたとしたら、

少なくとも私は、その人を尊敬できないと感じる。

 

 

権威とか、実績とか、ホントにどうでもいい。

 

数字で表せるようなことが何なんだ。

多くの人に知られたからと言って何なんだ。

 

私の伝えたいことは、本当に必要な人に、届けばいい。

 

「私の存在そのものが証明であり

私の生きざまそのものが実績です」

 

堂々とそう言えるような生き方をしようと、そのとき自分に誓った。

 

 

あれから何年経っただろう。

今も常に、志なかばだと思う。

 

でも、あきらめずに

進んでいこうと思う。

 

 

 

剣れいや

 

 

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