こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
この度、前衛舞踏家 鏡ざゆら氏の公演にあたり、衣装およびボディペイントを担当しました。
本番前日の夜中、この衣装に描くため精神を集中させ3時間くらい瞑想していました。
本番当日。
楽屋にて鏡ざゆら氏へのボディペイントを行いました。
舞台上でどのような動きをするのかを確認しつつ、身体のどこにどのように描くかを慎重に決めていきます。
この後、衣装をつけてもらった状態で、動きの確認を行いました。
そして、昼の部と夜の部の公演です。
そして、本番。
静から動へ。
前半の舞踏〜Butoh〜の型から、
後半の、闇を脱ぎ捨てすべてを開放した動きへ。
鏡ざゆら氏は、幼い頃から親しんできたダンスと何十年も精神的に切り離されていたときに
世界的舞踏家である大野慶人氏から舞踏〜Butoh〜の神髄を学び
大野慶人さんの
「芸術を表現するのではない」
「あなた自身が、芸術なんです」
という言葉に衝撃を受け、何年もその道に取り組んで復活した表現者です。
しかし、大野慶人さん亡き後、いつのまにか『舞踏はこうでなければいけない』という枠にとらわれてしまっていたとのこと。
自分を開放してくれた舞踏〜Butoh〜への、強い思いが
逆に自分の表現を縛っていたと気づいたと言います。
舞踏は肉体の反乱であり、既存の概念の破壊
戦後に生まれた「舞踏」は、既存の型をぶち壊し「生命の本質とは何か」という問いかけをおこなった。
そのため、形式を重んじる伝統的な舞踊会から「そんなものは踊りではない」と追放された身体表現でした。
「人間は、魂は、テクニックで生きるものなのか?」
「そうでないなら、何のためのテクニックなのか?」
大野慶人さんの父親、舞踏家の大野一雄さんの遺した問いかけが胸に迫る。
私自身も、
「人の魂を解放するために生まれた舞踏が、自分の軸ではなく、型になってしまうならば
それは、すでに舞踏性を追求しているとは言えないのではないか」
と感じていました。
鏡ざゆら氏は、今回の公演にあたって、私にこう言いました。
「今回、舞踏〜Butoh〜の型を破る。何も意識せずにやる」
その気迫を感じた瞬間、私の目の前に大きく毛書で
「破」
という字がバンっと現れました。
そうか・・・
この人はついに覚悟を決めたのか。
「守・破・離」(しゅはり)の「破」
つまり、これまでの型を破る覚悟。
いやむしろ、舞踏性を追求すると言うことが、型を壊すことならば
鏡ざゆらは、舞踏を壊すことで、より舞踏性を表現していくのだ。
まったく、どこまでも舞踏だ。
舞踏家でありつづけるために
舞踏を壊すのだから。
私は数日前から、移動中にも曲を聴きつつ、本番で鏡ざゆら氏がどのように動くのか想像しながら、その衣装には何が描かれているのかを必死で見ようとしました。
何度か、パッとイメージが見えました。
まっすぐ天上に向け、爆発的に突き上げるようなエネルギー。
そして「赤」
私の中で、闇を脱いで現れたのは、
ざゆら氏のオーダーにあった極彩色の鮮やかなものではありませんでした。
闇を脱いで現れたもの、
それは、言葉にならないほどのすさまじい葛藤と、それと同じ強さの渇望にも似た「生きる意思」が相まったものであり、その戦いを避けて桃源郷への道は開けないのだと感じました。
不動明王の剣に巻きついている倶利伽羅龍(くりからりゅう)のイメージもあり
私の中で、天に向けて昇る龍のイメージも一体化させていきました。
これを描くためには、私自身も変わらなければならないのだ。
そう覚悟を決め、集中しました。
出演者の方からもご感想をいただけて、描いた私としても、とてもやりがいを感じました。
そして、会場にお越しいただいたみなさま、ありがとうございました。
今後、鏡ざゆら氏はソロ活動と並行し、他アーティストとのコラボレーション活動を行っていくとのこと。
ついに、守・破・離の「離」へと、進んでいくのだなと感じました。
身体表現、歌、舞台演出、表現者のためのワークショップ等、活動範囲を大きく広げていくとのことでした。
私も、前衛アーティストとして積極的に関わっていく予定です。
今後の活動については、こちらのブログでお知らせしていきます。
剣れいや
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