こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
女性性と男性性のバランスという観点から、有名人の方の生き様を取り上げてご紹介いたします。
今回は、美輪明宏さん。
美輪明宏さんのエピソードのなかでも、私が印象的だと感じたものをご紹介します。
美輪明宏さんの女性性
美輪明宏さんがデビューした当時の日本は、まだLGBTという概念などありませんでした。
同性愛者であることを公言した美輪さんは、世間からのバッシングの対象となり、長いあいだ表舞台から姿を消していたとのことです。
しかし美輪さんの生き方、在り方(と、絶世の美青年としての美貌)は、多くの文豪や芸術家に刺激を与え、彼らを魅了していました。
若き日の美輪さんは、三島由紀夫や川端康成など、天才と呼ばれる文化人たちを夢中にさせる魅力を持った、革新的なアーティストだったのです。
そんなある日、美輪さんの舞台に
三島由紀夫の結成した部隊(楯の会)の隊員の青年がやってきたといいます。
彼は、その舞台を観終わったあとに、美輪さんの楽屋に来たらしいのですが、
彼は「申し訳ありませんでした」土下座をし、美輪さんにこう言ったとのことです。
「三島先生や川端(康成)先生のような方がオカマごときのファンなのはけしからんから、いいかげんなものだったらメチャクチャにしてやろうと思った」
(しかし)
「コンサートは泣けて仕方なかった。天才たちがファンになったのは分かりました。申し訳ない」
(Wikipediaより)
敵をも味方につけてしまう女性性
女性性というエネルギーには
一体化する
統合する
調和
慈悲
などのキーワードがあります。
敵対してくる相手をも、そのまま味方にしてしまうほどの大きな愛。
大きな女性性のエネルギーは、
自分自身を究極的に受け入れていなければ発揮できないエネルギーです。
私自身、10年ほど前に美輪明宏さんのディナーショーに行ったことがあるのですが
会場で感じたあの感覚は、どう頑張ってみても、とうてい言葉にすることができません。
美輪さんの醸し出す歌や語り口すべてが会場全体を包み込み、それはまるで一つの大きなエネルギーで包み込まれているようであり
その温かくも、清濁併せ呑む力強いエネルギーが、心の奥深いところに徐々に浸透していきました。
最後にはお客さんが、拍手の嵐とともに泣きながらのスタンディングオベーション・・・
今から思えば、あれは究極の女性性エネルギーのステージであったと思います。
きっと、美輪さんのステージを品定めしようと潜入した楯の会の青年も、
私が感じたあのときのような感動の嵐にまきこまれ、あえなく癒されてしまったのでしょう。
女性性というのは、大きく果てしないエネルギーです。
しかし、本当の意味での女性性が開花するためには
自分の中の男性性と女性性のバランスが整っている必要があります。
美輪明宏さんは、過去に世間からバッシングを受け、居場所を失ったときでさえも
世間におもねることなく、自分のありのままの表現、あり方を貫き、その生き様が世間に認知されるまでになったわけです。
それはつまり、
自分のなかの男性性(Do)が、自分なかの女性性(Be)を守り抜いたということです。
私は過去の記事で
世界があなたの味方をしなくても
あなただけは、あなたの味方であってください。
というメッセージをお伝えしていましたが
自分の味方をするというのは「世間の目で自分をジャッジしない」ということでもあります。
どうあるべきか、ではなく
どう見られたいか、でもなく
どうありたいか。
それを、自分に問いかけ続け
生きていく
それこそが
自分として生きるということなのだと思うのです。
それでは、また。
剣れいや
「美輪明宏さんの生き様と、女性性エネルギーのエピソード。」へのコメント
コメントはありません