こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。
さっき懐かしいメールを見つけました。
「自己卑下は悪?自分内DVを許してはならない」という記事があるんですが、怒り爆発で書いた激し目の記事で、その記事を読んだ方から届いたメールでした。
読んだ瞬間、当時のことが、ありありとよみがえりました…
今でも覚えています。
私はその当時、人生の転機にさしかかっていました。
2016年に挫折を味わい、もう活動をやめようかと思っていたのです。
このままで終わっていいのか?と自問自答する日々。続けるのであれば、これまでのアメブロを継続する気はなかったので、やるとしたらゼロから自分のブログをワードプレスで立ち上げたい…
「ワードプレスでゼロからスタートするって大変そうだ…」
「もし、うまくいかなかったら、やったことを後悔するんじゃないだろうか…」
「でも、やらなかったら”やらなかったこと”を、後悔するかもしれない…」
だんだん悩んでいる時間がもったいなくなり、
「やらないで後悔するより、やって後悔しよう」と決めました。
そうしてできたのが、今訪れていただいているこのブログ「Reiya Tsurugi」です。
結果として、このブログ「Reiya Tsurugi」を通じて、自分の内面と向き合い、たくさんの仲間に出会うことができました。
あの時、恐怖に負けて、このブログを立ち上げなかったら、
皆さんとの出会いもなく、今の自分もなかったんだろうと思います。
あの分岐点で、決断し行動したことで人生が変わったのでした。
話を戻します。
当時の私は、内面整理をするとき、日常から離れるためにビジネスホテルに泊まるようにしていました。
2018年の春分の日、節目だと感じたその日、
一大決心して始めたブログに集中するために、泊まるのか?節約か?でかなり迷いましたが泊まることにしました。
頭をスッキリさせるために大浴場のお風呂に入って、部屋で水分補給して、一息ついていた夜。
さあやるぞ、とノートパソコンを開いたら、ブログを経由して1通のメールが来ていました。
ブログのコメント欄にメッセージが来ることはあっても、ブログ経由でメールで感想をいただくことは初めてだったので、びっくりしました。
早速、メールの内容を拝見しました。
その方は、
子供の頃からの虚無感や
いつも自分を責めて絶望に追いやる「頭の中の声」があったそうですが
「自己卑下は悪?自分内DVを許してはならない」という記事を読んだのをきっかけに、押し込めていた感情が溢れてしまったのだそうです。
文面からは、はじめて体感する出来事に戸惑いながらも、自分自身の変化に驚きを隠せないご様子がうかがえました。
実際の文面は、ご本人が非公開をご希望されていたので公開しませんが、
私が返信をした文面があるので、載せておきます。
その方から、すぐに返信が来ました。
「これまで押し付けられてばかりだったけれど”自分で選択する”を少しずつやってみます」
と宣言をされていました。
とても感謝していただけたのが、印象的でした。
私は、あのブログ記事を書いた時、「本物の怒り」が自分の中にあって、ただ言いたいことを言い放っていただけでした。
それでも、私の表現が誰かに届き、その人が自分の殻を破って生まれ直すきっかけになることもあるんだ。と、驚きと共に新たな責任も感じました。
自分を見下し、卑下して粗末に扱う、自分内DV。
自分内DVを居座らせていると、
生きづらく、行動ができない、
不安でいっぱいになって自信喪失。
そんな方から、続々と「私も自分内DVでした!」というお声をいだくようになりましたが、その最初の声がこの読者さんだったのでした。
この出来事が、私にとっての原点だったこと。
がむしゃらに走り続けた6年間で、記憶の片隅に封印しまっていたようです。
女性性と男性性のバランスを、何のために伝えているのか?
それは、自分自身を取り戻し、ありのままの自然体で生きるため。
そして、私自身が自分自身を取り戻した人間の生き方モデルとして
アート活動ができるようになったり、
さまざまなことをお伝えする立場になっていった。
それらすべての中に、女性性と男性性のバランスが存在しているんだと、
それらすべてを体現するのが私なのだと、
もういちど頭の中を整理するに至りました。
年末年始に向けて、私の集大成の企画をスタートするところだったんですが、その矢先にこの出来事があり、これから先に進む私へメッセージであり、忠告でもあるように感じました。
原点を忘れず、2025年へと走り抜けようと思います。
剣れいや
「自分の原点を振り返った、1通のメール」へのコメント
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