【過去の日記から】「惨敗の唄」を超えて

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

昨日の怒涛のデトックス Night から一夜明けて、かなり体力もエネルギーも使ったのを感じたので、

朝からたくさん食べて、また寝て・・・という感じでアフターケアをしました。

 

感情のデトックスが起きた後は、消化のいいものをしっかり食べて、ゆっくり休んで、体力を取り戻してあげること。

あとは、とてもエネルギーがふよふよになって柔らかい繊細な感覚になっているので、あまり強い刺激を与えないであげることが大切です。

 

そんなこと言いつつ、ホテルをチェックアウトして帰ったら、急にカラオケのお誘いがあってつい乗ってしまいました(笑)

しかし、デトックスの直後はささいな刺激に敏感になってしまうので、いろんな感情がワーッと出てきました。行って後悔はしてませんが、やっぱりデトックス後は安静がいちばんですね!

 

話は変わりますが、なんとなく身の回りを片付けたくて過去のものを整理していたら、2年前の日記が出てきました。

そこには、今よりもっと暗くて深いところから這い上がろうと、必死でもがいていた過去の自分がいました。

「嗚呼、あの頃の自分も、必死で戦っていたんだな。。。」

そう感じ、今の自分とリンクするものを感じました。

 

その当時の詩をここに書き残しておきます。

 


2017.1.15

計画と行動だ。

夢にちかづくには、一歩一歩。

ゆっくりでいいから、小さなことからやっていこう。

 

起きるともう、頭の中はうごめく虫のように

高らかに唄っている。惨敗の歌。

 

私はいつも、その唄に耳をふさぎたくなり、必死で夢うつつの中にもどろうとするのだ。

 

惨敗の歌にのみこまれるのか、夢の中に逃げもどるのか。

 

その2つしかなかった。これまでは。

 

 

今、私にはかすかな希望がある。

第3の選択肢だ。

 

それは、絶望と快楽を行き来していた私にとって未知の領域であり

 

毎日何が待ちうけているのか分からない。

これまでとは別の意味の怖れに満ちている。

 

慣れ親しんだ惨敗の歌を背中で聴き流すことを憶えるときが来た。

 

日々、そして一瞬一瞬を、

まったく新しい自分の人生に塗り替えていくのだ。

 

どんな出来になろうとも、すべては自分の責任。

もう惨敗の歌のせいにすることもない。

 

毎朝きこえてくる惨敗の歌に、人生を支配されずに生きられる、

そんな世界を、つくるのだ。

 

つくるということは、体現すること。

 

体で現すこと・それはつまり

行動した結果である。

 

ひとつひとつ、足元の石を見て

よけるなり、投げ飛ばすなりしたら

 

かすかな心のざわめきのなかから

小さな躍動をさぐりあてる。

 

それが自分だ。

 

その指し示す方向へ。

一歩、ふみだす。

 

 

 


剣れいや

 

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