自分のなかの壮絶な感情をしっかり受け止められるまで

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

先日、自分の中の女性性と向き合う決断をしました、と、ブログでご報告しました。

ちょうど予定が空いたので、自分のなかの女性性をしっかり満たしてあげようと思い、ひとりでゆっくりホテルに泊まることにしました。

 

久々に「のんびりする時間」をプレゼントしてあげよう。

早めにチェックインして、ここちよいお風呂でゆったりして

お腹がすいたら食べて、寝たいときに寝て・・・

 

自分の中の女性性が深い安心感を感じ

それをサポートするのが男性性。

 

 

ひとりデートで自分を満たしきって、そしたらバランスを取り戻せるはず。

 

と想定していたのですが、

私の予想は見事に外れました。

 

いやもちろん、ゆっくりして、心から満たされました。

 

心ゆくまで、のんびりまったりして、

はー、気持ちいい!リフレッシュできた!

 

と、女性性を満たすことができました。

 

 

しかし私は、受け止めきれていなかった、さらに深い部分の感情があるということに、

これまで気づかなかったのです。

いいえ、気づかないふりをしていたのです。

 

 

私の中の女性性が、ずっと発してくれていたメッセージ。

 

私のなかの女性性が、本当に願っていたのは

 

表面上たのしく満たされるようなデートではなく

 

深い部分に封印していた感情を、ありのままに出すことだったのでした。

 

 

抑えていた「気持ち」

麻痺させていた「感情」は

リラックスすると出てきます。

 

逆に言えば

忙しさや、常に外側からのストレスがある環境に身を置き、

やるべきことをたくさん抱え込み

思考をいっぱいいっぱいにしておけば

じぶんの内側の感情に目をむけなくて済む。

 

私の思考はこれまでの日常の意識で

「ひとりデートでのんびりすれば、きっと癒されてリフレッシュできるはず」

と考えていました。

 

しかし深いところでは

私のココロとカラダが安心して、ゆるんだとき

さらに深いところの感情のデトックスが起こることは、無意識にわかっていたと思います。

 

私は2015年から感情のデトックスをすることに取り組み、これ以上はもう出ないだろう!というところまで出しつくして、受け止め、手放したと思っていたのですが

まだありました。

 

当時の自分が受け止めきれなかった

幼い頃の

痛み、苦しみ、絶望。

 

それら、過去の私の一部。

 

ここから先に進む私が、置いていくわけにはいかない、大切な私の一部。

 

その、これまで私が受け止めきれなかった感情たちが

私が受け止める準備ができる、そのタイミングを、今か今かと待っていたのでしょう。

 

感情は、自分が受け止めきれる分しか出てきません。

 

だから、

まずは、すこしずつ、自分で自分を受け止めることを心がけていく。

 

そうすると

「思考」が「感情」を回避しようとする、そのやり口に気づいてくるので、

その手口を見破れるようになり、気持ちで動けるようになっていく。

考えるだけでなく、
感じるだけでもなく

気持ちで行動できたとき、

だんだんと、自分の内側との信頼関係を取りもどしていくことができます。

 

そうすると、だんだんと自分の軸がしっかりしてきて、自分が強くなっていきます。

強くなるというのは、戦闘力や分析力などの男性性エネルギーのことではありません。

 

自分のあり方がハッキリし、ものごとに動じない、存在感という女性性エネルギーの強さが現れてくるのです、

 

ふだんは見えない「深い部分」の感情というのは、

そうやって自分軸がしっかりし、自分が強くなってきたときに、ようやく出てきてくれます。

 

今回出てきてくれたのは、これまでにないくらいの

深く、壮絶な、悲しみと絶望でした。

 

 

でも、これだけ大きな感情が出てくるということは、

私もだんだん強くなってきたんだな。

それだけ、自分自身に信頼されてきてるんだな。

そう感じました。

 

自分の感情から逃げ続ける限り、人は手当たり次第、なんでも道具にしようとしてしまうのだ。

ときに、命というものさえも。

 

自分のなかの女性性を満たすということが、

どれほどの深い意味を孕んでいるのか

 

あらためて思い知りました。

 

「女性性を満たす」というと

ふわーっとした優しい感じとか

豊かさを受け取ることのできる器とか

 

ロマンチックだったり

贅沢だったり

心地よさ、気持ち良さだったり

 

なんとなくそういうイメージが先行しがちかもしれない

 

 

しかし、それらはあくまでも女性性というエネルギーの一つの側面にすぎない。

女性性。
つながる、みたされる、安心感。

しかしそれは、外部とのつながりから得られる安心感ではないはずだ。

 

自分の中の、傷

後悔も、苦しさも、悲しみも、孤独も、絶望も

それらを自分自身で、ゆらがずに、受け止めてあげること。

 

恥じることもない。

罪悪感をかんじる必要もない。

 

自分の感じた感情を

正当なものとして、

誰に理解されようとするのでもなく

 

ただ、受け止め

表現してあげること。

 

「慈悲」とは、同情心のことじゃない。

 

深い闇と傷を、

苦しみを、悲しみを

ありのまま、ただしっかりと受け止めてあげることなのだ。

 

自分で自分を受け止め、癒すことで

 

他人に自分の「感情」や「あり方」を預けるのを

やめることができる。

 

堂々と、

自分であることができる。

 

自分軸とは、そういうこと。

 

それが、女性性というエネルギーのもつ

深く力強い役割なのだと、そう感じました。

剣れいや

 

 

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