着物のジェンダーレスな着こなし研究。自分らしくあるということ

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

ついに2019年がやって来ましたね。

年明け早々、例年までとは違うノリで行動したくなる自分がいて、本当に今年はこれまでと違うんだなとひしひし感じています。

最寄りの氏神様の神社とは別に、今年は明治神宮にも足を伸ばしてみました。

 

今年は「自分らしく」をこれまでにないレベルで鬼のように実行する年になりそうです。

これまで自覚していなかったガマンや妥協も、すべて明るみに出て「本当はこんなんじゃない!」という偽物をすべて取り去っていく。そんな年になる気がします。

 

それは、嫌なことに気づく苦しさというよりも、むしろ「もう、こう生きたいんだ!!」というものが自然と溢れてきて、カラダが素直にそう動いていく、というような、クリアな軽さを感じています。

 

今年一発目のチャレンジは、考えてはいたけどずっと実行していなかった「着物のオリジナルな着こなし」のチャレンジ。

正統派の着付けは少し習ったことがあるけど、どうしても和装の着付けは女性用と男性用でクッキリ分かれているので、女性でも男性でもしっくりこない私にとっては悩みのタネでした。

 

ちなみに私はジェンダーレスを追求しているのではなく、自分らしくあろうと試行錯誤した結果、世の中的にいうジェンダーレスというやつになるっぽいな、という感じです。

 

だから、ジェンダーレスとかそういう枠にもあまり興味はない(笑)私はただ、私として生きたいだけなんですよね。

 

※ 私の性別についてはこちらの記事で詳しく書いてます。
『性別』を捨てたあとに残ったもの

 

現在の一般的に「着付け」と呼ばれているものは、(十二単とかは除いて)ほぼ江戸時代の着こなしの流れがそのまま来ているのですが、平安時代の着付けは、あまり男女差がない、帯を下の方で締める着方なので、なんかそんな感じでできないか?と以前から考えていたのでした。

とはいっても、それ以前に着物って敷居が高いですよね。

 

とにかく、なんだかんだと揃えるものが多い!

中に着る襦袢(じゅばん)、首には半襟足袋草履。女性なら帯締め帯あげ。。。という感じで、夏祭りの浴衣とはワケが違うんですよね・・・一式そろえるだけでも大変・・・

 

これも着物の敷居の高さにつながってる気がします。だから

和装=
「素敵だし興味はあるんだけど大変そう」
「プロの人に着付けてもらわないと無理そう」

っていうイメージが定着しているんだろうなーと思うのです。

 

だけど、せっかく日本に生まれたのに、和装という素敵な民族衣装を取り入れないのはもったいない気がしてたんですよね。

とかいいつつ、これまで自分自身がやってなかった・・・!

 

今年からはそういう「先送り」をなくそうと思い、和装アレンジにチャレンジすることにしました。

今回このチャレンジを実行するにあたって、新たに購入したのはこのウールの着物、一着だけです。しかも古着屋の古着物。

 

大正時代っぽい感じで、中は襦袢ではなく洋服で、下はブーツにしよう!と思い、さらに半襟はPoloのネクタイで代用(!)。帯は古着屋で衣装用に買っておいた飾りベルトです。

 

一着でどこまでできるのか・・・限界への挑戦でした。

 

もちろん、モノゴトには形になるための最低限のラインというものがあるので、そのへんのバランス感覚は大切にしながらも、自分らしく、自分にしっくりくるスタイルを追求していきたい。

ファッションだけじゃなく、ライフスタイル、仕事、遊び・・・すべてにおいて、既存の枠に自分を押し込めるのをやめる。

 

もし窮屈だと感じるのなら、枠からでるのか、それともアレンジするのか、むしろ捉え直すのか?

 

問題提起、問題設定・・・

再定義、再方向付け・・・

 

やればやるほど、枠が外れて、どんどん面白くなっていく。

 

そう。自分が勝手に作ってるだけで、本当は、枠なんてないんだ

ただ、超えてみないと、枠だったことにも気づけなかったりするんです。だからこそ、追求し続ける。

 

2019年。これまでにも増して「枠を超える」を追求していきます。

剣れいや

 

 

「着物のジェンダーレスな着こなし研究。自分らしくあるということ」への 2 件のコメント

  1. 着物、ステキですね!
    自分らしさをさらに追求されるのですね!
    楽しみにしています

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