最後に自分の表現として絵を描いたのは、
美術科の高校の卒業作品だった。
それからは、
他人が望む表現、
社会が求める作品をつくることが仕事としてまっとうだと思い込んだ。
そして、自分の作品を作る事を封印した。
10年以上の歳月の後、とあるプログラムを受けた。
自分の表現を押さえ込んでいたフタが、すこしずつ、しかし確かに、動きはじめた。
仕事の合間に、iPhoneのアプリを使って
かすかな感覚をさぐるように
確かめるように
おそるおそる…
表現を再開していった
脳内での戦いは、いまだ止まぬけれど
「表現したくない」vs「表現したい」
表現するのが怖い。
それは
「心の底から表現したい」という切望があるからこそ
感じる恐怖なんだ。
Reiya Tsurugi
「【スランプからの脱却】表現は必ずよみがえる」へのコメント
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