花は、誰からどう思われるか考えない

 

花は、誰からどう思われるからと考えて

咲き方を考えたりしない。

 

あくまでも咲いた花は

それそのものが

ただただ、

自分の命の表現形なのである。

 

 

 

私がまだ、お金に困っていて

来月の家賃すら払えるかどうか分からなくて

毎日心臓がすり減るような思いで生きていた時のことです。

 

 

私は、精神的にも経済的にもどん底でした。

 

でも、

花を買って、部屋に飾っていました。

 

本当にお金がなくて

花を買うくらいなら食べ物を買えば?

というレベルでしたが、

 

半額になっている花をみつけては、買っていました。

 

 

そして、花を見るたびに、考えていました。

 

 

花は、ただそこにあるだけで

見る人に価値を提供しているんだなぁ。と

 

 

私は、昔から

自分には価値がなくて

 

自分が成し遂げたことや

結果にこそ価値があるのだと思い込んでいたので

 

 

結果が出せないというだけで、

自分には価値がないんだと感じ

 

精神的にどん底に落ちてしまっていたのです。

 

 

 

私の元気がなくなると、それはお客さまににも伝わるから

さらに状況は悪くなるばかりでした。

 

 

そんなとき、花を見ることで

自分に欠けていたものを、必死で思い出そうとしていたのかもしれません。

 

 

 

花は、品種改良されていたとしても

ただ、そのDNAのまま

ありのままに咲く。

 

 

ただ、それだけだ。

 

 

それを見る人がどう思うかは、その人次第だし

どの花が好きで、どんな花は好きじゃないとかは、そんなのは見る人の好みだ。

 

 

花は、咲く前に、

誰にどう見られようとか、思わない。

 

 

白い花は、白く咲き

赤い花は、赤く咲く。

 

それだけだ。

 

 

たとえ、

白が好きな人にも、赤が好きな人にも好かれよう!

 

とか、思ったとしても、

 

自分のDNAのまま

そのまま自然に自分を表現をする以外には

方法は無いわけだから

 

 

それ以外の色や形を表現しようとしたら

混乱したまま、動けなくなってしまう。

 

 

 

そんな不自然なことを、人間は

つい、やってしまいがちなんだと思う。

 

 

ずっと、自分のありのままを

認められずに生きてきたら

 

 

いつのまにか、

自分のありのままの性質を忘れ去って

その性質を、自分の中で

一番価値のないものだと思い込んでいる。

 

 

 

白い花が、

じぶんがただ、白い花を咲かせるだけでいいんだ

 

ということを、忘れて生きている。

 

 

ただ、自然に

ありのままの自分を表現するだけで

 

白い花が好きでしょうがない人を

喜ばせることができるのに。

 

 

それが、なぜか、できない。

 

むしろ、自分がふつうに何かをやって

それが誰かに喜ばれるなんて

 

そんなこと有り得ない、とか思っている。

 

 

必死で、頑張って、苦労して

自分以外の誰かにならなければと思っている。

 

 

だから

「お前はそのままじゃダメなんだ」

と言ってくる人や環境を

無意識にだけど

 

あえて、選んでしまっていたりする。

 

 

 

自分のまま咲けばいいんだ。

他の誰かになろうとせずに。

 

 

それが一番、難しい。

それが、一番、抵抗がある。

 

口で言うより何倍もつらい。

 

 

でも、結局

それが、最後にたどりつく答えなんだ。

 

それを、受け入れた時に

 

本当の自分と、

ありのままの自分を受け入れてくれるひとたちに

 

出会えるんだ。

 

 

 

 

剣れいや(つるぎれいや)

 

 

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