鬱で人間関係ボロボロの現実が自分へのメッセージだった

こんにちは。
剣れいや(つるぎれいや)です。

 

私は過去に、鬱になって人間関係もボロボロ、借金地獄だった時期がありました。

そんな私が、今こうして「自分で自分を幸せにする生き方」を伝えていっているとは・・・過去の自分が知ったらきっと、目ん玉飛び出すほど驚いて、そして、結局信じないと思います。(笑)

 

今回は、自分も他人も縛らない生き方をして、本当の意味で自由になるということについて語ってみます。

私が死ぬ間際に言おうと決めていることも語っています(笑)

 

自分で自分を幸せにはできないから、他人に求めてしまう

ほんとうの意味で自分が幸せに生きるために必要なのはたった1つ、自分を幸せにする勇気だけなんです。

これが腑に落ちた時、とてもラクに生きられるようになると思うのです。

 

「他人を安心材料にする」というのは、自分も他人も縛る生き方。

 

いつも相手の顔色をうかがったり、相手が自分から離れていかないようにコントロールすることにエネルギーを費やす、自分も周りも不自由で苦しい人生になる。

 

 

私が決めたんだから誰のせいにしなくてもいい。というのは

潔くて、周りにも負担をかけない生き方なのです。

 

とは言っても、

「自分で自分を幸せにする感覚」というのが分からないから苦くなるわけで、過去の私自身は、ずっと分からなかったわけです。

とりあえず、そこにたどり着くとどんな感覚になるのか、書いておきます。

 

自分で自分を幸せにできるときの感覚

・周りが何か言ってきて、それを言ってくる人の気持ちに対して理解ができたとしても、自分の生き方を曲げなくていいと分かる。

・自分の中に静かな熱意と、自分に対する安心感があり、体の中心が暖かく、守られているような感覚がある。

・軽率という意味ではなく、地に足ついた状態でフットワークが軽くなり、興味のあることに気軽に取り組めるようになる。

・結果の良し悪しや周りの評価で気分がアップダウンすることが減り、ひとつひとつ着実に学んで成長していること自体に喜びを感じる

 

 

自分を幸せにするということを追求していくと、結果的には、古い常識にとらわれない価値観で生きることや、他人に左右されない生き方を選択することになるかもしれません。

 

しかし、それは決して

他人に反論したり、相手を無視してワガママに振る舞うことでもなく、反社会的な行動をすることでもないんですよね。

 

 

みんなが自分のホンネと向きあえる世界

自分の中のホンネというのは、言いかえれば

自分の人生を思い通りにクリエイションするため、行動するためのエネルギーの源です。

それを自分の中にさぐり当てることができたら、それを受け入れ、使いこなしていく段階に入っていくんですね。

 

情熱のありか。

生命力の源泉。

 

それは消し去ることのできない、とてもパワフルなエネルギーであり、ずっと自分の中に存在し続けます。

その思いは、ときに「怒り」と呼ばれるものに近い感覚だったりします。

だから、多くの人にとって怖いものなのかもしれません。

 

 

ただ、そのエネルギーは消しさることのできないもの。

抑圧するほどに忘れた気にはなるけど、そのエネルギーは「自分が気づいてくれるまで」ネガティブなものごととして現実に現れていきます。

 

「現実はメッセージ」だというのは、こういうことなんですね。

ネガティブなものごとが、メッセージを投げかけてくるわけです。

 

それをエスカレートさせることなく、望む方向に転換するために

自分のホンネと向き合う時間、ホンネとむきあえる場が必要なんです。

 

私は以前ブログで「カウンセリングって、まるでクライアントさんに問題があるかのようで嫌だし、問題解決するというのは古い発想だと思う」と言いましたが、それでもカウンセリングをいまだに続けている理由はそこなんです。

 

私はトラウマにより 30 年にわたってホンネを抑圧して生きてきましたが、今ではアーティストとして、自分自身に表現の場をプレゼントすることができるようになりました。

 

そしてさらに、ホンネでブログを書き、ホンネでクライアントさんと向き合っていくことで

他人の評価とは関係なく自分のホンネを表現できる場が、どれほど人を解放し、エネルギッシュにするのかということを身をもって知りました。

 

私は、あえて問題提起するなら

クライアントさん自身に問題があるのではなく、クライアントさんがホンネが出せないこと、つまり自分のホンネを表現することにブロックがあることが問題なのだと思っています。

 

ホンネを言えない環境、ホンネを言えない人間関係、ホンネを言えない空気。

だから、みんな苦しいのです。

 

クライアントさんのホンネに、善悪なんかありません。だからジャッジすることはナンセンスなんです。その人が感じていることがすべてだから。

 

人生って、表現の場なんですよ。

 

人生って、自分が作った舞台なんですよ。

 

生まれてきたかったから生まれてみた。

感じたいことがあるから、経験してる。

 

だから、思ったように生きて、

経験して、学んで、成長して、

転んだり笑ったり泣いたりしながら生きていけばいいと思うのです。

 

 

 

私が、人生が終わる瞬間に、頭のなかで言おうと決めているセリフがあります。

「いろいろ経験した。無謀なこともした。本当にいろんなことがあった。でも楽しかった!本当に生まれてきてよかった!わが人生に悔いなし!みんな、ありがとう!」

 

私は、最期にこれが言えるのであれば

どんなルートの人生でもいい。そう思っています。

 

つまり、ゴールを先に設定しているのです。

 

なにかを選択するときの判断基準があるとすれば、

「これを選んだら、最期にこのセリフを言えるか?」どうかです。

 

私が一番やりたくないのは

自分のホンネをごまかし、自分を裏切って生きることなんです。

 

過去の自分が、ずっとホンネを抑圧して、他人に合わせて、精神的にギリギリで生きてたから。

鬱になって、人間関係もボロボロ、借金地獄。

そんな現実が、まさか自分へのメッセージだなんて思っていませんでした。

 

こんな自分だから、こんな人生でもしょうがない。

そんなふうに、自分をけなしながら生きていました。

 

 

二度と、じぶんを ないがしろにはしたくない。

 

そして、自分が理想とする世界に、あきらめずに向かっていきたい。

幼い頃の私が純粋に望んでいた世界へ。

 

 

だからこれからも、自分の資質と自分のやりたいことを活かし、たくさんの人にホンネを表現できる場を提供していければと思っています。

 

 

剣れいや

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